第5話 C面-2

「シンクスフィアの先行きに暗雲」

 月刊ビジネスメディア 特集「エンタメの新興・凋落」20**年11月号


○巨額投資の新規IPが足かせに

 大手ゲームエンターテイメント企業シンクスフィアが今年度の業績予想を大幅に下方修正した。経常損益は前年同期の11億3800万円の黒字から一転、4100万円の赤字を予想している。この主な要因として、同社が意欲的に展開してきた新規IP「ココロスター」の不振が挙げられる。

 「ココロスター」はシンクスフィアが約3年前にリリースした野心作だ。世界市場を見据えた新規IPの構築を目指してDLCや派生作品の制作、メディアミックス展開など、開発費はAAAクラスを超えるといわれる。しかし、ゲーム業界関係者からは当初より懸念の声が上がっていた。「シンクスフィアの規模を考えれば、明らかに身の丈に合わない投資額」(大手ゲーム制作会社関係者)、「ゲーム性やビジネスモデルが時代遅れ」(業界アナリスト)との指摘が少なくなかった。シンクスフィア関係者によれば、「ココロスター」の販売数およびアクティブユーザー数は目標を大きく下回っているという。加えて、リリース後も度重なるトラブルへの対応を迫られ、運営コストは想定以上に膨らんでいる。

 追い打ちをかけたのが、先月開催された「ココロスター2ndライブ」の失態だ。この出来事はSNSでトレンド入りするほど内外の注目を集めてしまった。市場調査会社GameTrackの最新レポートによれば、このライブイベントを境にアクティブユーザー数が著しく減少している。


○先行き不安な展望

 「今回の業績修正には最近の悪影響がまだ十分に織り込まれていない」(証券アナリスト)との見方もあり、さらなる下方修正の可能性も否定できない。シンクスフィア社内からも厳しい声が聞こえ始めている。「このまま損失を垂れ流し続けるわけにはいかない」「傷が浅いうちにサービス終了も検討せざるを得ない」と、複数の内部関係者が匿名を条件に語った。

 今やシンクスフィアの経営を圧迫する要因となった「ココロスター」。同社の再建にはこの問題作の処遇を含めた抜本的な経営戦略の見直しが求められそうだ。




 美羽は通信端末で開いていた雑誌記事を閉じた。「ココロスター」の声優仲間から教えられたもの。


「……アホらし」


と言葉をこぼすことで、心の中にある不安を押しつぶす。


 ――気分転換に「ココロスター」を推してくれているVR配信でも見よう。

 ――確か、名前は……。




 *


 


「ねえ、ムラッチ。あんたの会社は『ココロスター』のライブを切り捨てたの?」


「もしそうなら、あたしたち、『ココロスター』との付き合い方も変えないといけないんだけど」


 今度は江莉と一緒に美羽は村中を呼び出していたが、彼女は2人からの圧力に最初キョトンとした後、


「……イヤイヤイヤ、そんなことしていないって」


 激しく否定した。


「なら、なんであんな経験も少ない若い男を送り込んできたの?」


「西野さんか誰かの下で働いていたならまだしも、全然畑違いの人でしょ。ライブを舐めてるの?」


「舐めてない! 舐めてない!」


「絶対舐めてる」


「仕事ができるわけがない。ライブ会場の施設管理会社でしょ、場所がアリーナだから、ライブ会場に仕立て上げる会社、カメラも、円盤の映像を撮ってくれる所と、リアルタイムで会場のモニターに映すところは別。これだけ多くの会社とぽっと出の若い人が一緒に仕事ができるわけがない」


「これに、あの中西社長とやり合うんでしょ。あの業界では、中西社長と一緒に仕事が出来るだけで一目置かれるそうよ。無理無理」


「ムラッチの会社だって、あの『エロ糞親父』を含めて、結局、1人も長く続いていないじゃない。まあ、あの人から見切りを付けられていないだけすごいと思うけど、それだって、『ココロスター』のライブと同じ程度の金払いが良い仕事が別に無いだけでしょう」


「で、どうなの、本当のところは? ムラッチの会社は『ココロスター』をどうするつもりなの? 捨てるの?」


 美羽と江莉2人から詰め寄られていた村中は、ようやく立て直して、


「だから、捨てるつもりなんか全然無いって。それどころか、私たちとしては、とっておきの切り札を切ったつもりなの」


「あんな若い子が?」


「若くても! 美羽にはこの間、話したけど、営業畑から優秀な子が来て、ウチのゴタゴタを全部ひっくるめて綺麗にしてくれた、って話、あの立役者が三田君! ほとんど1人でやってくれたの」


「ムラッチが無茶ぶりして?」


「可哀そうに。こんなおばさんにこき使われて」


「おばさん言うな! 無茶ぶりもしていない! こまごました雑用を任せていたら、そうなっていたの。利害調整にコミュニケーション能力が抜群に上手くて、気が付いたら、出来ていた、と言ったら言いすぎか、途中からそうなるように私たちも仕向けていたけどね。ウチに来る前は営業にいたから、外の会社との付き合いもお手の物よ」


 こんな村中の言葉を美羽は真に受けたりはしない。別ルートで、「エロ糞親父」が全く引継ぎをしないでトンズラ退社したことを知っているから。おまけに、カズキが中西にフリーハンドを与えていて、中西の暴走が始まる兆候が見えていることも。


 となると、村中の自信ありげな様子も、中西の暴走に戦々恐々していることへの裏返しにも見える。


 けれど、一介の声優に過ぎない美羽たちには様子見するしか手がない。だから、


「ムラッチがそこまで言うなら……」


「お手並み拝見かな」


 もちろん、今度もコケたら「ココロスター」を完全に見切るつもりだった。


 その結果は。


 


 ペットボトルの水を、美羽はゴクゴクゴクとキャップを外して直接飲み干す。キャップにストローが付いていたが、そんな物を使って飲むなんて、まどろっこしかった。


 荒くなった呼吸が少し落ち着くが、心臓がまだバクバクと激しく鼓動しているのを感じる。


 なにより、先程まで感じていた興奮がまだ全身を走っていて、治まらない。


 ライブのアンコールまで全ての曲を全力で歌い終えて、舞台袖まで戻ってきた。


「まだだっ! もっと歌わせろー!」


「ちょ、江莉さん。落ち着いてっ!」


 江莉がまだ暴れていた。ステージから、彼女のそばにいた3人の仲間たち声優・キャラクターの中の人が、文字通り力ずくで引っ張ってきた。舞台袖に下がれば、大体落ち着くのだが、今日はまだ、


「もっとだ! もっと歌いたい! 歌わせろー!」


 暴れ続けている。こんな彼女を美羽は初めて見た。さらに、2人のスタッフが抑えるのに加わった。


 けれど、彼女の気持ちも美羽は痛いほどわかった。


 ――まだまだステージで歌い続けたい。


 会場に満ちた熱気、詰めかけていたユーザーファンたちとの一体感と高揚感、それらが相まって、一種の万能感のようなものさえ感じられた。


 ライブ前のゲネプロの段階で手ごたえを感じていた。直前のリハーサルではライブ成功の確信を覚えた。


 ライブの幕が開いて、オープニングを迎えれば、予想以上だった。


 ライブの最中には、自分の限界を超えて、また限界を超えて、さらに限界を超えて、


 ――いくつ限界を超えただろう。

 ――もっと超えたい、まだ超えたい。

 ――ここで終わってしまったら、欲求不満で酷いことになりそう。


 ここまで考えると、思わず美羽の口から笑いが漏れてしまうが、彼女は気付かない。


「美羽さん、笑ったりして、どうかしましたー?」


 横にいた子から声を掛けられて、初めて気付く。彼女は、前回ではライブに幻滅した様子を見せていたが、今はそんな様子は欠片も見えない。酷使しすぎてかすれた声とは反対に、目は、表情は、ライブの興奮の余韻とやりぬいた達成感に溢れていた。


 そんな彼女に、美羽は本心は隠して、別のことを指摘する。


「いやあ、このまま終わってしまったら、観客の人たち、暴動を起こすんじゃないか、と思ってね」


「そうですよねー。まだ凄い声ですねー」


 アンコールが終わっても、さらなるアンコールを求める声と手拍子が会場に溢れている。


 溢れるどころか、声と手拍子で会場全体が揺れている。


「どうするんでしょう、スタッフさんたちはー? まだ退場のアナウンスはかけていないようですがー」


「もう1曲あるかもよ」


「暴動を抑えるためにですかー? ですが、他に歌う曲がありましたかー? 何も練習していませんよー」


「ライブオープニング曲をもう1回歌おうか」


「……」


「不満そうだね」


「……不満です。面白くないですー」


 頬を膨らませ、さらに全身で不満を示す彼女を見て、美羽は、


 ――近い将来、この子も江莉のようになるかも。


 なんてことを、頭の片隅で思いながらも、今だけは同調する。


「私もだよ。全然面白くない。観客のみんなをアッと言わせる曲が歌いたい」


「です、ですー」


 同意を得られて喜色を全身で示す彼女を見ていたら、イヤモニを通じて、耳に中西の声が飛び込んできた。


『おい、あんたら、もう1曲いけるか?』


「いける! 今すぐいける! 歌わせろ!」


 江莉の間髪入れない反応に続けて、全員がOKを出す。それを見て、美羽が問いかける。


「それで何を歌うんです?」


 答えをみんなが、ワクワク、ドキドキ、色々な感情を持って待つ。


『「リ・スタート」だ』


 予想外の答えに、全員が息を呑んだ。それは来年放送予定の「ココロスター」のアニメオープニング曲。音源の収録は終えているから、歌うことはできる。だが、ライブでお披露目する予定は無かったから、ダンスの振り付けも何もない。そして、一般に公開する予定はまだ先の未公開曲。


「いいんですか、歌って?」


『おう! 許可は村中の嬢ちゃんから取った』


「曲のバージョンはどれですか。フルなのかテレビなのか。それとも1番だけ歌うのか」


『フル音源もらったんだ。全部歌っちまえ!』


 美羽は太っ腹な対応をした友人の顔を顔を思い浮かべて、ニヤリと笑った。ただ、その笑みはすぐに消して、


「では、ディレクションをお願いします」


『無い! 全部、あんたたちに任せる! なんせ、俺たちは曲を聞いたことすらないからな』


 来年公開予定の未公開楽曲を、「ココロスター」の運営会社に属していない中西は知る由も無い。それを引っ張り出してきた人間も、部署が違うゆえに、名前しか知らなかったりする。


 でも、普段なら顔が引きつってしまう中西のこんな無責任な言葉も、今だけは美羽の興奮をかき立てる燃料に過ぎなかった。


 表情は冷静なまま、脳がフル回転する。そして、


「私たちが出て30秒、楽曲紹介を兼ねたMCをします。その後、合図を出すので曲をスタートしてください」


『MC30秒のあとスタートだな。分かった』


「歌いだしは江莉のソロ。お願いできる?」


「もちろん! 任せろ!」


 頼もしい相棒江莉の返事に、口角が上向く。そのまま続けて、曲のパートごとの指示を簡潔に素早く出していく。全てから頼もしい返事が返ってきた。


「以上です。よろしくお願いします」


『おう! 行って、観客を黙らせて来い!』


「っしゃぁ! 行くぜ、みんな!」


 江莉の言葉を合図に、動き出す。


 美羽の脳裏に、中西の隣にいるはずの若い男、この大盛況のライブの立役者の1人が浮かぶ、


 ――いい仕事してくれたなー。

 ――私に最後までいい仕事させてくれるよね。


 舞台袖からステージの上に出れば、そんな余計な考えは消し飛ぶ。


 会場の熱気に包まれてしまえば、頭も体も心も全てが1つのことに集中してしまう。


 ――すべてはライブのために。

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