第4話 C面-1

◇キャラクター紹介

黒江美羽/声優。「ココロスター」に最初から登場するキャラクターの1人、ガーネット・ヴァレンティーナを担当している。「C面」は彼女の視点で進行する。




 **********




 黒江美羽にとって、「ココロスター」は思い入れが深いコンテンツである。演じるキャラクターは、彼女が初めて得た主役級のキャラクターであり、今では彼女の代名詞と言えるキャラクターである。


 だけど、物事には始まりがあれば終わりもある。それは「ココロスター」であっても例外ではない。


 このことを美羽が感じたのは、「ココロスター」が派生ゲームを相次いでリリースした頃だった。アクション、リズム、パズルとリリースしたのは良かった。


 ――仕事も一杯貰えたし。


 それぞれで新規にボイスを収録したから、一時はスケジュールが「ココロスター」だけで埋まった。


 反面、トラブルも多かった。台本が届かない。届いた台本も誤字脱字に収まらないレベルのミスが多かった。収録になっても方針が定まっていなくて、何パターンも録る。急遽修正が入って、後日再収録したこともあった。


 こうした彼女たちが巻き込まれたトラブルだけでなく、ゲームのユーザーが巻き込まれる障害や緊急メンテナンスも頻発した。表に出なかったトラブルも数しれない。


「結局さー、ちょっと無理だったのよ。外の会社にアウトソースしないで、グループ内だけで完結しようとしたのが」


とビールジョッキ片手に美羽に零したのは、「ココロスター」プロジェクトのNo.3で、美羽の飲み友達でもある村中だった。


 美羽と彼女の付き合いは最初は仕事上のだけだった。それが変わったのは、村中が美羽の事務所の先輩男性声優と結婚してから。この時の結婚披露宴での美羽のマイクジャックは、参加者から伝説として語り継がれている。きっかけは、余興を美羽が先輩からするように言われたこと。彼女は余興の定番ネタを選ぶことは無かった。代わりに、新婦と新郎新婦の友人たちから徹底的に馴れ初めを聞き漁った。途中で、


 ――なんでこんなことをしているのかな?


 と思ったりもしたが、好物「恋バナ」で止まれなかった。そして、披露宴でマイクを司会から奪い、新郎新婦の関係を全て暴露した。


「おまえ、結婚式場の司会役に転職した方がいいんじゃないか」


 終わってから、1人はぶられていた新郎の先輩からそう皮肉られた。けれど、これがきっかけで、会場に来ていた業界関係者に顔を知られ、新しい仕事が美羽の下に舞い込んできた。彼女のネット配信番組にスポンサーもついた。なにより、美羽がマイクジャックしている間、ずっと笑っていた新婦の村中とはプライベートでも親友になった。


 だから、美羽は村中から「ココロスター」関連の愚痴も零される。


「本当なら、ソフト開発は1本に絞るべきだったのよ。残りは、外注に出したほうが、リソースに余裕が出来て、こんなデスマーチは起きなかったはずなの。それがさ、ウチのお偉いさんがさ、口を出してきて、『自前でやった方が統一感が出来て、クオリティがアップする』なんて言ったから」

「確かにね、外注に出したら、向こうさんとのすり合わせが大変よ。それでも、ウチのキャパシティを見極めろって! やるなら、もっと予算よこせ!」

「そりゃあ、他のプロジェクトが軒並み一段落していて、余力があった。あったどころかダブついていたけどさー。それだって限度ってものがあるでしょ!」

「美羽、ごめんねー。迷惑一杯かけて。これからも一杯迷惑かけるだろうけど、先に謝っておくねー。ごめんねー」


 絡み上戸、泣き上戸となった友人をあやしながら、


 ――トラブル、これからも一杯起こるのか。イヤだなー。


 美羽は憂鬱な思いに包まれた。


 極みは、2年目を迎えた「ココロスター」のライブでのことだった。


 パフォーマンスを繰り広げていても、美羽は観客の上がらないテンション、冷めた視線を舞台の上で強く感じていた。急降下しようとする自分のテンションはプロ意識で必死に奮い立たせた。


 それでも、エンディングを迎えてアンコールが始まる前に、会場を出て行く観客の多さを舞台袖にあったモニターで見ると、心が折れそうになった。それ以前にエンディングを迎える前から観客は会場を出て行っていた。


 ――アンコールなんて放り出して、このまま家に帰りたい。


 なんていう思いは空元気となった笑顔の裏に隠した。


 舞台袖の雰囲気も最悪だった。美羽と一緒に「ココロスター」の2枚看板のキャラクターの片割れ、アメジスト・ラヴィニアを演じる加藤江莉は、ファンから「モンスター」の綽名を献上されているが、それは彼女の際立った歌唱力、特にライブで発揮する、への敬意と、ライブのエンディングになると必ず、


「もっと歌わせろー!」


と暴れる様から来ていた。それが、今回は暴れることなく、おとなしく舞台袖に下がり、椅子に座りこんでいた。普段なら、


「ああ! 楽しかった!」


「イェーイ!」


と弾ける姿を見せていたのだが、こんな彼女の真逆の姿、美羽はこれまで見たことが無かった。


 さらに、「ココロスター」に加入したばかりの声優たちの中には、このライブに幻滅さえ覚えているように、美羽の目には映った。


「ライブはもっと楽しいんだよ」


 そんなことを言いたかったが、口から出ることは無かった。出せなかった。


 終演後にエゴサーチしたら、当然のようにボロクソの評価がSNSに書きこまれていた。


 >駄ライブ

 >史上最悪最低

 >糞演出

 >演出しょぼすぎ

 >金をどぶに捨てた


 などなど。中には、「こんなライブに付き合わされた演者さんが可哀そう」というのもあった。


 ――……悲しい。


 元凶は、運営会社シンクスフィアから新しく送り込まれてきたライブイベント担当プロデューサーの戸川。会社の将来を背負って立つエリートたちが集まる戦略マネジメント部からやってきた優秀な社員という触れ込みだったが、実際は、


「俺の言うことがすべて正しい」

「面倒くせえ」

「ライブイベントなんかまがい物だろ。こんなことやる必要あるのか」

「大体、このゲームだってもうすぐ終わりだろ」


と堂々と口にする、美羽に言わせると「エロ糞親父」だった。当然、ライブの現場スタッフからは嫌われ、現場を実際に仕切るイベント会社の中西社長とは、顔を合わせるたびに口汚く罵り合う険悪の状態になっていた。


 ――もう、次のライブ……はスケジュール抑えられちゃっているか。その次は本当にバックレようかな。


 こんなことを考えながら、後日、村中を居酒屋に呼び出した。


「ねえ、あのエロ糞親父、クビにできない?」


 切り出された美羽の言葉に、村中は少し目を泳がせたあと、両手を合わせて、


「ごめん、無理」


と返してきた。思わず、思いっきりドスのきいた2語を口にしてしまう。


「なぜ?」


「……悪評が広がりすぎちゃって、どこも引き受けてくれないの」


 怒気を浴びせられてブルっている村中を冷たい目で見てしまう。もし、このまま彼女が口をつぐんでしまえば、言葉のサンドバックにした挙句、ポイッと捨てるつもりだった。そのくらい頭に来ていた。


「だったら、会社から追い出せよ」


「……それはもっと無理。彼が会社の金に手を付けるような、そんな大チョンボをしでかさない限り、会社が彼を追い出すのは無理」


「……はぁぁぁーー」


 村中の返事に、美羽は盛大に溜息を漏らすしかなかった。


「大体、なんであんな奴を引き受けたのさ」


「だって、前の部署と人事がタッグを組んで情報を伏せていたの。だから、私たちだけでなく、上の上の人もカンカンに怒ってるわ」


 しばらくしてから、シンクスフィアで開かれた会議で「ココロスターを潰す気か!」と戦略マネジメント部のトップが吊るしあげられた、という話が噂として美羽の耳に入ってきた。吊るしあげたのはエンターテイメントコンテンツ部のトップ。村中の言う「上の上の人」である。


 同時に、その耳には「エロ糞親父」の話も届いた。自分の悪評を気にすることなく、むしろ、「コストを削減して会社に貢献した」と自画自賛して、悪評も「オレの成功を妬んだ者たちの遠吠えだ」と言っていることを。呆れるしかなかった。


 とはいえ、


「上の人が怒っても、変わらないだろ」


「……まあね」


 美羽の冷静に現実を指摘する言葉に、村中も頷く。


「断っておくけど、このままあのエロ糞親父をライブ担当にしていたら、私たち、遠くないうちにサボタージュするから」


「……やっぱり?」


「サボタージュしなくても、その前に事務所が『ココロスター』の優先度下げて、他の仕事を入れてくるでしょうけど」


「……だよねー」


 実際、「ココロスター」を演じる仲間たちの中には、もう既に他の仕事を入れ始めて、「ココロスター」の優先度を下げた子もいる。


 彼女たちの業界でも、


「今回のライブの失敗が『ココロスター』のヘビーユーザーの大量離脱につながる」


「『ココロスター』はもうすぐサービスを終了する」


 そんな噂がまことしやかに囁かれ始めている。


「あ! だけど、ゲーム制作の方はもう大丈夫。最近入った営業出身の子が優秀で、グダグダになっていた作業ラインをすっきり綺麗にしてくれたの。丸々ひっくるめて全部、全部。本当、すごい子よー」


 村中がまくし立ててくるが、美羽の心を繋ぎ止めようと必死になっている様が透けて見えてしまう。


 だから、他人事のように冷たく返してしまう。


「そう言えば、最近トラブルが無くなっていたね」


 村中の顔に浮かぶ必死さが濃くなった。


「それで、ここだけの話。リソースに余裕ができる目途ができたから、ゲームの第2弾のゴーサインが出たの。まだ企画段階で、表には出せないけど」


「ふーん。そうなんだ」


 今、ここで話してはいけない部外秘の情報なのは分かる。


 でも、美羽の心を繋ぎ止めようとする行動が逆に美羽の心をさらに冷たくしてしまう。


 そんな心情を察したのか、村中の顔に徒労感が浮かぶ。


 以前なら、目を輝かせる反応を示しただろうが、今は……次の新しい仕事のことを考えてしまう。


 だけど、それも難しい。声優「黒江美羽」に「ココロスター」で演じる「ガーネット・ヴァレンティーナ」の色が濃く付いてしまっているから。


 別のキャラクターを演じても、聞いた側に「ガーネット・ヴァレンティーナ」と思われてしまう。


 声優「黒江美羽」が1つの声色の演技力で勝負するタイプだからなおさら。様々な声色を使い分けて演じ分けるタイプなら、また別だった。


 美羽と同じタイプで親友で盟友の加藤江莉なら、その抜群の歌唱力を武器にして、この世界を生き残れる。美羽にはそんな別の武器となるものがない。


 つまり、声優「黒江美羽」が生き残れる可能性は極めて厳しい。


 ――崖っぷち。……どころか、真っ逆さまね。


 冷静に自分が置かれた状況を分析する。


 村中の顔に浮かんだ徒労感を見て、


 ――こっちがその顔をしたい。


 でも、しない。それは彼女のプライド。遠くない将来、「ココロスター」の仕事が無くなって、「ココロスター」以外の声優の仕事も無く、声優ではないアルバイトばかりの毎日が見えていても。


「もしかして、美羽、『ココロスター』、嫌いになった?」


 聞きたくはないが、聞かざるをえない。そんな感じで村中が恐る恐る聞いてきた。


「好きだよ、まだ」


 なんでそんなことを聞くの、と言わんばかりに返した返事に、村中は頭を抱えた。愛想をつかす一歩手前で「まだ」と加えたことが伝わったから。これが今の偽らない気持ち。


 頭を抱えている村中の今考えていることは透けて見える。


 自惚れではないが、黒江美羽と加藤江莉、この2人で「ココロスター」の看板を張ってきたからこそ今がある。


 ――その片方が欠ける? 


 自分から役を降板することはしないが、美羽の高いモチベーションが、江莉を始め他の声優たちを力強く引っ張ってきたのは確かで、村中を始めゲーム制作陣にも影響を及ぼしていた。


 ――黒江美羽が欠ける? 


 村中の目には「ココロスター」が潰れていく未来が映っているように見えた。


 そんな彼女に情けをかけてフォローなんかしない。逆に、


「私たちが『ココロスター』に懸けてきた気持ちを裏切ったのは、あんたたちだろ」


と言い放ちたくなる気持ちを抑える。


 束の間の静寂の後、村中の口から愚痴がこぼれた。


「あいつ、自分から出て行ってくれないかな」


「そう都合のいいこと起きるわけないでしょ」


 友人の願望ダダ漏れの愚痴に、美羽は冷静に突っ込む。


 ところが、それが現実になった。


「ちょっと何が起きたの? あのエロ糞親父が会社を辞めたって」


 この話を聞いた美羽は、思わず村中に電話をかけていた。


『彼に言わせると「ヘッドハンティングされた」そうよ』


「ヘッドハンティングぅ?」


『実際は、転職活動をしてみたら、いい感じの話が舞い込んできた、ってところみたいね』


「その採用を担当した人の目を心配したくなるわ」


『私もよ。噂だと、彼、かなり経歴を盛ったらしいわ。それを向こうさんが鵜呑みにしちゃった、と』


「あーあ。ご愁傷様」


『こっちでもみんな同じこと言っているわ』


「だけど、どうするの? 次のライブまで、もう4か月を切っているよ」


 これが電話をかけた本当の理由。彼が「エロ糞親父」であっても、ライブを開催するためには欠かせない歯車の1つであったのは確かだから。その歯車が欠けた今、村中が属する運営会社「シンクスフィア」はどのように対応するのか、美羽は知りたかった。


 百戦錬磨のベテランを送り込んで「ココロスター」のテコ入れを図るのか、役立たずの新人を送ってきて「ココロスター」を捨てるのか。


「後任は誰? 西野さん……は産休中だったよね。なら北川さん?」


 それぞれ「エロ糞親父」の前任者と、過去に別のコンテンツで中西社長と仕事をした経験が有るベテランなのだが、村中の返事ははっきりしないものだった。


『北川からは中西社長とバトルするのは「もう嫌だ」と拒否られている』


「……なら、どうするつもりなの?」


 当てが外れて、不機嫌になった美羽の声のトーンが露骨に下がる。


『ごめん。少し時間をちょうだい』


 この電話からしばらくしてから美羽の前に現れたのは、社会に出た経験も浅く頼りなさそうな若い男だった。


「今回、ライブイベント担当プロデューサーになりました三田和希荏田和樹です。よろしくお願いします」


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