第3話 A面-3

「「好きです。私たちと付き合ってください」」


 悠希と咲良が、ほろ酔いさを頬の赤みでしめしながら、異口同音に言う。


 何を言われたのか理解できなかった和樹だが、2人の後ろでチェシャ猫な笑みを浮かべた美羽がいたから、


「黒江さん、いたいけな新人に何をさせているんですか。脅したんですか。それとも、罰ゲームですか」


「脅したなんて人聞きが悪い。私は、恋する女の子の背中をちょっと押してあげただけよ」


 ウィンクを飛ばしてくるが、


 ――ウザッ!


 としか和樹は感じない。まだキャラクターの中の人に夢を見ていた昔の頃なら、また違う印象を受けたのだが。


 仕方なく、和樹は、目の前にいる悠希と咲良に視線を向けると、


「とりあえず、2人に1つ忠告。仕事以外のことを黒江さんに相談するのはやめとけ。特に、恋愛ネタはもってのほか。公式プロフィールの好きなものに『恋バナ』とあるのはシャレじゃない。とっても口は軽いし、横のつながりは広いから、あっという間に業界中に広まるぞ。下手すると、配信番組のネタにも容赦なく使われるから、注意しろ。相談する相手なら加藤さんにしておけ。この人には、仕事をねだるだけにしておけ」


「カズキチ、ひどーい。そんなこと言うと、黒江お姉さん、怒っちゃうぞ。ぷんぷん」


 ――古っ! 痛っ! リアルにやられたら引くわー。


 口に出すと、社会的にも物理的にも彼女によって抹殺されることを、和樹は心の中だけに止める。中の和希も頷いて同意している。


「あの、私たち、本気です。黒江さんに背中を押してもらったのは、確かですが」


 美羽に注意がそれていた和樹を咲良が声をかけて、自分たちの方に注意を引こうとする。


「本当に、何をやっているんですか、黒江さーん」


「好きです。三田さんのことが、私たち、本当に好きです」


 再び、美羽に注意を向ける和樹に、今度は悠希がアタックする。


「そうそう。そうやって、ちゃんと自分たちの方に注意をひかせる。カズキチが軽口を叩いて注意を他にそらすのは、この子の逃げる常套手段だから」


 ――チッ! 余計なことを教えやがって。


 心の中だけで和樹は舌打ちしながら呟く。中の和希も頷いて同意している。「三次元の嫁は要らない」という思いも一緒に込めて。


「それで、どうするのー? いたいけな女の子たちが勇気を振り絞って告白してくれているのに。その答えは、どうするのー?」


 そう言って、美羽が煽ってくるのに、和樹は苛立ちしか覚えない。とはいえ、告白されたのは事実だから、


「すまん。その気持ちには応えられない」


 悠希と咲良が顔をゆがませ、目を潤ませるのを見ると、和樹も心が痛い。


 しかも、今回は、その傷口に塩を塗りこんでくるヤツがいる。


「えーもったいない。こんなに可愛い子が2人も告っているのに拒否するなんて、信じらんない」


 美羽が悠希と咲良の後ろからさらに煽ってくるから、和樹はイラっと来る。だが、努めて平静に対応する。感情的に対応すれば、相手の思うところに都合よく誘導させられるから。


「大体、業界の先輩として、新人の将来を思えば、恋愛ではなく仕事に専念するように、諭し導くのがあるべき姿でしょう」


「ふん。そんなの関係ないね」


 あらぬ方向を向いて言い放つ美羽を見て、和樹は、


 ――腹立つなー。


 と思うが、抑える。


「それに、こっちは、あなたがたに仕事をお願いする立場にいる側なんだから、応えられるわけがないでしょう」


「じゃあさ、新人じゃなければいいんでしょ」


「は?」


「5年くらいかな。彼女たちがこの業界で頑張っていたら、ご褒美として、応えてあげたらいいじゃない」


 ――5年も気持ちが続くわけないだろう。


「あ、5年も続くわけないと思ったでしょう。ちっちっちっ。甘いよ、カズキチ。女の子の想いを甘く見ちゃあ」


 内心をズバリ言い当てられて、ドキリとしたが、なんとか立て直す。


「仮に、本当に万が一、5年後も彼女たちからの告白が有効だとしよう。それでも、俺は応えることはない」


「あー、もしかして、悠希ちゃんか咲良ちゃん、どちらか1人を選ばないといけないなんて考えているでしょ」


「?」


「1人だけ選んで、残りを振ったら、仲が悪くなって仕事に問題が起きる。そんなことを考えて、断ろうとしているでしょう」


「……」


「ふっふっふ、甘いな、カズキチ。練乳蜂蜜掛けプリンより甘いよ」


 ――このおばさん、何言っているんだ?


 そう思うのだが、この直後、強烈な爆弾によって和樹はフリーズしてしまう。


「だって、悠希ちゃんと咲良ちゃん、セットなんだもの。カズキチに用意されている選択肢はイエスだけ。悠希ちゃんだけ選ぶ、咲良ちゃんだけを選ぶ、そんな選択肢は、君には無いんだよ」


「……は?」


「お、そのアホ面、もーらい」


 美羽はそう言って、カメラで写真を撮るのだった。


 和樹は後から思った。


 ――黒江さんを巻き込んだのが失敗だった。最初から、悠希と咲良の2人だけを相手にすれば良かった。


 この時の告白劇とそこから続く一連の流れは、美羽の口の軽さによって、あっという間に広まってしまう。和樹のアホ面をさらした写真とともに。






 それから、5年後。


 和樹は、心象風景の中で、和希と向かい合って立っていた。和樹の身体は10年ぶりの自身の肉体であった。だから、和希が鏡で見慣れた今の身体を使っているわけではなく、彼も10年前の身体を使っていた。


「よっ。こうやって会うのは初めてだな」


『そうだね』


「で、なんか特別な用事でもあるのか? この場所を用意したのは、お前なんだろ」


『そうなるのかな? 意図してやったわけではないんだけど』


「どういうことだ?」


『和樹君には感謝しているんだ。僕ではここまでたどり着くことはできなかった。言ってなかったけど、僕も、君と同じように、10年前、君と会ったあの日、死んでいたんだ。どうやって死んだかは話さないでおくよ。昔のことだし、どういうわけか生き返ってしまった。本当は、死にきれなくて、仮死状態だったかもしれない。そして、僕は君と出会った』


 この情報に和樹は少なからずショックを受けた。記憶を漁っても、示唆するものは見当たらない。


「おい、どういうことだ?」


『別れを言いに来たんだよ』


「……冗談だろ」


『冗談じゃないよ。僕は本気さ。10年前のあの時から、僕はいつでもあの世に旅立つことはできた。怖くて旅立つことはできなかったけどね』


「だったら、こっちにいればいいじゃないか。俺は確かに死んだんだ。生きていたお前とは違う。俺があの世に行けばいい」


『確かにね。そうすることもできるよ』


「だろ? お前だったら、1人でもできる。俺のことを一番近くで見ていたんだから、何の心配はいらない」


『本当に? この10年間、君が全部してくれていた。とってかわるなんて無理さ』


「そんなことない。お前がいたから、この10年やっていけたんだ。俺とお前が変わったって、大して変わらない」


『ふふっ。この10年間、君の心の片隅に僕を置いてくれたことには本当に感謝しているよ。ありがとう。君のおかげで、素晴らしい景色を見ることができた。10年前、シンクスフィアに就職したけれど営業でくすぶっていた僕には、「ココロスター」に関わることができるなんて、夢にも見ることができなかったよ。本当にありがとう』


「……おい、本当に往くつもりなのか?」


『うん。ようやく旅立つ心の準備ができたよ』


 和希が晴れやかな笑顔を浮かべている。


 でも、10年の付き合いは、その笑顔の裏に隠れているものがあることを、和樹に教えていた。


 だから、暴きにかかる。1人だけあの世に往って、残されるのは我慢ならない。


「……で、その本音は?」


『うん? 何のことだい?』


「本音はどこにある?」


『……ああ、あるさ! 本音は別にある!!』


 和樹の次第に据わっていく視線の圧に、和希はついに耐えきれなくなった。


『三次元の嫁は要らないってさんざん言ってきたじゃないか! なのに、なんだ。嫁が来る? しかも、2人も? マジで信じらんないよ。そんな生活、耐えらんない! マジで耐えらんない。想像するだけでもダメ! だから、往く。文句ある? あっても言わせないよ。じゃあね。バイバーイ』


 気がつくと、和樹の視界は、見慣れた自室の天井を映していた。通信端末を手にとって、時間を確認すると、目覚まし代わりのアラームが鳴る5分前を示していた。起き上がって、洗面台の鏡で自分の姿を確認すると、10年間毎日見続けた姿があった。


 ただ、違うのは、心の中にあるはずのモノが無くなっていること。


「あいつ、言いたいことだけ言って、勝手に往きやがった」


 ――三次元の嫁? しかも、2人? そんなこと、俺だって信じられねーし、分からねーよ。


 5年前、美羽の暴走に手を焼いた和樹は、美羽を止められる数少ない人物である江莉に相談した。が、返ってきた返事は、


「え? いいじゃない。なんか問題ある?」


 頼みの綱が切れてしまっていることを知ってしまった。それでも、いくらかの可能性にすがる。


「いやいや。問題あるでしょ。俺、彼女たちのこと、何も知らないし、対外的にも彼女たちが今後活躍していくのにイメージに傷つくでしょ」


「ふーん。ま、知らない分はこれから知っていけばいいでしょ。それとも、カズキチは実は他に恋人がいたりするとか?」


「……いますよ、恋人ぐらい」


「はい、ダウト。嘘つくならもっとそれらしい嘘つかなきゃ。今のカズキチ、嘘ついているってバレバレだよ」


 あっさり嘘がバレてしまった和樹は、溜息とともに本音をこぼす。なお、和希は恋人いない歴=年齢で、和樹は高校生の時に一度だけ付き合ったことがある。


「……結局、俺なんかのどこがいいんですかね? その困惑の方が先に来てしまうんすが」


「とりあえず、仕事ができる。依怙贔屓えこひいきしない」


 さらにその続きを和樹は待つが、江莉は口を閉ざしたまま。ニヤニヤ笑って、勿体つけるだけ。我慢できなくなって、


「……それじゃあ、あの2人の行動には結びつかないと思うんですが」


「もちろん、聞いて知っているけど、あの子たちが恋に落ちた理由は秘密。けれど、先日のライブの前に、カズキチが2人に活を入れたのは、違うよ。ダメ押しにはなったけれどね」


 ――そう言われても、2人とは、ライブ前は打ち合わせで何回か会っただけで、特別なことしていないはずなんだけどな。

 ――何か他にあるのか? あったのか?


 そんなことを和樹は考えるのだが、実際はそこに答えがあった。


 和樹は、悠希と咲良が新人だから、ライブ前にキメ細かなフォローをしていた。時には厳しく、時には優しく、あるいは2人が緊張していると見れば下手なジョークを飛ばして笑わせようとしたり、と。和樹からすると、大事な新人を潰さないように少しだけマメに見ていただけだった。だが、それを知った美羽や江莉たちが、「メチャクチャ羨ましい」と思ったり、実際に口に出して言ったりするほど、手厚いもの。ライブ前に2人が潰れかかったのも、周りへの申し訳なさも、出来ない自分への不甲斐無さもあったが、フォローしてもらった和樹への申し訳なさの分も、かなりの割合があった。


 それを、ライブ前に和樹が全て振り払った。結果、2人揃ってコロリといってしまった、わけだったりする。悠希と咲良の2人が互いを蹴落とさずに独占に走らないのも、この時の経験を共有している同士であるからと、初めて出会った時から特別なシンパシーを感じるほど相性が良かったから、だったりする。閑話休題。


 江莉の説得をあきらめた和樹は、次は、悠希と咲良のマネージャーと話をつけることにした。


「あの2人の行動は、事務所的には問題ないの?」


「そりゃあ、ウチとしては、彼女たちには仕事に専念してもらいたいですよ。ですが、そもそも、ウチでは恋愛禁止を掲げていないですし、今更、恋愛禁止と言っても無理でしょう」


 今更、恋愛禁止を掲げても、所属する声優たちからは絶対に反対される。2人だけに限定しても、彼女たちを後押ししている美羽や江莉はもちろん、他の「ココロスター」の声優たちからも総攻撃を受ける。


「なら、仕事を詰め込んで、恋愛にかまけられないようにするとか」


「無理言わないでくださいよ。彼女たち、まだまだ新人ですよ。『ココロスター』のおかげで、新しい仕事が来そうですが、まだまだそんなレベルではないですから。ウチとしては、彼女たちにはきちんと段階を踏んで成長してもらいたいですし」


 もっとも、和樹を見るマネージャーの目は「モゲロ」と言っている。可愛い女の子2人から想われていることへの嫉妬も一緒に。でも、表には出さずに、建前だけを口にして来る。


「一応、ウチにもメリットはあるんですよ。2人が高いモチベーションを持って、仕事に打ち込んでくれていますし、2人を応援している『ココロスター』の演者さんたちが現場で惜しみなくサポートしてくれますから。知ってますか? 『売れるまで付き合わない、なんてことを言ったカズキチをノックアウトしよう!』 そんな合言葉が彼女たちの間で広まっていることを」


「知ってますよ」


 知った時には「やれるものならやって見せろ」と強がって見せた。


「まあ、5年も続くわけないですよ」


「そうだよなー」


 マネージャーの言葉に和樹は同意するものの、その言葉には和樹が考えている2人が諦めるという意味の他に、和樹が2人の攻勢に降参するの意味が含まれていることに、和樹は気付いていなかった。


 それから、5年。悠希と咲良はいまだに和樹への想いを断っていないし、和樹も2人を受け入れていない。


 3人の関係を知って、その事情は知らない人からは、和樹は「二股男」のレッテルをつけられる。事情は知っている人からは、


「まだやっているのか。お前も強情だな」


などと言われる。「頑固者」「意地っ張り」そんな評価も定着していたりする。


 5年もあれば、いろいろなことが起こった。「ココロスター」とコラボした世界の歌姫からの熱烈なラブコール、もちろん仕事上のもの、を悠希と咲良が思いっきり拗ねて不貞腐れてしまったり。


 美羽なんかは、気がはやいことに、


「結婚するときは、私も呼んでねー。スピーチを8時間くらいやって、あなたたちのこと全部さらしてあげるわ」


と言っている。実際、彼女の事務所の先輩の結婚披露宴の際、マイクジャックした前科がある。一応、場を非常に盛り上げたことで、先輩からは許されたらしい。


 和樹が「ココロスター」の公式生配信に出ることになった際には、視聴者が聞き苦しくないように、滑舌を鍛えることにした。その指導役を、悠希と咲良を頼むことにした。本当は、その時出演する予定だった江莉に頼んだが、はめられて、2人に依頼が行ってしまった。そんなこともあった。


 和樹からすると、2人は、容姿は最初からドストライクだったし、5年が経つうちに、さらにますます綺麗になった。そして、接する機会が増えれば、情も湧く。だから、5年経っても、いまだに諦められていない現状に、


 ――まあ、仕方ないか。


 と考えるまでになっていた。内堀外堀を埋められて、遂に降伏する、と言い換えることもできる。


 最後の抵抗勢力(?)だった和希もいなくなってしまった。


「『昨日に別れを告げて明日へ歩き出そう』か」


 「ココロスター」の中の大好きな楽曲「リ・スタート」のフレーズが和樹の頭に浮かんで、口を突いて出てしまう。


 ちょうど、あのライブから5年が経つ日を迎える前に、美羽と江莉に相談していた。


「彼女たちを受け入れることにしたので、どういう演出をしたらいいか、意見を聞かせてもらえませんか」


と頭を下げて。マネージャーにも話を通して、わざわざ、この日の午後から2人の予定を開けて、オフにしてもらった。そして、ある種職業病を発病させて、いろいろと演出を準備していたりする。


 もっとも、


 ――付き合い始めても、自然消滅するだろうなあ。


 と和樹は考えていたりするが。


 というのも、悠希も咲良も、今では「人気声優」の肩書きがつくまでに成長している。最近は「ココロスター」一本に仕事を絞りつつあるが、それでもスケジュールは1年先までみっちりと埋まり、2年先もほとんど埋まるほど。和樹は今も「ココロスター」にかかわっている。しかも、ライブに加えて、配信などのリアルイベント全体を統括するようにもなった。仕事は増え、忙しさは増している。


 3人とも、忙しく、結果として、付き合い始めても、すれ違いが多くなる。だから、「自然消滅」という予想が和樹の脳裏に浮かんでいるのだが、その予想が当たるかどうかは、また別の話。


 「ココロスター」にまつわる物語は時間を巻き戻し、語り部も交代する。

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