第4話
「……もう大丈夫だ。励ましてくれてありがとう、フルミー」
「本当にもういいの? タイキ。もっと甘えてくれてもいいんだよ? だってわたし達は夫婦なんだから! 辛い時は支え合うのが正しい夫婦の姿だよね?」
「気持ちは嬉しいが、甘え過ぎてしまいそうだからな。もう十分だ」
ここが地球でも日本でもないと知り、深く絶望した後。
アスファルトを叩き割った所為で集まった人の目を避けるべく、俺は人混みを避けて別の場所へと移動した。人通りがほぼないうらぶれた裏路地のような場所だ。
ここなら誰かに見られる事もないし、フルミーに甘える事も出来た。
……彼女の母性が強すぎて際限無く甘やかしてくる事は問題だが。
自制しないと底なし沼みたいにいつまでも甘やかされる事になる。
一度だけ体験してみた事があるけれど、あれはマジでヤバい。でろでろに溶かされて何が何だか分からなくなる。言語能力すらほぼ失っているような状態だった。
正気を取り戻して以来、俺は二度とあんな醜態は晒さないと誓った。
「転移が失敗したのはもうこの際仕方ない。あれは恐ろしく複雑な魔法だからな。多分俺が認識出来ていない範囲でミスがあったんだろう。100年も掛けてタイミングも入念に見計らって、それでもなお失敗した。ならもうそういう運命だったんだ」
「それでいいの? あんなに時間を掛けてでも帰りたかった場所なんでしょ?」
「未練がないとは言わないけど一度帰れたと思った所為かな。気が抜けたんだ。それにここは本当に日本に似てる。ならもうここでいいかなって考えてるんだ」
どうせ日本に帰れたとしても、家族は全員死んでるだろうしな。
声には出さず、彼女に聞こえないよう口の中でだけ言葉を続けた。
フルミーはそっかと頷き、それ以上話を続ける事はなかった。
「よし! それじゃあ俺も無事立ち直れた事だし、この国――アズマ皇国で生活する手段を考えないとな。現状、俺達には宿すらない。最悪一晩二晩くらいは野宿で凌ぐとしても、これからずっと暮らしていく事を考えると稼ぐ手段は欲しい」
「仕事を探すって事? このアズマ皇国? にはどんな仕事があるのかな」
「これだけ日本に似てるんだ。なら仕事自体もそう変わらないはず。簡単に就ける仕事と言えばバイトとかか? ……でも俺、バイトした事ないんだよな」
親が多少裕福だった事もあり、子供の内に稼ぐ必要がなかった。
クラスメイトがバイトした話を聞いた事はあるが、それだけだ。
「あ! ねえねえ、探索者っていうのになってみたらどう? 聞いてる限りじゃ戦って稼ぐ仕事みたいだし、タイキは向こうで沢山戦ってきたでしょう? 少し勝手は違うかもしれないけど、大英雄とまで呼ばれたタイキならすぐ慣れると思うの!」
「探索者か! いいな、実は俺も気になってた。ゲームやアニメで聞いた事はあるけど、現実にそんな職業はなかった。どういう仕事なのか見て見たかったんだ」
探索者なんて名前なんだ。一体何処を探索するんだろうな?
見た感じの印象ではあるが。この国にコルウェルの神、精霊、妖精、魔獣みたいな戦うべき敵がいるようには思えないんだよな。空気が平和、というか。
100年間戦い続けて培った感覚だ。信用は出来ると思う。
「なにあれ決まった以上、善は急げだ。早速探索者の成り方を探してみよう」
「うん! 出来るだけたくさんお金を稼げる仕事だといいね、タイキ!」
「申し訳ありません。探索者として登録する方には必ず国民証を提示して頂く決まりになっています。探索者になるのであれば国民証を手に改めて来ていただくか、もしくは3級以上の武装貴族家に専属探索者として仕官するかの二択になります」
「……あー、まあそんなもんだよな。分かった。改めて出直してくるよ」
探索者になると決めた俺は早速道行く人々への聞き込みを開始。
組合で登録すればすぐなれると聞いて向かったのだが……流石に、そんな簡単に成れる訳がなかった。元より俺は別の世界の住人。単なる根無し草なのだから。
国民証が必要と聞き、俺はすごすごと組合から撤退する羽目になった。
「うぼぁ。……そうだよな。これだけ似てるんだ、当然そういうのもあるよな。なんで気付かなかったんだ俺!? 少し考えれば分かる事だろう……っ!!」
緑豊かな公園。設置されたベンチに腰掛け、俺は頭を抱えていた。
国民証ってなんだよ!? 語感からして多分身分証かそれに近い何かなんだろうけど、まさかそれが無い所為で探索者になれないとは思わないだろう……!?
そもそも俺が日本で暮らしていたのは、もう100年も昔の事だ。
しかも当時はまだ高校生。戸籍とか住民票といった役所関連の書類は親がやっていて俺が関わる事なんてほぼ無かったから、完全に頭から消え去っていた!
こうなると分かっていれば、頭の片隅に残しておいたのに……!!
「くそ、慌てて撤退した所為でもう一つの成り方も詳しく聞けなかった。武装貴族ってなんだよっ。こんなに日本に似てるのに、この国には貴族が現存してるのか?」
貴族と民主主義は相容れないって聞いた覚えが……いや、どうでもいいか。
そんな事より探索者になる方法だ。受付の人が言ってたが、武装貴族家に仕官すれば探索者になれるってのはどういう事だ? そもそも武装貴族ってなんだ?
この国、日本にそっくりなようで変な所で全然違うじゃないか。
「んん、結局どういう事? タイキは探索者に成れるの? 成れないの?」
「……今のままだと成れない。どうにかして国民証とやらを作るか、武装貴族とやらに仕官するかしないとな。どちらにしても簡単に出来る事じゃないが」
可能なら武装貴族とやらへの仕官を試したいが……伝手はないしな。
はぁ。これならコルウェルに残っていた方がまだマシだったな。向こうでは力さえあれば大抵の事はなんとかなった。身分だなんだと気にする必要もなかった。
……いや、これは求められるものの違いなのか?
コルウェルではまず力が必要とされた。人間は弱く、世界は危険で。とにかく力が無ければ生き残る事さえ出来ない環境が当たり前だった。だから向こうでは力を持つ者が何よりも持て囃され、そいつの人間性なんて大した問題じゃなかった。
けどこっちでは違うんだろう。アズマ皇国ではまず信頼が求められる。
国民証の提示を求められたのもその為だろう。この国では身分を保証されているのが当たり前。それ以外の人間は想定されていないか、されていても個別に対応する必要がないと考えられている。恐らく人間が簡単に減ったり増えたりしないから。
安全な国なんだろうな、と思う。良い国なんだろう、とも。
……コルウェルに慣れた俺には面倒としか思えないが。こんな事で向こうに戻りたくなるとか想像してないって。色々雑で大雑把だったあの世界が恋しい。
「いっそ偽造とか……いや、無理か。そもそも実物を見た事ない。それっぽい物を作るだけなら多分いける。けど詳しく調べられたら確実にバレるだろうしな……」
「ねえねえ見て見てタイキ! なんか変な色の煙が出てる!」
「変な色の煙? ――あれは……もしかして発煙弾の煙か?」
胸ポケットの中から、フルミーがはしゃぎながら指を差す。
見れば、何故か街中のビルから赤色の煙が発射されていた。
過去に見たミリタリー系のアニメを見た事があるから知ってる。あれは軍隊とか自衛隊なんかが使う発煙弾の煙だ。緊急時の連絡に使ったり煙幕として使うやつ。
不思議と近くに軍隊の姿は見当たらないが。見えない場所にいるのか?
……というか、あれビル貫通してないか? どう見てもしてるよな?
なんだあの謎技術。一体どういう発想からあんな物が作られたんだ。
やっぱここ、日本じゃないんだな……。あんな謎技術があるくらいだし。
「ねえタイキ、あそこ行ってみない? なにがあるのか気になる!」
「そうだな……どうせ行く宛てもない。少し寄り道してもいいか」
「やたっ! じゃあ早速行ってみよ? あそこ何があるんだろうね!」
はしゃぎ回るフルミーに癒されつつ、俺はビルまでの道を歩く。
考えるのは当然、何故か街中で打ち上がった発煙弾の事。どうして騒ぎが起きてもいない街中で発煙弾を撃つ必要があったのか。俺はそれが酷く気になった。
テロリストでもいた、とかか? ……それならもっと騒がしくなるか。
個人が悪戯で使ったとかも考え辛いよな。ああいうのって普通、民間には出回らないだろう? だから最低でも軍の関係者があのビルの中にいるんじゃないか、って予想してるが。だとしても、安全な街中で発煙弾を使う理由はなんなんだろうな?
「……これ以上考えても仕方ない、か。どちらにせよ行けば分かる事だ」
「タイキー! 早く早くぅ! 煙がもうすぐ消えちゃうよー!?」
「はいはい分かった分かった。そう焦らなくてもビルにはすぐ着けるさ」
できれば今の状況を改善する何かが見つかるといいが。……無理か。
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