第2話

「――球体型多層連結魔法陣、起動準備完了。魔力充填率100%。設計図との想定誤差0.0001%未満。エラー除去完了。記載ミスによるトラブル――無し」



「……よし。よしっ、よぉしっ!!! これで遂に俺は――地球へ帰れる!」

「やったねタイキ! これまでの努力が報われたんだね、おめでとう!」

「あぁ、ありがとうフルミー。これもお前がずっと支え続けてくれたお陰だ」


 薄暗い部屋。コルウェルにある自身の屋敷の一室で。

 俺はガッツポーズを決め、勝利の雄叫びを上げた。


 コルウェルへ来て100年。遂に俺は地球へ帰還する手段を手に入れた。


 正面で浮遊するのは無数の魔法陣が連なって出来た巨大な球体。

 世界間転移魔法陣『我が懐かしき故郷への道を拓けテレポーテーション ゴー ホームランド』だ。


 青色の燐光を放つこの球体こそ、帰還の道を切り拓く鍵だ。


 隣で魔法陣の完成を喜ぶのは白髪赤目の妖精、フルミー。


 彼女とは80年前、帰還の手掛かりを得る為に赴いた場所で出会った。“人の願いを叶える妖精がいる”という噂の元となった、夢見る感情から生まれた妖精だ。


 出会いから紆余曲折あり結婚して以来、彼女にはずっと助けられてきた。

 彼女が大喜びする様に、俺は改めて100年の努力が報われた気がした。


「おお、遂に完成したんだね愛弟子。おめでとう! 素晴らしい偉業だ」

「来てくれたのか師匠! あぁ、結局100年掛かってしまったけどな。けど師匠が拾ってくれなければこんなに早く成果が出る事はなかったはずだ。それどころか転移直後に命を落としていただろう。改めて礼を言わせてくれ。ありがとう、師匠」

「はは、どういたしまして。けれど結果を出せたのは結局、キミが故郷への帰還を諦めなかったからだ。キミの故郷への想いが結果を紡いだ。それは忘れないでくれ」

「大丈夫だ。とっくに胸に刻まれてる。何があっても消し切れないほど深く」


 それもそうだったね、と師匠は黄金色に笑った。


 師匠との付き合いも100年になる。コルウェルに転移した直後。つまり17歳で師弟関係を結んでから、間違いなく俺の人生で最も長く関わりを持ち続けた人だ。


 数千年を生きる師匠には僅かな期間でも、俺にとっては人生のほぼ全て。


 口に出した事こそないが、師匠の事はずっと前から母親のように想っている。


「それで……やっぱり帰るのかい? この世界に残る気はないのかな?」

「悪い、師匠。どうしても諦めきれないんだ。ずっともう一度日本の土を踏みたいと考え続けてきた。今更それは取り消せない。その為に人生を捧げ続けてきたんだ」

「100年は短いようで長い。キミの知る全てはきっと無くなっているよ?」

「それでも構わない。例え俺の知る全てが変わっていようと、もう一度だけ記憶にあるあの世界をこの目に映したい。その想いが今日まで俺を生かし続けてきたから」


 そうか。決意は変わらないんだね。師匠は寂しげにそう言った。


 それから一ヶ月。地球へ帰還する準備を整えつつ、俺はコルウェルで関係を築いた多くの人達へ別れの挨拶を行った。悔いが残らないよう一人一人に時間を掛けて。


 挨拶を行った多くの人は、驚きつつも俺との別れを惜しんでくれた。


 俺は日頃から故郷へ帰る為の研究を行っていると公言していた。だから多くの人は驚きつつもいつかこんな日が来ると予想していたみたいで、別れを惜しみつつも俺が故郷へ帰れる日が来た事を祝ってくれた。

 引き留める人は少なく、最後の思い出を作ろうと色々な人が贈り物をくれた。


 とはいえ中には本気で引き留めようとする人達も居て、だいぶ困らされたが。


 国中の娼婦を使って色仕掛けを行い、この世界から離れられなくしようと考えた娼婦達の元締めがいたり。大勢の騎士を投入して街中で大捕り物を演じ、物理的に帰れないよう画策した国家元首がいたり。他にも大勢が俺の帰還を妨害してきた。


 なんでそこまでするんだ!? と終始驚かされっぱなしだった。


 ……ただそうさせるほどコルウェルの人々と絆を深めたのだと思えば、決して悪い気はしない。俺にとってもここは人生の多くを過ごした第二の故郷と呼べる場所。そんな世界での最後が騒がしくも楽しい思い出に彩られた事を、俺は幸せに感じた。


 そしてコルウェルで夜を明かす最後の日。

 帰還の前日には盛大な送別会が開かれた。


「タイキ。そなたのお陰で我らは怯えず生きられる日々を手に入れた。これは後の人類史に誕生するどの英雄、どの偉人にも成し遂げられぬ前人未踏、不朽不変の偉業である。我らコルウェルの民はそなたに受けた恩を絶対に忘れぬ。――ありがとう」

「……あぁ。この世界での記憶は幸せなものばかりじゃなかったが、それでも俺の行いで救われた誰かがいるのだと、決して無意味ではなかったのだと今確信した。俺は明日去るが、この世界を第二の故郷として想う心は忘れない。――どうか元気で」


 厳粛な空気。集まった多くの人達の注目の中、互いへの別れを告げる。

 中には感極まって泣き出す人もいた。空を仰ぎ肩を震わせる人も。そんな彼らに俺は声を掛ける事はせず、去り行く者の責務としてただ彼らの表情を胸に刻んだ。


 その後は――


「よーし、辛気臭い空気はここまでだッ! 騒ぐぞ、お前たち!!!」

「「「おーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!!!!」」」


 ――集った誰もがハメを外し、どんちゃん騒ぎを繰り広げた。


 飲めや歌えや踊れや騒げ。誰もに笑み浮く大騒ぎ。

 泣く子も咽ぶ子も嘆く子もおらず、誰もが歯を見せ大騒ぎ。


 暗い夜を吹き飛ばすような大騒ぎは日が昇るまで行われ続けた。


 人々が解散したのはもう少しで昼になろうかという時間帯。

 帰ろうとする人達へ俺は最後に一言ずつ別れの言葉を告げていく。


 全員を見送ると、俺の隣には師匠とフルミーだけが残っていた。


「みーんないなくなっちゃったね、タイキ。……寂しい?」

「あぁ。寂しいさ。『我が懐かしき故郷への道を拓けテレポーテーション ゴー ホームランド』は一方通行の魔法。この世界に戻る手段はない。もう二度と彼らに会えないと思うと、少し心が苦しくなる。……でもそれが俺の選択だ。この世界に来た時からずっと、地球へ帰る事を目標にしてきた。今更それは変えられないし、変えたくもない。もう二度とこの世界に戻る事が出来ないとしても、生きて故郷に帰ると誓ったから。だから俺は、必ず地球へ帰る」

「個人的には相互に行き来する魔法を完成させてからでいいと思うが……ま、それもキミの選択だ。精々全力を尽くすといいさ。この世界に悔いが残らないようにね」


 そして――とうとう地球へ帰還する時間がやってきた。


 妻であるフルミーと共に、青の燐光を放つ球体型魔法陣の正面に立つ。


 故郷日本への帰還はずっと俺が望んできた事。

 だがいざ実行する直前になると、流石に緊張を隠せなかった。


 本当に世界間の転移など成功するだろうか?

 魔法陣はミスなく刻印できていただろうか?


 不安ばかりが頭を過ぎり、今にも転移を中止してしまいたくなる。


「タイキ、不安なの? ――大丈夫! 貴方は今までたくさんたくさん頑張ってきたんだもの。きっと成功する。自分がこれまで積み上げてきた努力と執念を信じて!」

「……あぁ、信じるよ。絶対に成功する。今日の為に沢山積み重ねてきたんだから」


 握り締めた小さな掌から、彼女の温かな気持ちが伝わってくる。

 繋いだ手の温もりと純粋な信頼の眼差しが、今の俺には何より心強い。


「そうだ。忘れる前に渡しておこう。愛弟子、これを受け取ってくれ」

「……これは? 何かしら魔法が掛かっているのは分かるが」


 師匠から投げ渡されたのは純マナメタル製の武骨な指輪だった。


 それは、アクセサリーとしては身に付けるには飾りっ気が無さ過ぎた。

 装備として使用するにも、マナメタルはそれ自体が魔力を発している所為で使用者の魔法発動を阻害するのはよく知られた話。


 教えてくれた師匠が今更そんな初歩的なミスをするとは思えないが。


「なに、ちょっとしたお守りだよ。肌身離さず身に付けていてくれ」

「……分かった。師匠がそう言うなら付けておくよ」


 指輪にチェーンを通し、首からかけた。

 ちょっと武骨すぎるが、まあ悪くない。


 フルミーと陣へ入ると、魔法陣が起動し高速で回転を始めた。

 同時に、俺達の身体が回転する魔法陣の中心に浮かび上がる。


 転移する物体を確定する為、魔法陣が対象物とそれ以外とを切り離す魔法を発動させたからだ。以降魔法陣は中と外で完全に遮断され、外部の介入は不可能になる。


 中から外はほぼ見えなくなり、傍で見守る師匠だけが鮮明に浮かぶ。


「愛弟子。――いや、タイキ。キミを拾ってからの100年は、数千年の人生が霞むほど楽しいものだった。ありがとう。私にこの幸せを教えてくれて。あの時、私の元に現れてくれて。今だから言うけれど、キミの事は息子のように想っていたよ」

「俺もだ、師匠。……俺も、あんたを母親のように想ってた」

「嬉しいね。私たちは両想いだった訳だ。こんな事なら早く伝えておけばよかったかもしれない、……なんてね。元気でね。病気には気を付けて。キミは無茶ばかりするんだから、健康には特に気を遣うんだよ? この世界からキミの事を想ってる」

「……あぁ、ああっ。もちろん、もちろんだっ。あんたも、元気で!」

「うん。……そろそろかな。いってらっしゃい。我が息子。いつかまた」

「――行ってきます、母さん。あぁ、また会おう。遠い時間の先で」


 目尻に涙を浮かばせた母さん師匠の笑みを最後に、――次の瞬間。

 俺達は溢れんばかりの光に呑まれ、コルウェルから転移した。

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