第12話 退職

 それから時は流れ会社を辞める月末当日。


 理は今日も普通に仕事をしていた。会社のみんなはそれぞれが彼に餞別を贈り、前向きな言葉をかけてくれる。それでも仕事が始まれば普段どおりの一日だ。何も特別なことはない。


「いよいよだね」


 喫煙所でタバコを吸っている理のもとへ、眞鍋が顔を出した。


「うん」

「いいなぁ、私も自分の好きなことしたい」

「もうやってるじゃん」

「そうだけど、私はまだ何も形になっていないから」

「できるかもわからないしね」


 そう言うと、眞鍋は少し寂しそうな表情を浮かべる。


「また、連絡してよ」

「うん」


 タバコを吸い終えると、二人揃って事務所の中へ。再びそれぞれが仕事に取りかかる。その日はとくに忙しくなることはなく、そのまま閉店を迎えた。


「ありがとうございました」


 理は改めてみんなに頭を下げる。社長は固く握手をして目には涙を浮かべていた。彼がいなくなるのが寂しいようだ。


「髙平くん、頑張ってね」


 社長がそう言うと、理は照れくさそうに「はい」と答えた。


「髙平くん、一緒に写真撮ろっ」


 眞鍋がスマホを持って笑顔を向けてくる。


「パシャッ」


 初めて会社の人間と一緒に写真を撮る。眞鍋が隣に立つと、いい匂いがした。理はそれだけで少しドキッとする。


「じゃっ、改めてお世話になりました」

「ありがとうございました」


 最後にもう一度、みんなに向かって感謝の言葉を口にし、理は会社をあとにした。


 会社からの帰り道は普段どおりスーパーへ立ち寄る。お惣菜や飲み物を買ったあとは、ガチャガチャのコーナーへ。今回はとくに欲しいものが見当たらず、端まで見るとグルッと回ってそのままスーパーをあとにした。


 自宅に帰ると、お風呂と食事を済ませ、ノートPCの前に座る。webライターの仕事だ。これまでは副業だったが、今からは本業。気持ちも引き締まる。


 一記事完成したあとは動画サイトで、自然の風景を見ながら一服だ。今まではふたつの仕事を掛け持ちしていたが、webライターが本業となり、完全に自分のペースで仕事ができる。


「これから頑張らないとな」


 そう呟いた彼の表情は明るかった。これから始まる未来に希望を持っていたのだ。


 ―――そして、次の日


 理は今日一日だけは完全に休みにした。それはそうだ。彼は昨日会社を辞めたばかり、一日ぐらいは休みたいものだ。だが、休みの日でも彼は朝から起きる。朝の静けさや空気感が好きだからだ。


「ん~」


 背伸びをしながらベッドから起き上がると、部屋のカーテンを開ける。窓から入ってくる朝日はとても気持ちいい。外からは小鳥のさえずりも聞こえてくる。


「はぁ~」


 全身から力が抜けるように息を吐くと、彼はソファーに座り、タバコに火をつけた。昨日まではやることがいっぱいだったが、今だけは何もない。いつも以上にのんびりした朝を過ごす。


 顔を洗い、歯を磨いたら朝食の用意。いつもどおりクロワッサンをトースターで温めると、コーヒーを淹れる。やってることはいつもどおりだが、心と体は普段よりも軽かった。


 食事を用意したあとはテレビをつけ、動画配信サービスで見たいものを探す。


 ――一日で見られそうなドラマがあるな


 そう思った彼は今日一日をドラマを見て過ごすことに決めた。その後はソファーに寝転がり、ダラダラと時間を過ごす。今までもしてきたことだが、今日だけはいつものダラダラとは感覚が違う。気兼ねなくダラダラできるのだ。


 彼はそのまま夕方まで過ごすと、お風呂でシャワーだけ浴び、晩御飯の買い出しへ。スーパーで数日分の食料を買い込み、食事をしながら再びドラマを見る。


 ――よく見たな


 最後までドラマを見たあと、彼はノートPCの電源を入れた。動画サイトで自然の風景映像見ながらをボーっと過ごしていると、突然スマホが鳴った。


「~♪」

「ん?」


 画面を見ると、そこには「眞鍋さん」と表示が。「なんだろ?」と思いながら電話に出てみる。


「もしもし?」

「もしもし、髙平くん?ご飯行こうよ」

「へっ?今食べたよ」

「えぇ~!」


 眞鍋の突然の誘いはあえなく砕け散った。


「じゃあご飯買ってウチおいでよ」

「は?いきなり?何する気?」

「何もしないよ!」

「当たり前だよ!」

「じゃあテキトーに買っていくね」


 そう言うと電話を切る。眞鍋は過去に何度か理の家に来たことはあったが、それは忘年会などで彼女の車に乗り合わせて行ったからだ。ただ、そのときは家まで送ってくれただけ。中には入っていない。


 しばらくしたところで彼女からもう一度電話が鳴り、玄関から外に出てみると、眞鍋が駐車場に立っていた。


「そこ車止めていい場所だから」

「わかった」


 眞鍋は自分の車を止めると、彼の元へ。手にはコンビニで買ったお弁当と飲み物が入っている。


「おじゃましまーす」

「どうぞ」


 そう言うと、二人はリビングへ。理がソファーへ座ると、眞鍋は床に座り、お弁当をテーブルの上に置いた。


「今日はどうしたの?」

「いや、何してるかなって」

「丸々一日休んでた」

「そうなんだ、ゆっくりできた?」

「うん、海外ドラマ一本見ちゃったよ」

「あっレンジ貸して」

「勝手に使って」


 眞鍋はお弁当をレンジで温める。


「私、今通ってる夜間学校卒業したらさ、フランスに留学しようと思うんだよね」

「えっ?すごい」

「3ヶ月ぐらいの短期だけどね」

「フランスは絵を学ぶのにいいの?」

「うん、実際に画家も多いしね」

「へぇ~」


 理は眞鍋のやろうとしていることに驚いた。海外で学ぶというだけで、どこか本格的に感じたからだ。


 そうこうしているうちにお弁当が温まった。それをテーブルへ置き、蓋を開けるといい匂いが部屋中に広がる。どうやらハンバーグ弁当を買ってきたようだ。

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