第9話 休み

 次の日、理は会社を休むことにした。とても仕事ができるような精神状態では無かったからだ。昨日はすぐに眠れたものの、今朝は早くに目が覚めてしまい、ちょうど今店長へ休むことを伝えたところだった。


 ――せっかく調子よく仕事できてたんだけどな


 そう思いながら理は朝食のクロワッサンを口へ運ぶ。サクッとした食感が心地いい。口の中に広がるバターの味わいが、少しだけ彼の心と体をほぐした。


 ――美味しい


 クロワッサンを一口食べれば、コーヒーを一口飲む。そうして静かに朝食を終えると、食後の一服。タバコに火をつけ、ソファーに思い切りもたれかかる。


 ――みんなと一緒に仕事してると、やっぱり上手くいかないな


 理は昨日までの自分を振り返り、何がいけなかったのかを洗い出そうとする。自分に悪い部分があったのは理解したが、それでも彼にとっては一生懸命仕事をしていただけなのだ。


 ――僕も一生懸命だったし、みんなも一生懸命だった


 会社は組織だ。だからこそチームプレーは必須であり、個人が好き勝手ばかりしていると、他の人間にしわ寄せがくることもある。


 ――自分だけで仕事ができたらな…


 理は改めて組織の難しさを感じ、それと同時に自分ひとりでできる仕事が無いかを考える。


「あっ!?」


 ふと何かに気付いた理は声をあげた。


 ――そうか、webライターの仕事をやっていけばいいのか


 理は日頃から副業でwebライターの仕事をしている。それを本業にしてしまえばいいと考えたのだ。彼はさっそくノートPCの電源を入れると、普段から利用しているクラウドソーシングサービスで仕事を探してみた。


 一覧を見ると、ライター募集がズラッと並んでいる。今受けている仕事だけでは1ヶ月分の収入には少ないため、他にも自分が受けられそうな仕事を探してみることにしたのだ。


 ――なるべく書きやすそうなジャンルのものがいいな


 理は現在、車系メディアの記事を執筆している。「どうせ書くなら、似たようなジャンルの仕事がいい」と考え、同じ車系メディアの仕事を探してみた。決して多くはなかったが、いくつか目星をつけると、毎月どれぐらいの仕事量をこなせるのか計算してみる。


 ――これぐらいなら1ヶ月やっていけそうだな


 大雑把にではあるが、自分なりの算段をつけ、彼は一旦サイトを閉じた。幸い、副業で稼いだ貯金もいくらかはあるため、「すぐに困ることはないだろう」と踏んだのだ。


「会社…やめよっかな」


 椅子の背にもたれ、天井を見上げながら、ひとり呟く。理はwebライターとしてなんとかやっていけそうな可能性を感じ、会社を辞めるかどうかを考えた。元々人間関係は苦手で、さらに今回の一件もあり、改めてその難しさを知った。


 ――この世界は自由にできないことも多い


 ふと山岡モータースで聞いた言葉が頭をよぎる。


「そうだよな…」


 ――自分で自分を動かして生きていくしかない


「!?」


 ――自分が何を考え、どう行動するかは全部自分次第なんだよ


 理の考えにまるで反応するように、山岡の言葉が頭の中で響く。


「そうか…、全部自分次第か…」


 そう思うと理は決心がついたのか、安堵の表情を浮かべる。自分がどうしたいのかがよくわかったからだ。悩む必要は無かった。


 ―――その次の日


 理は会社へ一番に出社した。事務所の鍵を開け、中に入ると、自分の机へカバンを置く。すると、外から車の音が聞こえた。誰かが来たようだ。


 ――早いな


 そう思いながら外へ出てみると、車の音の正体は社長だった。


「おはよう!髙平くんか、早いな」

「おはようございます」

「早くにどうしたの?」

「じつは話があります」


 理は昨日、自分が決心したことを社長に話す。「会社を辞める」と伝えると、社長は残念そうな表情を浮かべたものの、「わかった」と引き止めることはなく、素直に受け入れてくれた。


「でも、さすがに今月いっぱいはうちにいてくれよ」

「はい」

「そういえば昨日、スタッフ募集に応募があったんだよ」

「そうですか」

「今日面接だ、良さそうな人ならいいけど」


 そんな会話をしていると、スタッフが続々と会社へ出社してくる。朝礼の際には理から改めてみんなに謝罪を行い、今月中で退社することも明かした。彼の突然の退社はさすがに驚いたようで、全員目を丸くしている。


 朝礼が終われば、普段どおりいつもの仕事へ。午前中はかなり忙しく、社内はバタバタしたが、午後からは少し落ち着いた。遅めの昼食をとったあと、理は喫煙所でタバコを吸っていた。


「ふぅ~」


 スマホを触りながら暇つぶしをしていると、ちょうど昼食を終えた眞鍋が事務所から顔を出した。


「辞めるんだね」

「ん?うん」

「そっか、私も言い過ぎたよ、ごめんね」

「いや、あれは完全に僕が悪かったよ」


 互いに少し気まずいのか、まずは謝罪を行い、お茶を濁す。


「辞めたあと、どうするの?」

「副業でやってるwebライターの仕事をひとまずやっていくよ」

「副業か…、私も何かやってみるかな」

「眞鍋さんはやりたいことないの?」


 理は眞鍋とプライベートなことをあまり話したことがなかった。それは今まで彼女に対してどこか遠慮をしていたからだ。踏み込んだことは聞けなかった。


「あるよ」

「何?」

「恥ずかしいな…」

「えっ?聞かなほうがいい?」


 眞鍋は自分のやりたいことを理に明かすのが恥ずかしいのか、照れくさそうにしている。そんな彼女を見て、理は少し気を遣った。


「話したくないなら無理に…」

「絵を描いてるの!!!」

「えっ?」

「絵だよ!絵!絵画!」

「あっ?絵っ?」

「そう、絵」


 二人はそのやり取りのあと、顔を見合わせて笑った。


「アハハ」

「アハハ、でも、すごいね、絵画なんて」

「好きなんだ、自分でなんでも表現できるから」

「絵画なんて描いてる人、眞鍋さんが初めてだよ」

「あぁ~、バカにしてる」

「そんなことないない!」


 二人は一度ぶつかり合ったものの、すぐに打ち解け、以前よりもその関係性は良いものになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る