第2話 仕事

 ―――九年前


「ありがとうございました!」


 男は軽くお辞儀をしながら笑顔で客を見送る。ここは『コンフォートレンタカー』。町の小さなレンタカー屋だ。客が出発したのを確認すると、事務所脇の喫煙所へ。


「シュボッ」


ライターでタバコに火をつけた。と、それとほぼ同時に事務所の中から店長が顔を出す。


「おい!髙平!事故代車引き上げに行ってくれ」


 髙平と呼ばれた男はイヤそうな顔を浮かべながら返事をする。


「わかりました、行きます」


 男の名前は髙平理(たかひらおさむ)。この物語の主人公だ。仕事中はいつもダルそうにしているが、客の前ではそうした姿をなるべく見せないようにしている。接客が仕事なんだ。それは当然のことである。


 理はタバコをくわえたままダルそうに積載車へ乗り込むとエンジンをかけた。古いディーゼルエンジンの音が駐車場に響く。


「ドライブだ」


 一言そうつぶやいた彼は積載車を走らせた。運転席側の窓を開けると心地いい風が顔に当たる。


「はぁ~」


 気を張っていた彼の体から力が抜けた。


「やっぱり、ひとりが楽だなぁ」


 自分ひとりの時間に喜びを感じている彼は、会社での居心地があまり良くなかった。仕事は一生懸命やってはいるものの、怒られることが多い。会社の中でも、取引先からも。


 今向かっている車屋に出した事故代車も、車種指定だったのにも関わらず、それとは違う車を手配してしまい、担当者から怒られた。本来なら事故代車で車種指定はできないが、代車に乗る客が「慣れた車がいいから」と同じ車種の車を要望したのだ。


 で、彼は間違えた。客には車の説明を丁寧に行い、それでなんとか乗ってもらえたが、車屋からは良い顔をされない。要望とは違う別の車を用意してしまったのだから。


 十五分ほど走ったところで目的地の車屋へ到着。理は積載車から降りると事務所へと向かった。そのちょうど同じタイミングで担当者の男も出てくる。


「あっ!髙平くん!ちょっと待って鍵持ってくる」

「わかりました」


 担当者の男は事務所へ戻ると、すぐに鍵を持って出てきた。


「この前のお客さん、あの車喜んでたよ」

「そうですか」

「事故代車で借りた車のほうが良いって」

「はぁ…」


 理は申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「でも、同じ車があるって言うからお願いしたのに、違う車を持ってくるのはダメ」

「話にならない」

「すいませんでした」


 理が頭を下げると、担当者の男は事故代車へ乗り込んだ。


「積載車の荷台下げて」

「わかりました」


 荷台を下げると、担当者の男が車を載せる。


「次は気を付けてよ」


 男はそう言いながら車を降り、事務所へと戻っていった。理は黙って荷台を引き上げると、積載車に乗り込む。古いディーゼルエンジンの音が駐車場に響いた。


 ――コンビニ行こう


 理は車屋を出ると近くのコンビニへ。コーヒーとサンドイッチを買った彼は、車の中でしばしの休憩をとった。


「はぁ…」


 ため息をつきながら彼はサンドイッチの袋を開ける。窓にひじをつき、ハムサンドを口へ運ぶと、心地いい風が車内に入ってきた。


 ――このままどこかへ行きたい


 理は毎日の仕事に嫌気が差していた。仕事は下手くそ。周りに振る舞わされることが多く、全然自分らしくできない。それでも、働かないと生きていけないから、我慢しながらも仕事を続けている。彼はそれが堪らなくイヤだった。


 仕事にやりがいを見いだせず、ただ収入を得るためだけに働き、同じ毎日を繰り返す。とくに「やりたい」と感じることも見つけられず、人生を惰性で生きていた。


 ――もうイヤだ!


 サンドイッチを持つ手がかすかに震える。


 ――はぁ~、仕事…辞めたいな


 理は食べかけのサンドイッチを横に置くと、エンジンをかけた。顔にはダルそうな表情を浮かべ、静かにハンドルを握る。会社への帰り道は気が重かった。ひとりの時間が終わってしまうからだ。


 その道中、対向車に乗っている人や歩道を歩く人に目をやれば、みんな自分と同じような表情を浮かべている。全然幸せそうには見えなかった。


 ――みんなも一緒なのかな…


 そう思うとなぜか、みんなが仲間のように感じられた。自分と同じように何か苦しみを持っていて、それでも毎日を生きていく。そこに自分の本音があったり、違和感を抱えていても、ごまかしながら日々を過ごす。むしろをそこを考えないようにしているようにも感じられた。


 ――なんでみんなそんな生き方できるんだ?イヤじゃないのか?


 頭には疑問ばかりが浮かびあがる。でも、自分はそれに対してどうしたらいいのか全くわらかない。そうこうしているうちに会社が見えてきた。ひとりの時間は終了だ。


 会社の駐車場に積載車を停めた理は事務所へと戻る。表情は暗いままで、体を運ぶ足は重い。手にはコンビニで買ったコーヒーと食べかけのサンドイッチを持ち、ダラダラと歩いて行く。


「おーい!車降ろしてくれぇ~!」


 少し離れたところから声が聞こえる。スタッフの川田だ。車を引き上げて帰ってきたら、荷台からちゃんと降ろす。それが基本だ。そうしないと引き上げた車の洗車や掃除ができないばかりか、積載車まで使えない。理はもう何度も同じことをして怒られている。


「洗車と掃除するからこっち持ってきて」


 理は車を荷台から降ろすと、洗車場へと乗り入れた。あきれた表情を浮かべる川田。


「何回も同じことしてるけど、いい加減覚えてくれよ」

「すいません」

「考え事でもしてたのか?」

「ぼーっとしてました」


 申し訳なさそうにその場をあとにした理が事務所へ戻ると、店長が声をかけてきた。


「やっと帰ったか、ちょっと出てくるから留守番しててくれ」

「わかりました」


 店長は燃費のいいハイブリッドカーへ乗るとどこかへ出ていった。事務所には女性スタッフの眞鍋がいるだけ。以前はもうひとり女性スタッフがいたが、少し前に辞めてしまった。その人は結婚を機に辞めたらしい。


「おかえり」


 真鍋は理のほうを見ることなく、声をかける。


「ただいま」


 そう返事をすると、彼は自分の机に座り、食べかけのサンドイッチを食べた。

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