第23話 拠点を探して
マケフ領には穏やかな田園風景が広がっていた。黄金色に染まった麦畑が風に揺れ、遠くには緑豊かな畑が広がっている。農夫たちは牛や馬を連れて作業に励み、道端では子供たちが走り回る声がのどかに響く。
集落の中心には、小さな市場や商店が並び、果物や手作りのパン、日用品などが揃っていた。人々の暮らしは質素ながらも満ち足りており、農村特有の温かな空気が漂っている。自然と人が共存するこの地は暮らす者たちに安心感を与える静かな生活圏となっていた。
「素敵なところだね~! お兄ちゃん」
「ああ。何より領民が明るく幸せそうに見えるのがいいな。聞いていたとおり、領主がいいやつなんだろうな」
「どんな人たちなんだろうね~?」
のどかな景色の中をゆっくりとトラックは走っていく。畑仕事をしている人々や道で擦れ違う人々は誰もが見慣れぬトラックを見て一度は驚くが、動揺もせずに日常へ戻っていく。
「この人々の反応……機械に偏見のないチリヌ公国だから、なのか?」
「どうなんだろう……? にしては見慣れてるというか……もしかしたら大きな乗り物をすでに見たことあるのかもしれないね」
「どうしてそう思うんだ?」
「う~ん。根拠はないけど、さっきから見えてる風景の中に、なんか違和感というか……既視感のあるものが混じってる気がするんだよね~……」
「既視感のあるもの……?」
運はただなんとなく過ぎ去っていくだけだった風景を注意して見る。
なんの変哲もない農村の風景が広がっている。民家、畑、川、道、電柱、家畜。
――たしかに言われてみれば違和感があるというか……ん? 電柱……!?
「なんで異世界に電柱があるんだ?」
「あっ! ホントだ! ……しかもよく見てみれば、日本風に見えなくもない民家もある!」
「うわっ! 言われてみれば……! 違和感の正体は異世界っぽくねぇ区画か!」
「きっと私たち以外にも転移転生者がいるんだよ!」
「なるほどなぁ……。暮らしやすそうな土地柄だもんなぁ……わかるぜその気持ち」
「ほんとにそう。ここにいると大国が戦争しているなんて思えないくらい平和な風景だよね~」
「俺たちの拠点もすんなり見つかるといいな」
「うんっ! そのためにも、まずは紹介してもらった領主様に会いに行かないとね!」
運と久遠はエルフ族長ギガの紹介によってマケフ領主との面会を経てから領地内を見て回ることになっていた。
マケフ領主の館は周囲の田園風景に溶け込むように建てられた品のある邸宅だった。外観は白壁に赤い屋根瓦を組み合わせた素朴ながらも美しいデザインで、入口にはツタが絡む石造りの門が優雅に立っている。広い庭には色とりどりの花々が咲き、噴水が静かに水音を奏でていた。
館の内部にも自然素材を活かした温もりある空間が広がっていた。木目の美しい床には質の良いカーペットが敷かれ、壁には絵画や織物が控えめに飾られている。大きな窓からは柔らかな日差しが差し込み、観葉植物が並ぶ廊下には清々しい空気が漂っていた。
応接室にはシンプルでありながら洗練された家具が配置され、薪の暖炉が部屋にぬくもりを与えている。全体的に見ても手入れの行き届いた、住まう者の品位を感じさせる心地よい邸宅だった。
「はじめまして。私はこのマケフ領の領主を任されておりますエアロスターと申します。こちらは妻のローズです」
「はじめまして。妻のローズです。オクヤの里からの試作品をいただいてからというもの、お会いできる日を心より楽しみにしておりました」
若い美男美女の領主夫妻は笑顔で二人を迎え入れた。
領主エアロスターは端正な顔立ちに穏やかな微笑を浮かべた青年だった。背筋を伸ばしながらも堅苦しさを感じさせず、落ち着いた物腰と柔らかな声で誠実さを体現しているような人物であり、褐色の髪を短く整えた彼の瞳には領民への深い思いやりと責任感が映し出されているかのようだった。
その隣に寄り添う妻のローズは淡い金色のウェーブがかかった長い髪を持ち、花のように優美な美しさを湛えていた。彼女の瞳は柔らかな緑色で、どこか聖母を思わせるような暖かな眼差しである。控えめな仕草の中にも凛とした芯の強さが見え、一歩引いた立ち位置からしっかりと夫を支える意思が窺える。
「はじめまして。この度はお忙しいところお時間をいただきありがとうございます。私はこちらの兄と一緒に旅をしている者で、久遠と申します」
「俺は日野運、トラック運転手をしています。お世話になります」
「はは、どうもご丁寧に。ですがどうか堅くならずにお話をしませんか。先ほどギガさんからの紹介状を拝見し、こちらもお二人とは仲良くさせていただければと思っておりますので」
エアロスターはそう気さくに笑い、二人に握手を求めてきた。
運と久遠も笑顔で目を合わせたあと、エアロスターと握手を交わしたのだった。
領主夫妻とひととおり挨拶を済ませたあと、領内の概要などを聞き、つてのある商業ギルドへの紹介や事業に目ぼしい物件の案内を受け、運たちは領内を自由に散策することになった。
マケフ領は農業が盛んな土地柄ということもあり、どこへ行っても静かで穏やかな雰囲気が漂っていた。
「さすがに農道はちと狭いが、それ以外は家も土地も広々としていて、トラックでの移動も楽だな」
「いいところだよね~。領主様も親切で優しかったし、憧れのスローライフが送れそう」
「意外だな。てっきりお買い物ができない~とか、虫がいっぱいで嫌~とか言うと思ってたんだけどな」
「あ、虫除けスプレーとかも作れたらいいかもねっ!」
「本当にたくましい奴だよ、久遠は」
物件探しは案の定、賑やかに楽しく進んだ。
その日は領主の計らいもあって、二人は手配された宿に宿泊することになっていた。
マケフ領の宿の部屋は質素ながらも素朴で清潔な空間だった。木製の床にシンプルなカーペットが敷かれ、壁には淡い色の布が掛けられている。窓の外には広大な田園風景が広がり、爽やかな風がカーテンを揺らす。決して豪華ではないものの、ゆっくりとした贅沢な時間が流れるような素敵な宿の一部屋だった。
「明日は紹介してもらった商人ギルドの方とのお話だねっ!」
「えらくトントン拍子に話が進むなあ」
「それならそれでいいじゃん!」
「もう流通の面とかも考えていたりするのか?」
「一応考えてはいるけど、量産ができるようになるまではね~」
「それもそうか」
「でも、少量なら少量なりの作戦もあるよね」
「お? どんなだ?」
「例えば、シャンプーやボディソープなんて、あっちの世界から来た転移転生者からすると喉から手が出るほど欲しい品じゃない? どうせチート能力でたんまり稼ぎがあるんだろうから、最初は彼らを相手にガッツリ稼ぐのもありかな~、なんて考えてる」
「まさか消耗品の供給で足元を見て、転移転生者を搦め手で牛耳っていくつもりか……? おそろしい奴だな。変な奴に目をつけられなければいいんだが」
「大丈夫! そしたら世界最強のお兄ちゃんが守ってくれるもーんっ!」
「少なくとも、俺はもう久遠に籠絡されているのかもしれないな……」
運は苦笑いを浮かべてベッドに身を投げた。
「それよりどうだ久遠。今日一日マケフ領を回ってみた感想は」
「もちろんいいよ! 人々も明るくて暖かいし、土地も広いからあとあと倉庫とかを拡張したくなっても対応可能だしね」
「オクヤの里にも近いしな。決まりそうか?」
「そうだね。あとは明日の商業ギルドのお話と公国内の状況を見て、って感じかなっ!」
「そうか、それなら良かった」
「明日もう一日、色々見て回ったら一度オクヤの里に報告に戻ろっか」
「そうだな」
「じゃあ今日はもう疲れたし~……」
久遠は運のベッドに倒れ込んでくっついた。
「一緒に寝よっか」
「駄目だ」
「ぶー」
久遠は即座にベッドから摘み出された。
「私もう、明日頑張れるかわからな~い」
「う。それは駄目だ……仕方ない、今日だけだぞ」
「やったっ!」
久遠は再び運のベッドに潜り込んだ。
「お兄ちゃん私は? 私はいい匂いする?」
「ん? な、なんだよいきなり……」
「だってお兄ちゃん、五十鈴さんの匂い嗅いでたじゃん」
「それは久遠が嗅げって言ったからであって……」
「じゃあ私のことも嗅いでみなよ~」
「え~……? なんか変な趣味があるやつみたいだな……」
運は訝しげな顔をしながらも久遠の髪をすくって匂いを嗅いでみる。
「どう? いい匂いする?」
「まあ……そうだな」
運が少し照れたように言うと久遠はたちまち嬉しそうに顔を綻ばせる。
「えへへ~。なんなら手を出したっていいんだからね? こっちの世界では血は繋がってないんだから、私たち」
「なに言ってんだ、十二歳の身体で」
「ねぇねぇ。この場合お兄ちゃんはロリコンになるのかな? それともシスコン?」
「どっちにもなんねーよ。くだらないこと言ってないで早く寝ろ」
運は呆れたように言って久遠に背を向けた。
「ぶー」
その日、二人はなぜかしばらくモゾモゾしながら眠りについたのだった。
翌日。
商業ギルドとの話も久遠が上手くまとめた形に収まった。
ギルドの代表と握手を交わして、大きく伸びをするように建物を出た二人であったが、そんな二人の元に息を切らせた領主エアロスターが血相を変えてやって来た。
「あ。エアロスターさん、おはようございます。おかげさまで商業ギルドとのお話も上手くまとまりそうです。何から何までありがとうございました」
久遠が丁寧に頭を下げて礼を述べたが、エアロスターのほうはそれを聞き入れている余裕がないように緊迫した雰囲気を放っていた。
「それは良かった。……ところで、代表はまだギルド内に?」
「そうですね、先ほどまで私たちと話をしていましたから。……でも、エアロスターさんはずいぶんとお急ぎのようですね?」
「ええ、それはもう」
エアロスターは今にもギルド内に駆け込もうとしている様子ではあったが、ふと二人の姿を見て思い出したことがあるかのように言ったのだった。
「そうだ、あなた方も無関係ではありませんでしたね。重大事件ですよ、とうとう公国軍が動き出しました」
「「えっ!?」」
二人は驚いて顔を合わせた。
「も、もしかして……オクヤの里に向けてですか!?」
エアロスターは神妙な顔をして頷いた。
「公国軍はすでに近領のコエ領を発したようです」
「お兄ちゃん大変っ!」
「私はすぐに対策を講じねばなりませんので、忙しなく申し訳ありませんが、ここは失礼させていただきますね……!」
そう言うや否や、エアロスターは飛び入るようにギルド内に入って行ってしまった。
エアロスターの背中を見送ったあと、運と久遠は緩みのない表情で視線を交わす。
「久遠、俺たちはすぐにオクヤの里に戻ったほうがいいよな?」
「当然! すぐに戻ろっ!」
二人は一度合図をするように頷きあって、すぐにトラックに乗り込み空へと飛び出した。
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