第15話 里の宿にて


 しばくして五十鈴が戻ると、二人は族長の家に招かれた。


 エルフ族長の家は外観からして質素で控えめなたたずまいを見せていた。周囲の自然と一体化するように木々の間に静かに建てられたその家は自然素材を活かした素朴な木造建築だった。飾り気のない外壁は年月を経て薄い苔が生え、窓や扉も木の質感がそのまま残されている。派手な装飾は一切なく、自然の中に溶け込むような静かな美しさが漂っていた。


 内装も同様に質素だがどこか落ち着いた温もりがある。床は磨き上げられた木材で足元から自然のぬくもりを感じる。壁には余計な装飾がなく、棚には最低限の生活用品が整然と並んでいた。唯一の装飾と呼べるのは壁に掛けられた一枚の古い布で、これも豪華さというよりは家族の歴史や伝統を感じさせるものだった。家具は簡素ながらも実用的で、窓から差し込む柔らかな光が家全体を穏やかに包み込んでいる。


 質素ながらもエルフ族の長らしい落ち着きと知恵が感じられる家だった。


「初めましてお客人。私はこのオクヤの里の族長を務めておりますギガと申します。昨日は我が娘、五十鈴を助けてくださり誠にありがとうございました」


 運と久遠に丁寧に頭を下げて礼をした族長ギガは五十鈴と同じ金髪のエルフであり、その見た目は五十鈴とは親子に見えぬほど若々しい。


「とんでもない。当然のことをしたまでです。ね、お兄ちゃん?」


「そ、そうですよ」


 久遠に促されるように発言する運の表情には緊張感が浮かんでいた。


「その上、ここオクヤまで運んでくださったそうで」


「俺の故郷では旅は道連れという言葉があるんです。どうかお気になさらず」


「その件も伺いました。なんでも偏見の目の少ない土地を求めて旅をなされているとか」


「そうですね。できれば争いとは無縁の場所で暮らしていきたいのですが」


「今の情勢ともなりますと、それもまた難しいのかもしれませんな」


「やはり無理ですか」


「いやいや、そうは言っておりません。例えば近領のマケフ領などはいかがでしょうか。都会ではありませんが静かに暮らすにはうってつけの土地柄です。農業が盛んで気候は穏やか。人々も温もりに溢れておりますし、我々も盛んに交流をしておりますよ」


「それは素敵な土地柄ですね」


「ええ。しかも領主様はあのラムウ教キャンター枢機卿の遠縁に当たるお方だとか。まわりがおいそれと手を出せるお方ではありませんし、我々とも親しく接して下さる。もちろん領民からの信頼も厚いお方ですよ」


「あ、ああ~……そうですか」


 ギガの話を聞いているうちに運の表情は徐々に硬く強張ってきていた。


「お兄ちゃんはいいよ、難しい部分は私が聞いてるから」


「すまないな久遠」


 任せろとばかりに久遠は運に微笑み返した。


「それでギガさん。もし私たちがそこに拠点を構えたいと言ったらどこかいい物件を紹介していただくことは可能ですか?」


「そうですね、領主様にお願いしてみることくらいは可能ですよ」


「わあ! ぜひ前向きにお話を進めたいと思います! できればその前に一度、実際にそのマケフ領の様子を見てみたいと思うのですが……」


「構いませんよ。娘の恩人でもありますし、お考えになる間、しばらくこちらにご滞在予定でしたら里に泊まる場所も用意しましょう」


「何から何まで! ありがとうございます」


「何を仰います、お礼を申し上げたいのはこちらのほうですよ。なんでも我が一族に新たな生業をもご提案くださったと娘から聞いておりますので」


「では!」


「ええ。私としてもぜひその件は前向きに検討したいと考えておりますよ。少々お時間を頂ければ私から一族の者へ周知をさせていただきますが」


「ぜひ! お願いします」


「ありがとうございます。……では、取引の詳しい内容については後ほど詰めさせていただければと思いますが」


「はい!」


 久遠は運に振り返って言った。


「良かったねお兄ちゃん! もし近領のマケフ領に拠点を構えられればオクヤの里とも連携も取りやすいと思うしいいんじゃないかな? どう思う?」


「うん、いいと思うぞ。それにマケフ領は農業が盛んなんだろ? 農作物の出荷等でもお役に立てるんじゃないか?」


「それ! さいこう!」


「良し。じゃあこちらの意思は固まったな」


 久遠は再度正面に向き直った。


「ギガさん。諸々の件、お願いしたいのですが」


「はい、わかりました」


 ギガは軽く微笑んで返答したあと、少し表情を強張らせて続けた。


「ですが……実は、問題がまったくないわけではないのです」


「もしかしてエルフ狩りの件でしょうか?」


 久遠が神妙な顔つきで訪ねる。


「そのとおりです。近頃、不穏な噂が流れていることはご存知でしょう?」


「はい。なんでも大規模な侵略が計画されているとか」


「公国内の一部の貴族が動いておりましてね。マケフ領主様を始め反対派の貴族もいるにはいるのですが、勢力としては劣勢と言わざるを得ない状況ですからね」


「難しい問題ですね」


「もちろん我々としても座して死を待つような真似はしませんよ。当然、森の結界強化を始め対策は何重にも取るつもりではありますが、予断を許さぬ状況には変わりがないのです」


「その、五十鈴さんからも伺いましたが……この地を離れるお考えは?」


「一族の英霊にかけて」


「そう……ですか」


「さすがに公国軍に大きな動きが見える頃になれば、あなた方も里に留まることは避けたほうがいいでしょうな。これは我々一族の問題ですから巻き込むわけにはまいりませぬ」


「……私たちは、そうならないよう祈っております」


「ありがとうございます」


 ギガは頭を下げて会話を締めくくった。


「さて。では今日は五十鈴に宿を案内させましょう。ごゆっくりと疲れを癒してください」


 そう言ってギガは部屋の隅に控えていた五十鈴に目配せをした。


「運殿、久遠殿。それでは私について来てください」


 その日はオクヤの里に泊まることになった。




 オクヤの里の旅館は木々に囲まれた静かな場所にたたずんでいた。建物は木造の二階建てで古風な瓦屋根が穏やかな勾配を描いている。入口には笹がささやくように揺れており、木製の引き戸には筆文字の看板が掛けられていた。のれんが風にゆったりと揺れ、客を温かく迎え入れるような雰囲気を漂わせる。


 辺りが暗くなってきたからか玄関先の提灯に灯が入り、魔力を用いた独特の淡く柔らかな光が道ゆく人々を静かに誘っていた。


「すごいな……高級旅館じゃないか」


「うん……私、エヒモセスでこんな和風な建物、始めて見たかも」


「ふふ。お二人とも気に入っていただけたようでなによりです」


 五十鈴の案内によって館内に足を踏み入れると木の香りがふわりと鼻をくすぐる。廊下には磨き上げたような艶やかな木材が使われ、足音を柔らかく吸い込んでいった。壁には掛け軸や季節の花を活けた花瓶が置かれ、エルフの仲居たちは静かで丁寧な動作で旅館全体に品のある和やかさを醸し出している。


――エルフと和服、めちゃくちゃいい組み合わせだな……。


 運は廊下でエルフと擦れ違うときもついつい目を釣られてしまう様子だった。


「見た? お兄ちゃん、エルフの人たちが和服を着てる……」


「どういう訳だか文化が似ているようだな」


「言っておくけどエヒモセスではほかに見ない文化だよ? 建物の歳月を見ても最近増えてきた転移転生者が伝えた文化とも思えないし……」


「そういえば五十鈴の名前も和風だし、剣は見た感じ日本刀だよな」


「あまり深く考えても仕方ないか……ずっと昔に転移転生してきた人もいるんだろうし」


 運と久遠は見るものに驚き会話をしながら廊下を歩く。


 館内には中庭があり枯山水の庭が静寂の美を伝えていた。砂紋を描いた白砂の中に苔むした石と小さな松が配され風に葉が揺れる音だけが響く。またそこから少し離れたところには小川が流れ、木の橋が客室へと続く道を繋いでいた。


「いやあ、それにしてもすごい。ここだけは異世界であることを忘れそうだ」


「私も。すっごく落ち着くところだね~」


「もしかして、お二人の故郷も似たような雰囲気をお持ちなのですか?」


「そうなんですよ~! もう驚いちゃうくらいそっくりで」


「良かった……旅の道中でも居心地が良かったですし、このエルフ独特の文化も気に入っていただけるようでしたら、私たち、やはり相性がいいのかもしれませんね」


 五十鈴はそんなふうに言って少しだけ運のほうに振り返った。


「だな。ずっとここにいたいくらいだ」


「そう言っていただけると私も嬉しいです」


 そして少し照れたように前方に視線を戻す五十鈴と運を見比べて久遠は少し首を傾げる。


「ま、あんまりエルフのみなさんのご厚意に甘えすぎるのも良くないからね、お兄ちゃん」


 そう言って運の背中にしがみつく久遠。


「ま~たくっつきやがって。ちゃんと自分で歩けよ久遠」


「やだも~ん」


「ふふ。本当に仲がいいですね」


 時折五十鈴は二人を振り返って気にかけながらゆっくりと先を歩いた。


「さ、お二人とも。こちらがお部屋になります」


 運と久遠が案内された客室は畳敷きの広間に障子窓がついた和風の一室だった。薄暗い室内に木枠の障子から差し込む柔らかな月光が淡い光の模様を落としている。


「不思議な光だね~。なんだろう、月の光だけじゃこうも明るくはならないと思うけど……」


「そうですね。オクヤの里は森に囲まれていますから何もしなければ夜は深い暗闇に覆われます。ですのでそこを魔力の光によって里全体の明るさを補っているんですよ」


「電気の照明みたいなものか……魔法文明もすごいもんだ」


「もちろんお部屋の照明もありますよ」


 五十鈴が部屋のスイッチを入れると途端に部屋は明るくなる。中央には座卓が置かれ、花の模様が描かれた湯呑みと急須が準備されていた。部屋の隅には布団がきれいに畳まれており夜には仲居が丁寧に敷いてくれるという。


「もしかしたら個室のほうが良いかとも考えたのですが……」


「いやいや、大丈夫です五十鈴さん! 私たち今後のことも色々相談しておかないとだし」


「うふふ。そうですよね。お二人はとても仲の良いご兄妹ですから、そうだろうと思っておりました」


「色々気にかけてくれてありがとうな五十鈴」


「いえいえとんでもない。お二人とも、ゆっくりと旅の疲れを癒していただけたら幸いです」


「五十鈴さんもね」


「ありがとうございます。では、私はこれで。……失礼します」


 そう言って五十鈴は丁寧に一礼をし、退席した。




「やっぱりこういうの落ち着くな……」


 運は座卓に腰を下ろし湯呑みに手を伸ばした。久遠は窓際に座り庭の景色を眺めながら小さく微笑んでいる。風に揺れる竹林の音が心地よい静寂を運んできた。


「おふろ、すごかったねぇ」


「だな。男湯のほうは立派な露天風呂があったよ」


「こっちもね。風情があったねぇ。もうエルフの里さいこう!」


 二人とも湯上りの身体を休ませるように寛いでいた。


「で? お兄ちゃん、今後のことだけど、どうしよっか?」


 窓の外から視線を戻した久遠が真面目な顔をして言った。


「今のところ私たちの生活を考えたらエルフと共存できると助かるよね? でも、そうなると公国軍がエルフ狩りを強行してきたときに衝突することになる」


「俺にはいまひとつ戦力差とやらがピンとこないんだが」


「そうだよね……まず大事なのはそこだよね。でも正直、今の状況じゃわからないところが多すぎるんだよ。貴族の一部とはいえ公国軍となると規模はそれなりだろうし、それに対するエルフ側の戦力も未知数……結界がどれほどの効力を持っているのかがわからなすぎるの」


「大丈夫なんじゃねーの? 里の人たちの様子を見ても慌てているようには見えないぜ?」


 運は頭のうしろで両手を組んで答える。


「そこが不思議なんだよね~。普通、戦争なんて恐くない?」


「俺たちの感覚からすればな。それが結界などからくる安心感によるものなのか、そもそも考え方が違うからなのかはわからんが……わからんことを考えても仕方がない」


「私はね? 勇者さんたちと一緒に荒野の戦場に出たときは恐かったよ? でも、帝国には私が育った孤児院もあるし、守りたい人たちもいたから……」


「じゃあ、今回も同じ理由で戦っちゃダメなのか?」


「どういうこと?」


「守るってことさ。エルフ族の友人としてな」


「そ、そんなに簡単に決めちゃっていいの? まだ逃げるって選択肢だってあるんだよ?」


「だろうな。……だけどな。ここで逃げてどうするんだって話だよ。だってエヒモセスじゃあ大きな二つの国が争っているんだろ? 俺たちは元の世界へ帰るための方法を探しているんだぜ? きっと色々な土地に行かなきゃならないはずだ。逃げていたって、いずれ向き合わなければならないときがくるかもしれないだろ?」


「たしかに……」


「それにさっき族長とも話したけど、エルフは自分たちから戦争を吹っかけてるわけじゃないだろ。公国軍が攻めてくるから守るために戦うんだ……。そんな奴らが一方的にバカを見るようなエヒモセスなら、いったいそんな世界のどこに安寧の地があるって言うんだ」


「……そ、そうだよね」


「だから、俺はエルフ族と戦おうと思う。……少なくとも俺は争いを望まない奴らを守りたいと思うし、それがこれからいい関係を築いていきたいと思ってる仲間なら、なおさらな」


「うん……うん!」


 久遠は少しの間、自問自答を繰り返していた様子だったが、やがて強く決心したように大きく頷いた。


「わかったよお兄ちゃん! 私も決めた! 戦おう! 相手を倒すためじゃなくて、エルフを……仲間を守るために!」


「決まりだな!」


 運と久遠は目を合わせて力強く頷いたのだった。

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