第14話 エルフの住む森


 トラックの旅は運と久遠に加えて五十鈴の三人となった。助手席に座った五十鈴は狭い空間に慣れないのか少し落ち着かず、時折視線を窓の外に向けて黙り込む。


 久遠はそんな五十鈴を気にかけ控えめに話しかけるがぎこちない返事が返るばかりだった。運は二人の様子に気を配りながらハンドルを握り、景色の変わる道をひたすら南へと進む。


 三人を乗せたトラックの車内にはどこか不思議な空気が漂いながらも、三人それぞれの歩み寄りによって少しずつ新しい関係が形成されていった。


 そして広い大陸をトラックで数日の旅。道中は徐々に賑やかになってきたところではあったが、やがて一行はオクヤの里を内包するオクヤの森が見える高台まで辿り着いた。


「ここからは徒歩になりますがよろしいでしょうか?」


「「もちろん」」


 オクヤの森はまるで大地を覆い尽くすかのように鬱蒼とした木々がそびえ立ち、その緑の海がどこまでも続いている。森の入口に差し掛かるとひんやりとした空気が流れ、木々の枝葉が頭上を覆うように影を作り、太陽の光が細かな光線となって地面に降り注いでいた。


「なんかイメージしていたようなエルフの森とはちょっと違う感じがするな」


 とくに反応を示すわけでもなく口にする運を見て五十鈴は小さく笑った。


「運殿はいったいどんな森を想像されていたのですか?」


「なんかこう、イメージではキラキラしてて明るいというか、もっと開けた感じというか……。でも、実際に見てみると思ったより普通の森というか、暗くて鬱蒼としているな……と」


「ふふ。運殿にはそう見えるのですね」


「気を悪くしないでくれ。俺の勝手なイメージだからな」


 運たちは足元に生い茂る柔らかな草や苔を踏みしめながら静かに森の中を進んでいく。周囲は鳥のさえずりと風が木々を揺らす音に包まれ、森の奥へと進むにつれて世界が徐々に静寂に満ちていくようだった。


 やがて木々の合間から物寂しい集落の影が顔を覗かせ、いくつかの古びて崩れかかった木造の建物が森の中に現れた。


「もしかして、ここがオクヤの里……?」


 久遠は少し残念そうに声を漏らし、五十鈴はそんな久遠を見て少し困ったような顔をする。


 そんなとき、運の脳裏にナヴィの声が響いたのだった。


「マスター。この森に結界の存在を確認しました」


「なんだ?」


「主に認識阻害の効果があります。条件を満たした者に効果を発揮し、視覚や方向感覚を狂わせるなどして森の外に排斥させる仕組みとなっているようです」


「ああ……よくある迷いの森というやつか」


 運にとってそれはなんの気なしにナヴィとの会話のなかで発した言葉であったが、運の独りごとにしか聞こえない五十鈴にとっては驚くべき言葉であるようだった。


「!? ……さすがは運殿、まさか結界の存在に気づかれるとは。少し驚かせてみようかと思っておりましたが、逆に驚かされてしまいました」


「へっ? そうなのお兄ちゃん?」


 運は照れたように頬を掻きながら答える。


「うん、まあ。ナヴィが言うにはな」


「精霊との対話を当たり前のように。運殿の実力は計り知れませんね」


「それも含めて全部が精霊のおかげなんだよ」


「ご謙遜を……。しかしお二人は平気ですよ。私がついておりますので、迷うことなくオクヤの里まで辿り着けます」


「あ。ということは、目の前のボロボロの集落はただのカモフラージュだったってこと? 五十鈴さん」


「そういうことです……。そして、本当のオクヤの森の入り口は……」


 そう言って五十鈴が手を振り広げると、まるでレースのカーテンを開け放つかのように鮮明に、色鮮やかな緑を一面に広げてゆく森の景色。


 運たちの目の前に現れたのはまさに森の門とも言い表せそうなほど規則正しい、太く大きな木々の並木道だった。そして空から差し込む日の光さえも先ほどまでの細い陽光とはうってかわって強く暖かい。まるで空気そのものが輝いているようである。


「うわぁ~……すご……こんなに高くそびえ立つ木々は初めて見たかも……」


「そうだな。こんなに大きく高い木は向こうの世界でも見られるものじゃないぞ?」


「きっとエヒモセスだからだよ! それにもしかしたらエルフの持つ高い魔力が影響しているんじゃないかな……? 心なしか空間に魔力が満ちてるように感じる……」


「まさに圧巻のひとことだな。こんなに美しい森だったなんて……。すまん五十鈴、さっきの言葉を取り消させてくれ、逆にいい意味で期待を裏切られちまった」


 次々と感嘆の言葉を発する二人を見て五十鈴は誇らしげに笑った。


「お二人とも。驚かれるのはまだ早いかもしれませんよ? なにせここはまだ森のほんの入り口に過ぎないのですから。さ、先を急ぎましょう? 里はもう少し歩いた先にありますので」


「うわ~! その言葉、期待しちゃうからね、五十鈴さん!」


「俺も楽しみになってきたよ。いったいどんなファンタジーな里が待っているんだろうな」


 五十鈴のあとをついて運と久遠は期待を膨らませながら歩く。


 ただ真っ直ぐな並木道を直進しているかと思えば、時折不自然に見えるほど人工的に形成された円環の木の根の間を潜り抜けたりと、独特な道筋を辿って三人は歩いていた。


――もしかしたら、これはただ真っ直ぐ歩いてるわけではなくて、手順を辿っているということなのかもしれないな……。


 運や久遠がキョロキョロと辺りを見回しながら歩いていたときだった。


「さ。次で着きますよ」


「「次……?」」


 ほぼ真っ直ぐに歩くだけの工程に順序があるように言われても理解できない様子の運と久遠であったが、それは次の円環の木の根を潜り抜けた瞬間に驚きへと変わっていた。


 目の前に突如として美しい町の景色が出現したのである。


「マジかよ……」


「ここが本当のエルフの里……」


 その圧巻の景色を前に運と久遠は言葉を失って立ち尽くしていた。


 オクヤの里の市街地は樹齢千年を超えると思われる太く逞しい木々に囲まれ、その合間に巧みに組み込まれた木造の建物が並んでいた。街の中心には木々の間にかけられた美しい橋が架かり、流れる小川の上を優雅に渡っている。橋や床板はすべて磨き抜かれた木材で作られており、歩くたびに心地よい音が響いた。


 道の両側には自然と調和した店や民家が整然と立ち並んでおり、そのすべてが木材をふんだんに使った精巧な造りで、柱や梁に施された美しい彫刻が目を引く。建物の屋根には苔やつる草が絡み、年月を感じさせながらも里全体には活気が満ち溢れていた。


 行き交う人々の笑顔や風に乗って届く商人たちの声がオクヤの里の豊かさと平和を物語っている。森の静寂と調和した市街地の風景は自然の中に息づくエルフ繁栄の象徴だった。


「うそだろ……? さっきの木の根を潜る瞬間までは、その先に何もなかったのに……」


「五十鈴さん、もしかして先ほど何げなく潜ってきた円環の木の根は……?」


 久遠が目を輝かせて五十鈴に問うた。


「はい。エルフ族は里内に張り巡らされた転移魔法で移動しているのです」


「うわあすごい! こんなのエルフにしかできないよ」


「そうですか? 私たちは感覚で利用していますのでなんとも……たまに里に来るお客様が迷子になってしまうとは耳にしますが」


「久遠、下手にはしゃいで迷子になるなよ」


「じゃあお兄ちゃんにくっついてる」


 そう言って久遠は運の背中におんぶするよう飛びついた。


「うふふ、仲がいいのですね」


 五十鈴は口元を隠すように上品に微笑む。


「それでは、私はこれから族長に挨拶に行ってきますので少々お待ちいただけますか? ……そうですね、こちらにいい場所がありますのでついて来てください」


 五十鈴の案内についてしばらく歩くと広い中央公園に出た。


 オクヤの森の中に広がる公園は木々に囲まれながらも不思議と明るく、日差しがふんだんに降り注いでいた。公園の中心には圧倒的な存在感を放つ巨大な噴水がそびえ立ち、勢いよく水が舞い上がって空中に虹を描いている。石造りの噴水は精巧な彫刻で飾られ、流れる水音が公園全体に穏やかなリズムを刻んでいた。


 噴水の先には公園を見守るかのように荘厳な神殿のような建物が建っている。威厳あるその建物は式典などに使われる場所だろう。石柱が並び立ち、木造の精巧な屋根が高くそびえている。光を受けて神々しく輝くその姿は周囲の自然と融合しながらも圧倒的な存在感を放ち、オクヤの里における特別な場所であることを物語っていた。


「すご……なんかもう、ここまで美しい風景だとまるで神話の世界みたい」


「ああ……向こうの世界じゃお目にかかれないようなファンタジーだな」


 感嘆する二人を見て五十鈴は嬉しそうに微笑む。


「……それでは、少しこちらでお待ちいただけますか? なるべく早く戻ってきますので」


「わかりました」


 そして一度踵を返しかけた五十鈴はそこで思い止まって向き直った。


「あ、そうでした。もしよろしければ旅の間に使用したボディソープ、シャンプー等のお薬を少量でも構いませんので私に売っていただくことはできないでしょうか?」


「ん? 少しならタダであげるけど、どうかしたのか?」


 そう言いながら運はすぐにそれらを取り出していた。


「本当ですか!? ありがとうございます! 実は、すごく品質が良かったものですからぜひ欲しくなってしまって」


「ああ。たしかに五十鈴、いい匂いしたもんな」


「……へわっ!?」


 五十鈴は顔を赤くして胸元を隠した。


「あ、ごめん。あれは忘れるよう努力する」


「そんなに簡単に忘れられても、それはそれで傷つく気もします……」


「それじゃあ覚えていたいな」


「セクハラ親父!」


 運の背後から後頭部に久遠のチョップが入った。


「わるいわるい。お詫びにこれは全部やるよ。まだ詰め替え用の予備があったはずだから」


「いえ、本当に少量で大丈夫なんですよ。実は、里には魔法以外にも薬学に精通している者がおりまして、植物に由来する物でしたら成分等を分析して近い性能の物を造り出せると思ったものですから」


「なるほど、森は薬草の宝庫というわけか」


「はい。鉱物の類も多少は採取できると思いますし、仮に文明的に不足している部分があっても、その辺りは魔法で代替できるでしょう」


「五十鈴さんそれ素敵! 実は消耗品はなくなったらどうしようと思ってたの」


「そうですよね久遠殿! 一度使ってしまっては、あれはもうやめられません!」


「そう! そうなの五十鈴さん! やっぱり女の子は清潔でいたいもんね」


「はい!」


 久遠は運の背中から飛び降りるように五十鈴に駆け寄り、二人は力強く意気投合していた。


「お兄ちゃん! 持ってる消耗品は全種類あげちゃって!」


 振り返った久遠はやや厳しい目つきで、運にそれを強制するかのように言った。


「ええっ!? どうして」


「これはチャンスよ! 思い出してみて? 私たちの当面の悩みだった二つの問題を」


「えっと……俺が狭い場所で戦えない弱点と、生活費だったか?」


「そう! そのうち狭い場所での戦闘は……ぷっ。フォークリフトモードで? 解決?」


「おいバカにするなよ? ちょうど今、カッコいいデザインを構築中なんだからな」


――全部ナヴィ任せだけど。


「いいのいいの、そんなことは。……でね? もう片方の生活費についてなんだけど、輸送に関してはトラックで大量に運搬できるから、お仕事としてはバッチリじゃない?」


「そうだな」


「で、さっき五十鈴さんも言ったよね? 一度使ったらやめられないって」


「ああ、なるほど。そういうことか」


 運はそこでようやく納得した様子で手を打った。


「つまりは久遠殿、この極上品質の消耗品を開発して商売をなさるおつもりですね?」


「ダメ、ですか? 当然、作り手となっていただくエルフにも十分な利益をお約束できると思うんですが……。失礼ながら、エルフ族はブースターエンジンの開発をおやめになった以上、何か代わりとなる事業を始められたほうがよいかとも思いますし……」


「……久遠殿の仰るとおりです」


 五十鈴は少しの間思慮を巡らせた。


「大変素晴らしく、魅力的なご提案だと思います。私個人としても実現を切望してやみません。ですが、規模によっては一族全体に関わりますから、その件も含めて一度族長に話してみます」


「ぜひ、お願いします!」


 そう言って久遠は運からボディソープ等のボトルを全部取り上げ、五十鈴に持たせた。


「いいよね? お兄ちゃん?」


「ああもちろん。そういうことは久遠に任せておいたほうが良さそうだ」


 運は当然とばかりに爽やかに笑顔を見せた。


「こんなに貴重な品を惜しげもなく。本当に運殿は……」


「いいのいいの五十鈴さん! お互い様なんだから」


「お二人とも、何から何まで本当にありがとうございます」


 五十鈴は二人に一礼をすると、また別の木の根を潜って消えて行った。


 見送った久遠は運のほうへ振り返ると満面の笑みでピースサインを送った。


「これが上手くいけば当初の問題は両方とも解決だね!」


「それに有限である消耗品の問題も解決だな。本当に久遠がいてくれて助かることばかりだよ」


「でしょ~? なんなら喜びのあまり抱きしめてくれたっていいんだよ?」


「ははは。この話が上手くまとまったら言われなくてもそうしたい気分だよ」


「わ! ……じゃあ、頑張ろうっと」


「おう、頑張れよ」


「何言ってんの! お兄ちゃんも頑張るんだよっ!」


 そう言って久遠は再び運に飛びついたのだった。

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