第13話 五十鈴とTシャツ
「さて、まだ夜明けまでは少し時間があるな、少し仮眠を取ろうか」
それから三人はしばらく情報交換を続けたが、ふと運が大きなあくびをしたところで明日の旅に備えて休むことになった。
「すみません。私までトラックの中で休ませていただいて」
申し訳なさそうに五十鈴が頭を下げた。
「気にしないでくれ。むしろ狙われる五十鈴を外で休ませることなんかできないからな」
「むしろお兄ちゃんに襲われる心配のほうが」
「お前は余計なことを言うな」
「いて」
五十鈴は苦笑いで兄妹のやり取りを見ていた。
「気にしないで休んでくれ。俺は念のためトラックの場所を変えておく」
「……お気遣い、感謝します」
「久遠、うしろの寝台スペース……じゃなかったリビングで休ませてやってくれ」
「はーい」
「ありがとうございます。ですが、私はこのとおり先ほどの戦闘で衣類が汚れておりまして。そのうえさらに寝台スペースを汚してしまうのは心苦しく……」
「律儀だなあ」
運は小さくなって遠慮する五十鈴に少し困りながらもリラックスした様子で伸びをした。
「お兄ちゃん、着替えとかないの?」
「Tシャツとかならあるけど」
運はなんの気なしに言っただけであったが、その言葉に久遠が意外にも飛び上がるような反応を示した。
「いい! エルフにTシャツ、すっごくいい!」
「Tシャツ……?」
言葉の意味がわからない五十鈴はまたも不安げに首を傾げていた。
「着替えましょ着替えましょ! 五十鈴さん、こっちこっち」
「は、はい……では失礼して……」
五十鈴は久遠に連れられてリビングへと移動する。
「さて、俺はトラックを移動させておくか……」
運はリビングへと繋がる遮光カーテンが閉められたことを確認し、ナビ画面を操作して周辺情報を探り始めた。その画面には周辺の地図情報が表示されている。
「この森、けっこう大きいんだな……。ん? 奥に湖っぽいのがあるな」
「湖!?」
運の言葉に反応し、遮光カーテンを勢いよく開けてリビングから久遠が顔を覗かせた。
「きゃあ!」
「ど、どうした五十鈴!?」
五十鈴の叫び声を聞いてとっさに振り返る運であったが、そこではちょうど着替え中の五十鈴が胸元を隠して顔を赤く染めていたのだった。
「うお! ……お、俺は見ていないぞ?」
――妹よ、グッジョブ!
運は心の中でグッドポーズを送りながらしっかりと両手でハンドルを握った。
「あっ! ごめんね五十鈴さん! つい……」
アクシデントに気づいた久遠が五十鈴のほうへ申し訳なさそうに振り返る。
「い、いえ、大丈夫です……」
「お兄ちゃんは記憶から抹消して」
「はい」
運は前方を見つめたまま素直にひとこと返答しただけだった。
「で、湖って?」
気を取り直して久遠が聞き直したので運もまた改まって真面目に答える。
「ああ。ナビで地図を見ていたら、どうやらこの森の奥に湖っぽいのを見つけたものだから」
「素敵! 水浴び!」
「お、なるほど。それはいいな。俺、昨日お風呂入ってないから」
「お兄ちゃんはあとで! まずは五十鈴さん。一緒に水浴びしよ~?」
「そう……ですね。せっかくですから、着替える前に」
五十鈴はそそくさと元の服を着直した。
「というわけで、お兄ちゃん。月明かりの湖へ、ゴー!」
そして久遠は勢い良く拳を突き上げて、元気良く号令を発するのであった。
「あいよ。久遠、入浴セット、出しておきな」
「はーい!」
「それから、今は夜中だし誰も見てはいないだろ。森は空から飛び越えて行くからな」
トラックは空を走って森の木々を越え、地図で示された湖を目指したのだった。
やがて辿り着いた湖の湖畔にはトラックを停められる適度な空間があり、運はそこへトラックを下ろして停車した。
森の奥にひっそりと広がる湖は月明かりを受けて鏡のように静かに輝いていた。水面は澄み渡り、風が吹くたびに細かな波紋が広がって銀色の光が揺れる。湖畔を囲む木々の影が水面に映り込み、まるで上下が逆転したような幻想的な光景を作り出している。夜の静寂の中、時折カエルの鳴き声と水滴が落ちる音だけが響き、湖全体が神秘的な雰囲気に包まれていた。
「うわ~! すご~い! きれ~い!」
その美しい景色に久遠は思わず感嘆の声を上げたのだった。
「お兄ちゃん? 覗くのは私だけだからね!」
「十二歳の子供を覗くかよ!」
「くぅ~。こんなことなら妨害魔法も習得しておくべきだったな~。五十鈴さん、ダークサイトとか、視界を妨げる魔法使えない?」
「一応は使えますよ? でもどうしてですか?」
「お兄ちゃんに掛けておかないと」
「おい!」
五十鈴はまた顔を赤らめて服の上から胸元を隠した。
「で、でも。私は大丈夫です……。命の恩人である運殿にそんな魔法は掛けられませんし、し、信用していますから……」
「わ~……こ、これは……」
困ったようでありながらも乙女の表情を見せる五十鈴に、久遠は何かを察したようで少しだけ呆然としていた。
「お兄ちゃん……? わかってるよねぇ?」
そしてその複雑な思いを攻撃に変換するように横目で強く運を睨んだ。
「はい! 大丈夫です! 絶対に覗きません!」
運は慌てて両手で目を覆った。
――ま、衝突回避支援システムがあれば目が見えなくても見えるんだが……。
運がそんなふうに考えながらスキルを使用しようとしたときのことだった。
「おや? 何かのスキルか魔法の気配が……近くに魔物でもいるのでしょうか?」
――うそっ!? 五十鈴のやつ、なんで気づけるんだっ!?
そのあまりの衝撃に顔を引き攣らせるように驚いてしまう運。そしてその瞬間、そんな様子を見逃さなかった久遠の首がグルリと回って運を見ていた。
その目は
「い、いや……ちょっと魔物がいないかの確認をしたんだ。どうやらこの辺りにはスライム等の弱い魔物が少しいるくらいのようだな。あ、安心だな、ははは……」
――マジか……エルフの察知能力、敏感すぎるだろ……。今後はやめておこう……。
運は深く反省したように肩を大きく落とした。
「お兄ちゃん?」
「……は、はい。何も悪いことはいたしません」
運はしょげた様子で素直に過ちを認めた。
「そうじゃなくて。ちょっと目を瞑って」
「はい……」
――あ~……久遠には覗こうとしたのバレてるんだろうけど、何をする気なんだ……?
運は不安な表情をしながらも言われるがまま目を瞑った。しばらくして。
――ん? なんだこれ、柔らかいものが顔に当たったぞ……?
目を開けると、運を抱きしめる久遠の身体が目の前にあった。
「こら。目を瞑ってって言ったのに」
運は少し呆れたように呟く。
「いやあ……さすがに十二歳の子供に胸を押しつけられても……」
「いいの! これはハグだもん! それにこれからちゃんと成長するんだからいいんだもん……! だから、今日のところはこれで我慢して大人しくしてなさい!」
「……はい」
兄妹の仲睦まじい様子を、五十鈴は優しく笑って見守っていた。
結局、水浴びは先に久遠と五十鈴がすることとなり、準備をしてトラックを降りて行った。
「戻るときはノックするからね。だから、なにをしてても平気だからね、お兄ちゃん?」
「妹よ、そういう気遣いは不要だぞ」
運は棒読みのように淡々と答え、久遠はクスッと笑ってトラックのドアを閉める。
「なに? 運殿は何かこのあとされるお仕事か何かがあるのですか?」
意味がわからない五十鈴だけが首を傾げながら久遠のあとをついて湖に向かうのだった。
月明かりの中、順番に水浴びを終えた三人はリビングで久遠を中心に川の字になった。
「や~! 水浴びしたらさっぱりしたね~!」
「はい! その、ボディ……ソープ? は、すごく良かったですね!」
「消耗品は限りがあるから大切に使わないといけないけどね~」
久遠も五十鈴もすっかりと打ち解けて楽しそうに笑い合っていた。
「ほらほら、そんな話してないで寝るぞ。夜明けも近いんだ、少し仮眠したら出発だからな」
「「はーい!」」
こうして三人は眠りについたのだった。
翌朝。
運が目覚めると何かが自分の身体のまわりにまとわりついていて身体が動かせなかった。
――ん? なんだこれ、めっちゃ柔らかい。しかもすごくいい匂いだな……。あ、もしかしてこれはまた久遠のやつがくっついてきたんだな? 仕方のない奴だ。
運はそれを押し剥がそうと手をやったが、それが予想外の感触だったからか運は眉を顰める。
――ん? ポヨン? で、でかい。ま、まさかこれは……。
運がおそるおそる視線を上に向けると。
「うわ、五十鈴!?」
「うう~ん、むにゃむにゃ」
寝ぼけてさらに飛びついてきた五十鈴の谷間に埋もれて呼吸困難となる運。
――ティ、Tシャツおっぱ……! な、なんて破壊力だ。俺、もう死ぬかも知れん!
運が死を覚悟したときだった。
「あああああああああっ!」
突如、久遠の大きな叫び声が上がった。
「お兄ちゃん、五十鈴さん! 何やってんの~っ!」
「モガ! モガモガモガ……」
久遠の目の前で寝ぼけて運に抱きつく五十鈴と、その抱擁から逃れられず呼吸に苦しむ哀れな運の姿。
「五十鈴さん! 離れて! 離れてえ~!」
久遠は状況を察して五十鈴の身体を運から引き剥がそうとする。
「むにゃむにゃ……あ、おはようございます久遠殿……すぴー……」
しかし寝ぼけた五十鈴はすぐにまた眠りに就こうとしてなかなか運を離さなかった。
「そうじゃなくて! 前! お兄ちゃんが!」
「んん? 運殿……?」
寝ぼけた目を擦りながら、自分の胸元にある誰かの頭を徐々に認識していくように五十鈴の顔はどんどん青くなっていった。
「…………へわっ!?」
そして完全に状況を理解した五十鈴は飛び上がって運を解放したのだった。
「あわわわわわわ……」
その顔は真っ赤である。
「す、すみません……私その、寝相が……少し悪くて……うう。申し訳ありません」
「いや、俺は大丈夫だから……だ、大丈夫だったから……」
「ええ! お兄ちゃんはそうでしょうね!」
鼻の下を伸ばす運に頬を膨らます久遠だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます