第10話 エルフと忍者
その夜、運は金属がぶつかり合う音や強風の音で目が覚めた。警戒したように窓から森のほうを見てみるが、そこにはひたすら暗闇が広がるばかりで何も見えない。
森の入口は不気味と静まり返っていた。高く茂る木々が月明かりを遮り、薄暗い影が地面に落ちている。風が枝葉を揺らし、かすかな葉擦れの音が響くなか、小動物の気配がトラックの下を駆け抜けた。
――気のせいだったか?
運が再び眠りに戻ろうとしたとき、森の中でかすかに飛び散る火花のような灯りが見えた。
――いや違う。やっぱり何かがいる。
耳を澄まして聞いてみれば、たしかに金属と金属がぶつかり合うような音が聞こえてくるのだ。そしてそれはどうやら森の奥から聞こえてくるようだった。
「久遠、すまないが起きてくれ。少し外の様子が変だ」
運は寝ている久遠の身体を揺すって起こした。
「う~ん……なぁに? お兄ちゃん」
「何かが森の中で争っているようなんだが」
それを聞いて久遠はゆっくりと上半身を起こす。
「ちょっと待って……私も少しは補助系魔法を使えるから。ナイトサイト、ファーサイト」
運は魔法によって突然良好になった視界に驚いていた。
「おお! すごいな。視界が明るいし遠くも見える」
「これで森の中を見てみよっか」
久遠は立ち上がり、目を凝らして窓から森のほうを見る。
「どうやら誰かが戦っているみたい……片方はエルフ、かな?」
「エルフッ!?」
――今度こそ長耳でキレイなエルフのほうなんだろうな!?
久遠は運の予想外の反応のほうに驚いたようだった。
「ど、どうしたのお兄ちゃん?」
「い、いやあ。エルフと言ったらトラックだよなあと思って。そうだよな、ここは異世界なんだし、エルフと言ったら長耳のエルフだよな」
「変なお兄ちゃん……」
慌てて取り繕う運に久遠は少しだけ不審な目を向けたが、気にせず窓の外に視線を戻した。
「それよりあのエルフの人、何かと戦ってるみたい、見えないけど」
「相手が見えない?」
「うん。もしかしたら不可視のスキルか何かかも」
「厄介そうだな」
「でも、それと戦っているあのエルフの人も相当の実力みたい」
「しかも良く見れば女のエルフじゃないか」
「女だと何が違うの?」
「ロマンじゃないか」
「……お兄ちゃん?」
「……スマン」
「まあ、男の人は仕方ないんでしょ?」
「わかってくれるか!?」
「仕方なくね」
久遠はため息をついた。
「だいぶ追い詰められてるみたいだけど。……どうしよう、これが街でうわさに聞いたエルフ狩りとかなのかな?」
「なんかどこに行っても物騒だよな、このエヒモセスって」
「どうする? 助ける?」
「トラックで森の中じゃ戦えないだろ」
「助けたら何かが始まるかも知れないのに?」
「名残惜しいが命も惜しい。スマンなエルフの人……」
運が勝手に見知らぬエルフに詫びたときだった。
「わ! 待って! こっちに向かって来る!」
「ちょ! 待て待て待て!」
しかし運が運転席に飛び込んでトラックを動かそうとするよりも早く、吹き飛ばされて来たエルフはトラックの荷台に衝突して地に伏したのだった。
「どうしようお兄ちゃん。勝手に巻き込まれちゃったみたいだけど」
「まあトラックの中にいれば安全だと思うが……仕方ない、しばらく様子を見るか。ナヴィ、死角をナビ画面に表示してくれ。音声も拾って」
「かしこまりました」
ナビ画面に必死に起き上がろうとするエルフの姿が表示された。
見れば金髪のエルフで絶世の美女である。しかしその姿は激しい戦闘によって消耗しており、髪は乱れ、衣服も土に塗れて汚れている。トラックの荷台に衝突した衝撃によって持っていた日本刀のような剣はその手から零れ落ち、女性自身もまたトラックのタイヤに背を預け、地に腰を落とした状態で息を荒げていた。
そこへ三人の男が下卑た笑みを浮かべて歩み寄る。
「ヒヒヒ……お頭ぁ。コイツ、特上ですぜ?」
「そうだな。奴隷紋を刻んで売るのもいいが、まずは楽しんでからとするか」
そしてエルフの美女は厳しい目で男たちを睨みつけ、あの台詞を言った。
「くっ! 殺せ……」
それをナビ画面で冷静に眺めている運と久遠。
「うっわ~。そのセリフは俺でも知ってる」
「お兄ちゃん! そんなこと言ってないで助けようよ!」
久遠は運の肩を揺さぶりながら訴えかけたが運のほうはいささか冷静だった。
「とはいえ相手の力量もわからないんじゃ危険だろ?」
「勇者パーティより強い人たちがゴロゴロいるわけないでしょ! お兄ちゃんは最強なの!」
「それに、彼らにどんな背景があるのかもわからないじゃないか」
「そんなのダメ! どう考えても悪役のセリフだったじゃん!」
久遠はナビ画面を勝手に操作してトラックを収納してしまった。
「うわっと! 久遠、お前!」
突如目の前にあったトラックが消滅し、地に降り立った運と久遠に男たちは警戒した。
「なんだあ!? テメエらいったいどこから沸いて出やがった?」
男たちの威嚇を受けて、久遠は自分からトラックを消しておきながら運の背後に回った。
運は仕方なく無害であることをアピールするかのようにとぼけたように後頭部を掻いた。
「いやあ、あはは。俺は通りすがりのトラック運転手です」
「トラックだあ?」
勇み前に出ようとする男を中央の覆面男が手で制した。
「待て。……お前も転移者か?」
「ということは、そちらも」
その刹那、運と覆面男の間には一種の共通認識が作られたように静かな視線が交わされた。
「そうだ……ならお互い、この場は干渉なしが正解だと思うんだが、どうだ?」
「なるほど、一理ある」
運と覆面男はそれだけの言葉で満足げにしていたが、そこに割って入ったのは久遠だった。
「ちょっとお兄ちゃん! なんで助けないのっ!?」
久遠は運をうしろから突く。だが覆面男もそんな久遠の言葉を幼い子どもの戯れ言とばかりに軽く鼻で笑う余裕を持っていた。
「俺とてそちらのトラックに値がつくことは知っている。だが、今は取り込み中でね。そちらが俺たちに干渉しないのであれば、俺たちもそちらに干渉はしない。互いの能力も素性もわからないんだ、悪くはない話だろう?」
「ああ、お前の言いたいことはよ~くわか……」
「フザけないで! 弱った女の人を見捨てるなんてできるわけないじゃない!」
運の言葉を遮るようにうしろから顔だけ出して久遠が叫んでいた。
そこへ倒れていたエルフが口を挟む。
「そこの人。巻き込んでおいて済まないがこれは私の問題だ、関わらないほうがいい」
剣を杖の代わりにしてようやく立ち上がったエルフの足は小刻みに震えていた。
「ヒール!」
しかしエルフの言葉を無視して久遠は回復魔法を掛けていた。
「これは……なんて無茶を……」
エルフは自身の手を見て言った。
「やってくれたな……お前ら」
ギロリ、と覆面男の鋭い眼光が運に向かった。
「傷物にしないよう手間を掛けて追い詰めたところだというのに……許さんぞ」
そこへ運をかばうように剣を構えたエルフが間に入った。
「どこのどなたかは存じませんが、礼を言います。ですがあなた方は早くここから逃げたほうがいい。こやつらは
再び剣を手に覆面男に向かって構えるエルフと臨戦態勢へ移る忍者たち。だが、そんな忍者たちの視線が狙っているのはもはやエルフだけではなかった。
「おいおい、邪魔しておいて今さら逃がすと思うのかよ。この代償は高くつく……そのトラックごと置いていってもらうからな! ですよねお頭?」
「ヒヒヒ……お頭ぁ。俺は妹のほうを攫っちまうのもいいかと思いやすぜ? めっちゃ好みなんスよぉ」
「落ち着けお前ら……腐っても相手は転移者なんだ、油断はするなよ」
そんな会話を交わしながら忍者たちはジリジリと運たちににじり寄った。
「あ~……まいったな」
そんななか、運は頭を掻きながら余裕の表情でエルフの肩を横へズラし前へ出る。
――素性も事情も能力も、こいつらのこと全部わからんままだが、どうせこいつらも轢かれる側……今さら言い逃れができないのなら、降りかかる火の粉として振り払っておかねーとな。
「一応確認するけど、これエルフ狩りで合ってる?」
――せめてそれくらいは確認しておかねーと、ただブッ飛ばされたんじゃ、こいつらには気の毒だからな。
「は! 見てわかんねーのか?」
運の問いに忍者たちは平然と答える。
「このエルフの人が何か悪いことでもしたのか?」
「は? んなわけねーだろ、俺たちが狩りてーから狩るんだよ」
「どうして?」
「お前、異世界から来たくせにわかんねーのかよ。このチート能力、こいつで好き勝手無双して遊んで暮らしてーとか思わねーわけ? はっ! どこぞの勇者様気取りかよっ!」
それを聞いて運は鼻で笑った。
――ああ良かった。こいつらただのクズだったわ……。そのうえ俺に向かってくる以上、もう遠慮はいらねーってことだな。
運はスッキリとした表情で静かに告げた。
「わかった。もういい十分だ……イグニッション」
「ファファファ、やるのか? いいだろう、勝ったほうが総取りってわけだ。言っておくがこちらは全員が転移者だ、お前、終わったぞ?」
そう得意げに言い、忍者たち三人は短めの直刀を逆手に持って構えた。
「俺様の前で構えたな?」
刹那、飛び出したトラックは一瞬にして忍者たち三人を吹き飛ばして停止した。
勢い余って森に突っ込んだトラックによって左右へ飛び散る木々。
戦いは一瞬で終わったかのように見えた。
「ヒュー。やべーなその威力」
その声は運を取り囲む森の中から聞こえた。
「なに? たしかに三人とも吹き飛ばしたはずだが」
「気をつけてください。こいつらは忍者マスター、姿は見せません」
エルフが苦しそうな表情で言った。
「ファファファ。スキル幻影、インビジブル、フェイクボイス、サイレントステップ……どうだ? 知覚できない相手に突撃の威力など関係あるまい?」
運は自分を取り囲む森のあらゆる方向から聞こえる忍者の声に戸惑い、狭い場所で動きにくくなったトラックを収納し、身体一つとなって注意深く辺りを見回した。その表情には隠し切れない焦燥が浮かぶ。
「マジかよ。エルフさん、こんなのとどうやって戦ってたんだよ……」
「心です! 心の目で見るのです!」
「あ~……俺様、そういうのちょっと無理……」
予想外の根性論に運は盛大に肩を落とす。
「ファファファ、どうやらお前の能力は森の中の戦闘には向かないようだな」
「なんか妙に忍者キャラに成りきっているのが気になるが、たしかにトラックで動きにくいのは良くない状況だな……」
――くそ。街中ではないが狭い場所であることには変わりない……早くも俺の弱点が晒されてしまったな……
「ファファファ、余裕ぶっているのも今のうちだけだ! 土遁の術!」
刹那、久遠とエルフを隔離するように隆起した土壁が出現し、運は森に取り残された。
「くそ。今の俺様ならこんな土壁ごとき粉砕可能だが、万が一、吹き飛ばした残骸で久遠たちを巻き込む可能性があるのもなぁ……」
運は大きな声でエルフに呼びかけた。
「済まないがエルフさん、そこの妹を守っていてくれないか?」
「任されました! しかしそちらは!」
「なんとかする!」
運は言ったあとで頭を捻らせた。
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