第9話 トラックの旅


 ネナの街を一歩南に出ると細い街道が一本、視界の遥か先まで続いている。そしてその街道のまわりには広大な草原が広がり、どこまでも続く青空が目に飛び込んでくる。


 運が日常で見慣れていたビルや信号、車の往来はなく、代わりに自然が支配する世界が果てしなく広がっていたのだ。


――今さらながら、本当にここが異世界なんだって思えるような景色だな。


 風が心地よく吹き抜け、草や花の香りが運の記憶を刺激する。


――なんて、俺一人だったらこんなことを考えている余裕すらなかったのかもしれないけど。


 運は隣に並び立つ久遠に目をやった。


 勇者パーティにいた頃の白いローブを脱ぎ捨てた久遠は、白いショートパフスリーブのブラウスに前開きの赤いビスチェ。薄紫色の髪に大きな赤いリボンが良く映えている。ひだ飾りドレープのついたミニスカートと主張し過ぎないオーバースカートも合わせて赤と白を基調とし、衣装の統一感を持たせていた。


 足元には白い肌に調和するシンプルなオーバーニーソックスと旅を意識したカジュアルなショートブーツ。


 姿だけを総じて言えば活発な女の子といった印象ではあるが、そこはやはり内面に大人としての一面も併せ持つ久遠ならではのこだわりが隠れており、鮮やかで少女らしい可愛さを漂わせつつも、袖口や襟の小さな装飾が控えめながらも上品さを十分に引き立てていた。


 そんな複雑な魅力を重ね合わせた久遠の姿と印象は何度も運の目を奪うものだった。


「お兄ちゃん、何度もこっち見てる。……そんなに私、可愛い?」


「あ、ああ……ちょっと照れるけど、素直に可愛いと思うよ」


「えへへ、ありがとっ! お兄ちゃんもカッコいいよっ!」


 運自身も久遠に見立ててもらった厚手の革ジャケットに動きやすい麻のシャツと黒いズボンを合わせ、足元には頑丈なブーツ、腰には実用的なポーチと着替えを済ませていた。その姿はポロシャツよりもワイルドになり、エヒモセスに暮らす人々に違和感なく溶け込んでいる。


――ここから、俺たち家族の旅が始まるんだ。ちゃんと父さんのところまで連れて行ってやるからな、久遠。


 二人とも、旅の準備は完全に整っていた。


「本当にいいのか久遠? 俺について来て」


 改まって運は問う。


「うん。私お兄ちゃんと一緒にいたい」


 久遠は笑顔で即答する。


「こっちの世界にも家族とかいるんじゃないのか?」


「私は教会の孤児院で育ったから……弟や妹はたくさんいるけど、勇者さんのパーティに召集されたときにお別れは済ませてきたから」


「そうか……」


 運は自分自身にも言い聞かせるように一つ大きく頷いた。


「これから、長い旅になるかも知れない」


「うん。望むところ!」


「元の世界に戻る方法を探しても、見つからないかもしれない」


「そしたら、安寧の地を探す旅でもいいんじゃない?」


「そうか……そうだな」


「私は、お兄ちゃんと一緒ならどこでもいいよ」


 そう言って久遠は運と手を繋ぐ。


「ありがとう、久遠」


「さあ、私たちの旅の始まりだね」


「おう」


 こうして運と久遠はネナの街を発ち、しばらく街道を歩いて人目がなくなったところからトラックに乗り換えて南へと進むことになった。




 運と久遠を乗せたトラックは砂埃を巻き上げながら南へと続く街道を進んでいった。


 舗装されていない道は現代の都市で運転していた馴染み深い高速道路とはまったく異なる。土と石がむき出しであり、少し揺れる道のりを運は身体を揺らしながらゆっくりと走った。


 左右には果てしなく広がる草原や低い丘陵が続き、ときおり小川が道路を横切る。頭上には抜けるような青空が広がり、乾いた風が窓から吹き込む。道中、野生動物が遠くを横切り、見知らぬ旅人たちの隊商とすれ違いながら、二人の旅はゆっくりと進んでいった。


「さて……とりあえず久遠に言われるがまま南に向かっているが、何かいい案があるのか?」


「まずはホヘト王国の南、チリヌ公国に向かってみようかと思ってるんだ」


「どうしてだ?」


「ひとことで言えば、ロボットに強いから」


「ああ、あの戦場に控えていたロボットはそれか」


「ホヘト王国とチリヌ公国は共闘していたからね」


「それがどうしていいんだ? むしろ王国の味方なんじゃないのか? 俺のトラックが狙われたりしないだろうか」


「それは平気。公国は貴族制だから一枚岩じゃないの。私たちの味方になってくれる貴族も絶対にいるはずだよ。それに機械に強ければトラックに嫌なイメージを持つ人も少ないと思わない?」


「なるほどな……。納得だ。久遠がいてくれて本当に心強いよ」


「し、仕方ないからずっと一緒にいてあげるもん……」


 久遠は嬉しそうに頬を赤らめながら運転中の運の肩に頭を寄せた。


「おいくっつくなよ、運転中だぞ」


「ぶー」


 運に突き放された久遠は頬を膨らませて拗ねていた。




 トラックは南のチリヌ公国に向けてさらにしばらく走った。


 時折、遠くにそびえる山々が目に入り、運はその美しさに感嘆する。現代の景色では味わえなかった雄大な自然の存在感がどこまでも続いている。運の胸には異世界の新鮮な空気が満たされ、まるで新たな生命が吹き込まれたようだった。


――トラックでの長距離移動には孤独が付き物だったけど、なんかこういうの、いいよな。


「お兄ちゃん、大丈夫? もう長い時間運転しっぱなしだけど」


 久遠が少し心配そうな顔で運転中の横顔を覗き込んだ。


「長距離ドライバーなめんなって。それより先は長いな。日も暮れてきたし今日はトラック内で車中泊になりそうだが、いいか?」


「私は構わないけど、トラックが見つかってモンスターや誰かに襲われない?」


「実は俺にだけ声が聞こえるトラックの精霊ナヴィってのがいるんだが、そいつが言うには、今やこのトラックの装甲を破れるのはドラゴンやベヒモスなどの上位モンスターくらいしかいないらしいぞ?」


「そんなモンスター、勇者さんたちといたときでさえ見たことないよ……一応、春になると荒野にドラゴンが降りてくるなんて言われてるけど、それくらいしか話にも聞かないし。だから自ら会いに行くような自殺志願者でもなければ出くわすことはまずないかな」


「なら基本トラックの中にいれば安心して眠れるってわけだな」


「それはそうだけど……うしろの寝台スペースで二人で寝るの? 二人だと狭くない?」


 久遠が照れたように赤らめた頬に両手を軽く添えて言う。


「ああ、それは生活空間ってスキルにも少しスキルポイントを割り振っておいたから空間魔法的に? よくわからんが広々としているはずだ。外からの見た目じゃ変わらないのにな」


「……ぶー」


 久遠はなぜかまた頬を膨らませて拗ねていた。




 夜の帳が下りる頃、二人は街道から少し離れた森の脇にトラックを寄せた。


 静けさがエヒモセスの広大な大地を包み込むなか、運と久遠はトラックの中で初日の夜を迎えようとしていたのだ。窓から空を見上げれば一面の星空が広がり、空気は少しひんやりとしている。だが二人の乗るトラックは驚くほど快適な空間となっていた。


「星がすごく良く見えるんだな……。なんか月も向こうの世界より大きく見えるし、見慣れてきた夜空と違うっていうか……運転中に見てきた景色を思い返してみても、改めてここが異世界なんだなって実感するよ」


「私はエアコンの効いた旅ができるってことに驚いてるけどな」


「基本的にこのトラック、ほかの冒険者たちが使うスキルや魔法みたいな扱いと同じで、俺の精神エネルギーを使っているらしいからな。ガソリンなどを使ってないぶん排気ガスもないし、異世界の環境にも配慮した感じになってるんだ」


「あはは……色々な意味ですごいトラックだね」


 久遠は驚き半分、呆れ半分といった表情で笑っていた。


「お兄ちゃん。今日は運転お疲れさま。一応ヒールをかけておくけど、ゆっくり休んでね?」


「お、回復魔法か……ありがとう、肩の凝りが一瞬で消えていったよ」


 運は小さく肩を回して見せた。


「寝場所が森の隣ってのは少し不気味かもしれないが、目立たないほうがいいかと思ってな」


「うん! どうせ無敵トラックの中ならどこでも安心だし、私は異論ないよ?」


 トラックは木立に隠れるように停められ、森の中に紛れるその姿は闇に溶け込むようにひっそりとたたずんでいた。


「旅立ち初日から車中泊で悪いな」


「ううん。全然いいよ! むしろ旅なのに快適すぎて笑っちゃう」


「なら良かった。うしろの寝台スペースで今日はもうゆっくりしようぜ」


「うん」


 そう言って久遠は運転席うしろの遮光カーテンを開け、感嘆する。


「うわあ。広ーい」


 そこにはまるで小さな家があるような空間が広がっていた。人が立って歩ける天井の高さはもちろん、質素ながら家具の配置されていない開放感を放つリビングは広々としており、簡易なキッチンも備えていた。


「まさかここまで広いとは思わなかったよ……もうこれ家じゃん」


 久遠はさっそく寝台スペースに上がり、中心に立って内部を見回した。


「寝台スペースは本来もっと狭いんだけどな、異世界スキル様々だ。……欲を言えばもっと機能拡張もできるんだが、今はまだ慎重にスキルポイントを使うべきだと思っててな」


「十分だよ! 旅路で安心して寝られるだけでも嬉しいのに、暖かく手足を伸ばして寝られるなんて最高すぎるでしょ!」


「でも、久遠は女の子だし個室とか欲しいだろ……?」


「いざというときにスキルポイントが足らなくて詰むより全然いいよ! そういうのはあとあとゆっくり考えていこ!」


「そう言ってもらえると助かるよ」


 運は安堵した表情で自身も寝台スペースを見た。


――リビング一つの小さな家。でも俺一人の家じゃない。久遠と俺、家族の家だ。


「本当にすごいねこのトラック……ここが私たち家族のお家になるんだ……」


 運は感慨深そうに久遠の笑顔を見つめる。彼女の瞳にはかつての家族の生活がかすかに甦って見えているようだった。


「お兄ちゃん! もうここ寝台スペースじゃ変でしょ? リビングって呼ぼうよ!」


 そんなイタズラな顔には懐かしさと安心感が交錯して浮かび、頬が緩んでいた。


 そんななか、久遠の視線はリビングの隅にまとめて置かれた物品の山に止まる。それは元々運のトラックに積んであった生活用品の数々であった。


「え、なにこれすごーい! 布団セット、電気毛布にテレビ、パソコン、冷蔵庫、電子レンジ、ポット、カセットコンロ……調理器具まで。フル装備じゃん! なんでこんなにあるの!?」


 運は少し恥ずかしそうに肩をすくめながら応える。


「実はこのトラック、会社のトラックだったんだが新車の頃からずっと俺が乗っててな。よく世話になってた社長が安く譲ってくれるってんで買い取り寸前だったんだ」


 その声にはどこか誇らしげな響きが混じっていた。


「すごい! 独立でもしようって感じだったの?」


「まぁな……いつまでも誰かの世話になってるのは違うと思ってさ。支払いはもう済ませてあって、あとは諸々の手続きだけだったから俺も嬉しくなっちまってさ。ちょうど色々と買い揃えてたタイミングだったんだよ」


「それでこんなに……」


「長距離ドライバーは車内生活が長いからな。……ちょっと窮屈でたまらんなって思ってたところだったが結果オーライだ。ほかにも入浴セットなんかも揃ってるぞ」


 運はイタズラをする少年のようにニッコリと笑って見せた。


「素敵! 私こういうキャンプ生活みたいなの、ちょっと憧れてた!」


「珍しいのは最初だけだ。……ちょっと待ってろ、さっきの街で仕入れた食材で何かメシでも作ってやるからな」


「わ! お兄ちゃん料理もできるの?」


「おうよ。車内で作る通称トラック飯、食わせてやる」


 久遠は驚き、運は袖を捲くってキッチンに向かう。


「素敵すぎるぅ~! ねぇ、それまでテレビ見ててもい~い?」


 久遠は両手を合わせて感激したり、家電を漁って楽しんだりと忙しい様子だった。


「いや……さすがに異世界じゃテレビは無理だろ。しかもそれ、ちょっと固い物にぶつけてしまって壊れてるからな?」


 運は呆れながら久遠のほうへ振り返るが、そのとき久遠はテレビに向かって真剣な表情で杖を構えていた。


「ヒール」


「な~にやってんだ……」


 運は本当に呆れた顔で見ていたが。


「お兄ちゃんテレビ直ったよ。言ったでしょ? 私、なんでもヒールで治せるもん」


「はぁ!?」


 運は画面の映ったテレビを見て開いた口が塞がらなくなっていた。


「それはチート過ぎるだろ……ていうか、なんで異世界なのに映ってるんだテレビ。電波とか色々、なんかこう、技術的な問題があるんじゃないのか……?」


「お答えしますマスター。僭越ながらナヴィが仲介のお役目を仰せつかっております」


 運は少しだけ申し訳なさそうに、それでいて呆れたように肩を落とした。


「ほかの転移者の方々が苦労しているだろうところ、快適で色々と申し訳なくなるよ」


「ん? 何か言ったお兄ちゃん?」


 テレビのチャンネルをリモコンで操作していた久遠が振り返って問う。


「いいや、なんでもないぞ。快適にいられるならそれが何よりだなって思ってた」


「そうだよねっ!」


 久遠は寝台スペースでゴロゴロ寝転がりながら笑顔で言った。


「わ~。なんかすっごく楽しい旅が始まる予感がしてきたよ!」

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