美少女戦士セーラームーンCosmos 後編

笑ってはいけないセーラームーン。


映画の感想を書こうとして最初に思い浮かんだ言葉がこれだった。


内容に対して、尺が圧倒的に足りていない。


なんでこんなことになっちゃったのかというと「セーラームーン」は漫画を原作としながら、アニメのスケジュールに従って原作を展開させるという特殊な作品だったからだ。


なのでそれぞれのシリーズが1年分の月刊連載で終わってしまう。3巻分ぐらいの紙幅にアニメ1年分の内容を押し込んでいるのだから、それ自体が駆け足になる。さらにそれが3時間に圧縮される。


(土曜7時に放映されたセーラームーンは1年1シーズン40話ほどのボリュームで作成されていた。およそ3クール分。最近のアニメで探せば「ジョジョの奇妙な冒険・ストーンオーシャン」が原作17巻で3クールだ)


この「美少女戦士セーラームーンCosmos」はシリーズ最後の「セーラースターズ編(シャドウ・ギャラクティカ編)」を扱っているため、物語はユニバースの核心に触れていく。


そのため大量のキャラクターが現れ、大量の設定を口にしていくことになるのだが、いかんせん尺がない。


なにしろ主人公陣営のセーラー戦士だけで、セーラームーン、セーラーマーキュリー、セーラーヴィーナス、セーラーマーズ、セーラージュピター、セーラーウラヌス、セーラーネプチューン、セーラープルート、セーラーサターン、セーラーちびムーン、セーラーセレス、セーラーパラス、セーラージュノー、セーラーベスタ。


そこに、セーラースターファイター、セーラースターメイカー、セーラースターヒーラー、セーラー火球、セーラーちびちび、が味方として加わり、変身したり、必殺技を使う。


漫画と違って、アニメでは変身シーンを省略できない。

省略しないことで尺づまりが加速する。

物語はさっさと次の話に進まないといけないから、変身シーンに使った時間だけ、戦闘シーンが短くなる。

変身シーンでもったいつけた割に、あっさり敵に倒されちゃうから「笑ってはいけない」状況に陥るわけだ。


え? よわ。


ででーん、アウトぉ〜。


セーラー火球(水樹奈々)は本当に「笑ってはいけない」だった。

後編まで引っ張って、後編でも勿体つけて、いよいよ変身して、さあどんだけ活躍してくれるのかなあ、と思ったら、あっという間に超速死ボンヌ。


その上、セーラー戦士姿がほぼビキニ。

清楚なプリンセス然として現れた火球さんが、変身したら、ほぼビキニ。


ででーん、アウトぉ〜。


なんという水樹奈々の無駄遣い。

そもそもスターライツ組は設定が多すぎる。


普段は男装しているが、変身すると女性になる。

いる? ふくらみ。

二つの姿を持たせても、その設定を活かす時間がないんだもの。


初お目見えのセーラー戦士だから、変身シーンも長い。

いる? タップダンス。

かっこいいって思わせても、その後すぐにやられるんだもの。


ででーん、アウトぉ〜。


サービスしてるつもりが、笑いにつながってしまう。

すごく深刻なシーンなのに、展開が早すぎて、気持ちが追いつかない。

設定が多いのは、もともとが1年分の話を持たせるためのボリュームが必要だったからで、忠実な再現ではあるのだが、倍速視聴ならぬ倍速映画、セーラームーンRTAと化した本作においては、わりとすべてが逆方向に作用する。


味方もセーラー戦士だらけなら、敵もセーラー戦士だらけだ。

シリーズの総決算に当たる本作では、銀河中の星々にセーラー戦士がいることが明かされ、ラスボスのギャラクシア(林原めぐみ)もセーラー戦士となる。


雑魚敵すらも、ギャラクシアが支配下においた星から連れてこられたセーラー戦士だ。

意図的には、ボス級の強さを持った戦士を毎週の妖魔レベルにすることで、過去最大級に手強い敵との戦いを演出しようとしており、TVシリーズにおいては機能していたものではあるのだが、映画においてはあまりに高速で、出た! 死んだ! が繰り返されるため、セーラー戦士の大安売りに見えてしまう。


セーラーヘビィメタルパピヨン!


ででーん、アウトぉ〜。


何十人も出てくると、名前を考えるのも一苦労だ。


そして終盤は三石琴乃vs三石琴乃となる。


謎のセーラー戦士ちびちび(三石琴乃)の正体が、絶望の未来から来た自分(三石琴乃)であることが明かされ、究極悪セーラーカオスを倒すには、すべての星の源であるコルドロンを消滅させるしかないという話になる。

コルドロンを消滅させれば、カオスも消えるが、銀河に新しい星は生まれなくなる。

そうするしかないと言うちびちびと、銀河を可能性の消えた宇宙にしていいのかというセーラームーンが激突する。


三石さんばかりが大忙しだが、セーラームーンという作品自体がセーラームーンによるセーラームーンのためのセーラームーンみたいな話だし、三石さん以外のキャスト総入れ替えの「セーラームーンCrystal」シリーズのクライマックスとしてはふさわしい展開ではある。


なのに。


ちびちびが本来の姿を取り戻した途端に、北川景子の声になるのはなんでえええええええ!?


ごめんなさい。

思わず、ええええええっ、って声が出ちゃいました。

配信で良かった。

私みたいなツッコミ屋さんは配信で正解でした。

劇場で見てたらどうなっていたことか。


いえ、北川さんのキャスティング自体はいいんですよ。

本作はセーラームーンの総決算に当たる記念作ですし、実写版でセーラーマーズを演じ、一番の出世女優である北川さんがアニメ本編にも役割を得ることには、とっても賛成なんです。


でも、この流れで、北川景子はない。


あまりの衝撃にしばらく意識が飛んで、セリフを聞き逃してしまい、巻き戻して、見直しました。


せっかくいい映画を作っても、声ひとつでぶち壊し。

キャスティングはそれぐらいに重要なパートです。


ぶっちゃけ、この映画は全編にわたっておかしなテンションなので、ががーんとはならず、ででーんで済みましたが、せっかくの絵も音楽も演出も、声ひとつで台無しにできるぐらいの影響力を声は持っているので、担当者さまには丁寧なお仕事を強く望みます。



わりと散々な書き方をしてしまったが、前後編3時間はとても楽しい時間だった。


懐かしい。

作ってくれてありがとう。

そんな気持ちが自然とあふれてくる。


無駄が多いと書いたが、旧アニメで未登場だったキャラや、変身できなかったセーラー戦士姿を出すことに意味があるんだと言われれば本当にその通りで、そもそもがリメイクのかたちをした「原作漫画の初アニメ化」と言う珍妙きわまりない立ち位置の映画だし、原作をそのままブッ込むことに意義があるものに対して「一本の映画としては変」と評するのもズレた話だと思う。


原作者からのメッセージが最後に写されて完結、なんて、普通はない。


そのメッセージの内容も、本当に普通のことしか書かれていないのだけれど、NAOKO先生がくれた言葉なのかと思うと、じーんと感動できる。そんな人たちのための映画だ。


同窓会なんだよ、文句あっか。


欠けている部分は、見ている側の思い入れで埋められる。

30年の時間は伊達じゃない。


無理はあるけど、入れられるもの、ぜんぶ入れておいたから、あとは各人、好きなように楽しんで、みたいなフィルムでも対応できるのだ。


だから「感動した!」と言う感想にも「うんうん」ってうなづけるし「ひどかった!」と言う感想にも「うんうん」とうなづける。どっちもわかる。だってどっちも思い入れゆえの言葉で、根底にあるのは同じ気持ちだから。


最後のセリフを引用する。


新しい星たちが次々に生まれてきても、

セーラームーン、君は永遠に不滅だ。

永遠にいちばん美しく輝く星だよ。


30年前に書かれた言葉だが、30年経っても古びることなく通用する言葉だ。

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