BLUE GIANT
BLUE GIANTとは青色巨星のことだ。
ジャズの世界で、圧倒的な腕を持つスタープレイヤーのことを指す。
そしてはこれは、青春の物語だ。
出会ってしまった三人の、人生の一瞬。
わずか1年半の出来事を切り取った作品だ。
熱を持って生まれ、育ち、最高の輝きを見せて消える恒星のような映画だ。
メインプレイヤーは三人。
テナーサックスの大。
ピアニストの雪祈。
そしてドラムの玉田だ。
最初は三人のうちの誰かに共感するところから始まり、最終的には三人とも好きになる。
それぞれがそれぞれのポジションで最善を尽くす。
大は前向きだが、現実性が乏しい。
雪祈は現実的すぎて、冷たいところがある。
玉田はいいやつだが、実力不足だ。
場面場面で三人の関係性がくるくると変わっていく。
最初は雪折が玉田を切り捨てようとし、大がかばう構図だが、雪折がスランプに陥ると、大は突き放し、玉田が雪折をかばう構図になる。
とはいえ最初の雪折が非情だったわけではない。玉田の実力では組んだところで恥をかいて、玉田がみじめな思いをするだけだ、という思いやりがあったことがあとでわかる。
むしろ、玉田が苦しむのはわかった上で、そんなの玉田の心の問題だと突き放す大のほうがドライだ。全力で生きている大は、恥を恥とも思わないし、完全燃焼してこその人生だろ、ぐらいに割り切ってる。
近くに寄りたくないタイプの超人なのだ、大は。
だが、世界に挑まんとする人間はそれぐらいブチ抜けてるモノだ。
夢のためなら死んでもいい。
俺はそう思ってるけど、お前はどう?
大は、共感とは違うレベルの、仰ぎ見るスターであり、エゴイストだ。
自分にはできないことをしてくれるヒーローだ。
大の前では、天才ピアニストの雪祈ですら凡人にされてしまう。
なまじに賢い雪祈は、早熟したが故に、小さな殻を作ってしまう。
礼儀正しいようで生意気。上手いのに個性がない。そんな演奏家になってしまう。
大と出会っていなければ、雪祈はくすぶったままで終わり、その殻を壊すチャンスに出会えなかったかもしれない。大と出会ったことで、SO BLUEの扉を叩き、大人の厳しい評価にさらされ、成長のきっかけを得る。
物語の序盤で、雪祈は言う。
ロックバンドは一生の付き合いだが、ジャズバンドは一瞬の付き合いだ。
JASSはジャスバンドならではの三人組だ。
大は世界級、雪祈は国内級、玉田はプロにはならず他の仕事に就く級。
最初からそれは予感され、そんな三人が一瞬だけ重なりあえる一年半を描いた物語だ。
別れは最初から明示されている。
劇中、ちょくちょく差し込まれるドキュメンタリー風のインタビューカットだ。
原作巻末のそれの活用だが、JASSは1年半で終わることが早々に断言される。
これは青春を描いた映画で、
永遠には続かない幸福な瞬間を切り取った映画なんだな、
そう予感させて、その通りになる。
青春映画とはそのようなものだし、
ジャズという音楽がそうだ。
その日、その夜、その演奏に、それまでの人生のすべてをぶつけるのがジャズだ。
その一瞬に自分を燃やし切るのがジャズだ。
結果ではなく過程。
まだ何者にもなれていない若者たちの、未熟だけれど全身全霊の時間、それが青春であり、ジャズだ、という映画にこの「BLUE GIANT」はなっている。
物語は「一瞬の価値」というものを何重にも重ねて見せていき、最後のライブで結実する。
たった一度のSO BLUE。
三人で最後のライブにするはずだったもの。
二人のライブ。
雪祈の片手ソロ。
今年、今夜、その夜だけの、ジャズだ。
完全完璧な頂点なんてない。
今できる最高が頂点。
それがジャズ。
そのことは最初から口にされ、最後まで貫かれる。
このJASSというバンド。
最初から最後まで、パーフェクトなセッションがない。
序盤は主に玉田の実力不足で、
終盤は雪祈の怪我で。
一度たりとも、満点の演奏をすることがない。
夢の舞台でたった一度だけ許されたライブですら、満足とはおよそ言い難い状態で始められることになる。
でも、それがジャズだ。
最高点なんてない。
今日、その夜、今できる全力を出す。
同じプレイは二度ない。
同じ譜面を弾いても、同じメンバーで弾いても、昨日の演奏と今日の演奏は違う。
一瞬一瞬完全燃焼。
雪祈は言った。
ロックバンドは一生の付き合いだが、ジャズバンドは一瞬の付き合いだ。
なぜなら、ジャズはとても個人的なものだから。
突き詰めれば、その日のソロこそがジャズ。
同じような時期に同じような方向を向いていたメンツがそれぞれの夢を追って、それがズレたら終わる。
だから彼らの映画には「ボヘミアン・ラプソディ」のようなクライマックスはない。
それまで積み上げてきたもの全てが、最高の状態で爆発する。
そんなステージにはならない。
どうしようもなく不本意な状態で、なんなら最悪な状態で、最後のライブをする。
だが、それでも最高の演奏をする。
自分ができるベストなパフォーマンスを見せる。
雪祈がそうだ。
完璧にこだわっていた彼が、左手一つで、痛みの残る体で、ピアノを弾く。
どんなに出来の悪いコンディションでも、地を這うほどの腕しか見せることが出来なくても、今できる全力を見せる。
文字通りの「内臓をひっくり返すぐらい自分をさらけ出す」ソロだ。
映画は演奏終了と同時にエンディングロールに入る。
余計なシーンはない。実にクールだ。
押し付けるような回想がスタッフクレジットの隣に映し出されることもなく、真っ暗な画面に、一人ひとりが自由に余韻に浸る。まるでジャズクラブの夜のように。
そのあとで、ひとつだけ、やり取りがある。
バンドは終わるが、友情は終わらない。
それぞれのジャズも終わらない。
終わるなよ、という大からのメッセージだ。
大らしい身勝手な要求だが、それは今の雪祈がいちばん欲しかったものだ。
*
「BLUE GIANT」は音のない漫画から音を感じさせる見事な作品だが、音が付くことで最高のものとなった。色が付き、動きが付き、彼らの音楽を体感できるようになった。
一本の映画にするにはやや長めのストーリーをきっちりと整理し、早送り感なく構成している。
アオイの出番は唐突だが、あれはあれでいい。
大人になったアオイと雪祈の話は原作では意味が確定しているが(読もう!)、映画では自由な解釈として提供されている。フィルムの外で再会しているか、アオイが雪祈を発見しただけで二人はまだ再会してないか、どう想像しようと自由だ。
これは大人の映画だ。
ほんの2時間、彼らの青春を体感し、そして別れる。
お節介な解釈の押し付けはない。セリフには含みがあり、本音は言外にあり、好きに受け取る自由がある。
俺は勝手に演奏する。客は勝手に感じろ。
それがジャズで、それがジャズ映画だ。
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