マイ・インターン
ディズニーが作れない映画がここにある!
さすがはナンシー・マイヤーズ。
たった1本で正解を出しました。
現代女性は白馬の王子を必要とはしない←間違い
現代女性は一人でも戦えるが、白馬の王子を求めても良い←正しい。
本作における王子は、王子というには、いささか年をとったダンディ、ロバート・デ・ニーロです。
現代のディズニープリンセス映画にある息苦しさ。
主人公に厳しすぎるんですよね。
現代女性は強くあらねば、という思想が強すぎて、彼氏に頼れないんですよ。
相方が男性だと、まずポンコツ。
マウイ(モアナと伝説の海)は男だけど人間じゃないから有能。
エルザ(アナと雪の女王)は女性だから超有能。
まず間違いなく脚本の段階で「白馬の王子」チェックが入れられてて、世間が「白馬の王子」キャラだと見做しそうな男性キャラは悪役か無能にするような修正が加えられているわけです。
ディズニープリンセスになることイコール「イケメンと結ばれない」「ハイスペと結ばれない」という、まったくもって夢のない時代。
いいの? それで?
ナンシー監督はそういう不自由なフェミニズム映画に石をぶん投げるわけです。
私の映画では、フェミニズムの宿敵であるところの家父長制を体現するような存在、ロバート・デ・ニーロ演じる威厳ある男ベンに、若き女性社長ジュールズを救わせますが、何か?
これって例えるなら「若き黒人社長が、賢い白人男性の指導を受けて成長する」みたいなシチュエーションなんです。
いかにもフェミニズム映画の体裁をとりながら、一番やってはならんことをしているわけです。
やってはならんことをすることで、やってはならんというタブーから解放するわけです。
もういい加減、大丈夫でしょ?
男に頼ったところで、時代はもう、逆には戻らない!
無理に背伸びして、無駄に消耗するのはやめて、頼れるものはどんどん頼って、使える力はどんどん使って、大活躍していきましょう!
そういうメッセージを感じ取れる映画なのです。
この映画、ロバート・デ・ニーロが演じるところの70代のおじいさん・ベンの視点から入るので、社会から引退した男がふたたび社会に戻っていく物語のような印象を与えますが、それはフェイクです。
この映画の主人公は(ナンシー監督が描こうとしているのは)まぎれもなくアン・ハサウェイが演じる若き女性社長ジュールズです。
ベンはジュールズの願望を具現化した「理想の紳士」でしかありません。
若い人はジュールズの悩みや苦しみを自分のこととして共感を寄せることができますが、完璧すぎるベンに、年寄りが共感する余地はありません。
ロバート・デ・ニーロに夢を託し、彼が若い人たちの尊敬を勝ち取っていく姿を見て、ヒーローの活躍に満足するような構造になっています。
アン・ハサウェイのような綺麗な女性に尊敬されたら、おじさん、それだけで嬉しくなっちゃう生き物ですからね。
老若男女の誰もが、自分なりの楽しみ方のできる映画になっているんですよ。
とはいえ基本軸はフェミニズムにあります。
注目すべきところは、ベンとジュールズが恋愛しないところです。
なぜなら「性愛抜きに奉仕してくれる男性」は、フェミニズムの世界では最高位に位置する騎士だからです。
ベンはその役割をしっかりと果たします。
二人には上司と部下という関係性がありますが、太極拳のサークルで出会ったとしても、まったくの無償であったとしても、ベンはジュールズに対して同じように親切を尽くしたでしょう。
もう一段階、掘っていきます。
ベンが来るまでのジュールズの世界には「ポリコレ時代に対応した」男性しかいません。
子供っぽかったり、中性っぽかったりする男性ばかりで、マッチョは一人もいません。
彼らは「有害な男らしさ」を持たず、社長であるジュールズを尊敬しています。
彼らは善良です。でも、彼らではジュールズを支えきれません。
非力な手下がどれだけいても、意味がないのです。
仕方なく出てきた案が「企業経営のプロを新社長として招く」というアイデアです。
けれど、それはジュールズの本意ではありません。
ジュールズは社長業をやりきりたいのです。
そんな彼女の前に現れたのがベン。
ベンは父、先生、指導者としての特質を備えています。
ほんのわずかなやり取りで、相手の信頼と尊敬を勝ち取ってしまう完全なる人類上位種です。
ジュールズもたったの1日で陥落します。
ベンの発する的確な言葉によってジュールズは的確な選択ができるようになり、家庭と社長業の両立に自信を持って取り組む決意を固める、というのが物語の結末です。
ベンの前ではジュールズは明らかに「娘」であり「弟子」のムーブをしています。
ベンは何も要求していません。
ジュールズの方から心を開いて、娘になりにきているのです。
幸せになるために。
これは「大人になっても、責任ある立場についても、誰かに甘えていいんだ」ということです。
自立した女性も、24時間365日自立している必要はないということです。
誰かに寄っ掛かってもいい。
女性に寄っ掛かるのはいいけれど、男性に寄っ掛かるのは敗北であるなんてことはないのです。
寄っ掛かるのは、明日のためです。
自分の責任を果たすために、一時的に他人に甘え、ベンから力をもらって、ジュールズはふたたび責任ある立場に戻ります。
作中では「友人」と表現される二人の関係ですが、実態は「親子」です。
ベンは紳士なのでペンスルールを遵守します。妻でも恋人でもない女性と密室で二人きりになったりはしません。ましてやガウン姿で。それを踏み越えてくるのはジュールズなのですが、ジュールズの中にも性的なニュアンスはありません。ベンの前にいるときのジュールズは明白に「娘」で、いい年をしても親に甘えたいという願望が、本編の最後のほうにあるベッドのシーンなのです。
(このシーン自体は、ロマンス要素目当てに見にきた人ががっかりしないように、サービス的にぶっ込んだシーンの可能性もなくもないのですが……)
2015年では「マイ・インターン」がちょうどいい感じだったのかもしれませんが、
2024年なら、もっと欲張ってもいい気がします。
困った時は助けをどんどん借りてもいい。助けられることは情けないことじゃない。
仕事も出来る、素敵な旦那もいる、可愛い子供もいる。
親をしながら、恋人モードにも戻れるし、娘モードにも戻れる。
いつだって、自由自在に。
全部手に入れられちゃう、強欲で、いつまでもキュートな自分。
映画にはそれぐらいの夢があったほうがいい!
(ジュールズの夫であるマットに触れてないのは、マットの浮気プロット、あれは別の話に差し替えた方が良かったと思ってるからです)
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