グラン・トリノ
家族とうまくいかない老人が、ひょんなことから出会った若者と仲良くなり、一花を咲かせようとするものの、うまくいかず、ケジメをつけることになる……
実質「ミリオンダラーベイビー」2じゃん!
初見の時はそう思ったのでした。
「運び屋」でも家族とうまくいってない。
クリント、この設定、大好きすぎなのではないか?
6人もの女性との間に、8人もの子供を作ったんですから、そりゃ、常に誰かしらには嫌われているでしょうよ……
名俳優、名監督なのですから、仕事場では後輩たちに常に尊敬されているはずです。大事にされてるはずです。監督、主演作品の現場ならなおさら。
家族とはこじれ、他人とはうまくいく。
……そういうことなのかい?
冗談はさておき、この「グラン・トリノ」という作品、話の2/3ぐらいまでは、とても幸せで、とても居心地の良い話です。
意固地で偏屈な爺さんが、若者にチャンスを与え、成功に導く。
人生を見つけられずにいた若者は、爺さんから人生を学び、
人生を否定されていた爺さんは、若者たちから尊敬を受け、
年の差を超えた友情を育む。
普通の映画であれば、最後にちょっとした事件が起こるけれども、うまく解決して、ハッピーエンドで物語は終わる。
普通の映画ならば。
普通に終わらないのがクリント映画。
老人は大きなミスを犯してしまい、その責任を取ることになります。「ミリオンダラーベイビー」も「グラン・トリノ」も「運び屋」もそうです。
ハードボイルドの文脈なんですね。
最後に極めつけの試練を主人公に与え、その答えはいつも孤独。
「夕陽のガンマン」や「ダーティハリー」の頃と何も変わっていません。
ストーリーは反転しています。
昔は暴力で解決していました。
今は暴力を否定します。
暴力否定の結末にフォーカスすれば、暴力映画ばかり演じてきたクリントが最後にたどりついた境地、という言い方もできます。
ですが、主人公の孤高性は変わりません。
そもそもクリントは暴力肯定の意図など、はじめから持っていないでしょう。見過ごせない暴力を止めるために暴力に訴えた。昔も今も同じです。今回はそれが裏目に出てしまったので、自分の命を盾にして誰かの未来を守る。一番の責任は自分が引き受ける。
そこはカウボーイ時代や刑事時代と同じなのです。
ウォルト(クリント)は命という代償を支払いましたが、愛車「グラン・トリノ」を譲りたいと思える相手と出会えることができたという意味ではハッピーエンドだったように思います。
自分の残り少ない命で、タオやスーの長い人生を守ることができたのです。あの場面はウォルト一世一代の「大芝居」だったはずです。
物語冒頭の「家族にすら厄介者扱いされている」状況から見れば、タオやスーの尊敬を得ることができた日々は充実していたでしょうし、スーが暴行されない世界線があれば、そのためにであっても、ウォルトは自分の命を捧げていたでしょう。(「ミリオンダラーベイビー」においても、代われるものなら代わりたかったはずです)
製作当時は「グラン・トリノ」を俳優人生最後の作品にするつもりだったそうです。
最後の最後までハードボイルド。
それがクリント・イーストウッドの映画人生なのです。
*
とはいえ。
2008年「グラン・トリノ」
生意気な子供たちには遺産は何ひとつ渡さない。
2018年「運び屋」
好き放題に生きたせいで家族には嫌われていたけれど、あっさり許してもらった。
……リアルもそんな感じなのかい?
と、思わなくもなくもないクリント・イーストウッドの豪快映画人生なのでした。
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