フォードvsフェラーリ

びっくりしちゃった。


フォードが初のル・マン優勝を果たすまでの物語。

初にして唯一のル・マン優勝米国車GT40誕生までの物語。


ふむふむ、なるほどって「フォードvsフェラーリ」を見てみたんだけど……。


なにこれ。


ここで質問です。

映画を見終わったあなたに爆弾を一つ差し上げます。

作中の好きな場所を、一つ、自由に吹き飛ばすことができます。

どこにしますか?


そんなのル・マンのチームガレージの2階にあるフォードの社長連中がたむろしてるバルコニーしかないだろう!

おまえら、みんな、吹き飛んでしまええええ!


笑顔でそんな気持ちになれる映画です(にっこり)。


…………。

え、と、これ、フォードの映画ですよね?

フォードが初のル・マン優勝を果たすまでの映画ですよね?

名車GT40誕生までを描く映画ですよね?


なのになんでこんなフォードdisな気持ちになっちゃうんですか???


タイトルに偽りアリなんですよ。


「フォードvsフェラーリ」


間違いです。


「フォードvsフォード」

「現場vs社内政治」

「ひたむきに最速を目指す男たちvs彼らの成果を横から奪い取ることで社長に媚を売ることしか考えていない副社長」


そんな作品です。


だからこそ、味方であるはずのフォードから銃を打たれ続けながら、ル・マン優勝を成し遂げた(正確に言えば、その優勝すらフォードに奪われた)主人公たちの辛さ、悔しさ、そしてそこから立ち上がる心の強さに感動できる映画です。


人生のすべてをかけてもぎ取ったル・マン優勝を、つまらない社内政治に台無しにさせられた。それでも壊れなかった二人の友情が何よりも尊い映画なのです。


この物語の主人公は二人。

チーム監督のシェルビー(マット・デイモン)と、ドライバーのマイルス(クリスチャン・ベイル)です。


挑戦のきっかけは、金の力でフェラーリを従わせようとしたフォードが、逆にフェラーリに手玉に取られ、怒り狂ったフォード2世により、フェラーリが君臨するル・マンレースへの殴り込みを決意するところから。


そこでフォードが白羽の矢を立てたのが、外国チームでのル・マン優勝経験を持つシェルビーだったわけです。


シェルビーはもうハンドルを握れる体ではなかったので、ル・マンに挑める能力とタフネスを持ったドライバーとして、マイルスを誘います。


最初にマイルスはシェルビーに警告しているんですね。

フォードの役員連中はお前を憎むって。

フォードと組んだって不幸にしかならないって。


その通りになります。


でも、シェルビーはル・マン優勝という夢に飛び込んでしまい、強引にマイルスを巻き込んでしまう。マイルスはマイルスでクルマが大好きだから、自分のすべてを賭けて取り組んでしまうのです。


どんな結末が待ち受けているかも知らずに。


彼らの成果だけを掠めとり、自分のものにしてしまおうとする男が現れます。

それがレオ・ビーム副社長。


監督であるシェルビーは、ビームとマイルスの板挟みになります。

マイルスを敵視するビームは、権力で彼を追放しようとします。

結果、最初のル・マンにマイルスは出場できず、チームは惨敗。


もちろんマイルスはそれ見た事かとシェルビーを突き放します。当然です。が、シェルビーの苦しい立場を理解し(取っ組み合いの喧嘩をした上で)受け入れ、2人の2年目の挑戦が始まります。


シェルビーは今度こそマイルスをル・マンに出すべく画策します。フォード2世への直談判により、フォードのレース部門のうち、自分のチームだけを独立させることに成功するのです。


面白くないビーム副社長。


同じマシンでレースに出ても、勝利をおさめるのはマイルスばかり。

マイルスは実力で、ル・マンへの出場を獲得します。


ますます面白くないビーム副社長。


ル・マンにおいても、マイルスのスピードに追いつこうとしたフェラーリは自滅し、レース中盤で全滅してしまいます。あとはマイペースで走って、チェッカーフラッグを受けるだけ。


このままビームはマイルスの勝利を受け入れるのか……?

はっはっは、ご冗談を。

ビームは「とてもとても素晴らしい提案」を社長に行うのです。

その結果……、


レオ・ビームが率いるフォードチームのドライバーがル・マン優勝。


マイルスは得られたはずの栄光を奪われ、ひとり、サーキットを後にするしかなくなるところに追い込まれます。


そこへ現れるシェルビー。

ビームの罠にハマったことを謝るしかありません。

でも、これは言葉で済ませられるレベルの問題ではありません。


文字通り、命をかけた勝負だったから!


シェルビーはレーサーだったからわかります。実際にマシンに乗って勝利をもぎ取ったマイルスの怒り、悲しみ、悔しさ、憤りがどれほどのものであるかを。


でも、マイルスは許します。

お前は自分で決めていいと言ってくれた。

それで充分だ、と。


充分なわけがありません。

それは怒りに任せてエンジンを暴走させたマイルスが、そのギアを落とすまでの数十秒を見れば明らかです。


あの、長い沈黙。


ふざけんな、ばかやろう、命をかけて走ってる俺らをなんだと思ってるんだ、金があれば、何をしても許されるっていうのか! どんな無法も通るっていうのか! ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!

そんな思いを重ねて、重ねて、重ねた挙句の辛抱です。


その誠意すらビームは裏切り、ビームの仕掛けた罠をシェルビーは見抜けなかったのです。


でも、マイルスはシェルビーを許しました。

彼との友情を選びました。

ビームなんかのために、シェルビーとの絆を台無しにしないことを選びました。


優勝者に群がる報道陣に背を向け、二人は歩き出します。

文句どころか、来年のマシンの相談をはじめ出すのです。

本当は、本当は、二人とも、ビームに対する怒りや不満が山のようにあるはずなのだ。

それを口には出さず、笑い、未来へ向かおうとする二人。

その姿の、なんと強く、尊いことか。


本当に素晴らしい映画です!!!


あ、ごめんなさい。

最初の方で、一つの爆弾を使う場所、ベランダって言いましたけど、間違ってました。

吹き飛ばすのは、ブレーキが故障するテストカーのほうです。


フォードの社長どもなんてどうでもいいんですよ。

あんな連中は。

マイルスとシェルビーの友情は、ル・マンの優勝を奪われたぐらいでは壊すことが出来なかったのですから。


彼らの友情の終わり。

そのほろ苦さも含めて、心を奪いにくる、涙腺を潤ませる、良き映画でした。



それにしてもフェラーリの描かれ方のかっこよさよ。


レースなんてはじめと終わりだけ見ればいいとばかりに、さっさとディナーに出かけるフォード2世に比べ、雨が振ろうと夜になろうと遅くまでサーキットに残るエンツォ・フェラーリ。


自分のチームが全滅しても、会場を去ることなく、本当の優勝者であるマイルスに一礼をするエンツォ。

対して、マイルスに目もくれないフォード2世よ。


このタイトルで、まさかフォードへの好感が1ミリも上がらない結末だとはね!

むしろ敵であるフェラーリへの好感しか上がらない映画!

買うならフェラーリだね! 買えないけど!!


無許可でも作れたのか、フォードの許可を得て作ったのかは分かりませんが、ある意味で、すごい映画です。

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