グリッドマン ユニバース
奇跡は2度起きた!
雨宮哲監督は当たり外れが大きい。
なぜかというと、雨宮さんは監督スキルを「エモさ」に全振りしているので、ストーリーやキャラクターが弱いと、そのエモさが滑ってしまうからだ。
この作品の前作に当たるTVアニメ『SSSS.GRIDMAN』と『SSSS.DYNAZENON』の違いだと言ってもいい。
この映画はエモさだけで成立している。
120分の映画の中で語られるストーリーはごくわずかだ。
あるのは「告白」「文化祭」「合宿生活」といったシチュエーションの中で繰り広げられる旧作キャラの同窓会であり、逆に主人公が巨大な壁にぶち当たり、葛藤を経て、成長するようなダイナミックなドラマはない。
なくていい。
なぜなら雨宮監督はそういう話を得意とする人ではないから。
やっても上手くハマらない。
だからやらない。
自分の得意技だけで120分埋めてしまう。
エモいシーンを120分繋げれば1本の映画になるんだよ、と言わんばかりの暴力性がある。
「グリッドマン・ユニバース」には、そんなクリエイターの潔さ、矜持を感じる。
本作はロボと怪獣による戦闘がメインだが、やはりここにも物語性はない。
ラスボスのオリジンは主人公たちの精神的な成長に寄与しない。
記号的な怪獣であり、倒されるためだけに登場している。
他の作品であれば、もったいぶったり、迷わせたり、葛藤させるための物語要素が、この作品では実にあっさりと処理される。
裕太はさくっと死を決断するし、消滅したはずのメカの復活も設定一つでエクスキューズされるし、ガウマとひめの5000年ぶりの再会もさらりと流す。
普通ならば、物語としては弱いのだ。
なのに、この作品は面白い!!!
この映画の戦闘は全編「ピンチ→パワーアップ→逆転」の繰り返しに過ぎないのだが、むちゃくちゃ盛り上がる。組み立てが上手く、演出が見事で、テンポがいいからだ。
ピンチの時に、かつての仲間が駆けつける。
ピンチの時に、死んだと思っていた奴が蘇る。
ピンチの時に、仇敵が力を貸してくれる。
燃えるだろう、それは。
終盤になると「ピンチなんていらん、パワーアップの連打でいい!」とばかりに、主人公側が一方的に合体合体、強化強化して、オリジンをボコ殴りにする。
「半沢直樹」であれば、悪逆非道を重ねて重ねて重ねた上での「倍返しだ!」になるところだが、本作は悪逆非道に当たる部分をサクッと済ませて「倍返しだ! 10倍返しだ! 100倍返しだ!」とする。
並のクリエイターが同じことをしても、確実に滑る。
「グリッドマン・ユニバース」のようには拳を握れない。
エネルギー保存の法則が崩れている。
倍返しのエネルギーは、そこにいたるまでの物語のお膳立てから生じる。
それがない。
ないところからエモーショナルな情動が湧いてきて、燃えあがれる。
なんでなんだ!?
もう、本当に、唯一無二と言っていいのだ、この映画は。
(より正確にいえば、この映画自体が過去の特撮やロボット、ヒーローもののオマージュになっていて、それらの作品から受け取った感情を刺激することで、すくいあげ、一連の場面のエモーショナルさに導いていると考えることはできる。できるのだが)
アカネに旧作のラスボスであったアレクシスが力を貸し、グリッドマンと共闘するあたりから始まる一連のシーンは、とてつもなく痛快なフィルムになっている。
何度でも何度でも見ることができて、その度に胸が熱くなってしまう。
私みたいなストーリー原理主義者ですら、ゴルドバーンの復活には込み上げる感情に涙してしまった。負けである。負けました。完敗です。
雨宮監督の才能に乾杯!
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