プリンセスと魔法のキス
ポリコレの魔法をディズニーにかけてみると、なんとも恐ろしいものが出来上がってしまった、と言うのが大人向けの感想。
映画そのものはとてもよく出来ています。
ストーリーは練られていて、キャラクターのドラマもたっぷりとあり、アニメーションも綺麗。
映像の素晴らしさを感じられるシーンがいくつもあり、充分に楽しむことができます。
ホタルのレイのお話がとてもいい。
では、何が恐ろしいのか?
3人の登場人物を紹介します。
親友のシャーロット
主人公の親友。何不自由なく暮らす白人のお嬢様。白馬の王子様願望を持ち、物語の最後では本当に王子様と出会ってしまう。
王子のナヴィーン
名ばかり王子。国にいても楽には暮らせないので、逆玉に乗るための結婚相手を探すダメ男。
主人公のティアナ
黒人。貧しい生まれ。若くして自活しており、働きながらお金を貯めてレストランを持ちたいと思っている。過去のディズニープリンセスとは違い「私を幸せにしてくれる白馬の王子様」願望は一切なく、どんな危機にあっても、人の助けは借りない。夢を奪われそうになっても、親友の援助を拒否し、独力でなんとかしようとし、悪戦苦闘する。恋愛相手のナヴィーン王子は実は一文無しで労働意欲のかけらもないロクでなしだったが、ティアナは彼を叱咤激励し、彼を真人間にしていく。
白人女性は映画の中でもイージーな人生を送れる。
男性はイージーに生きることはできないが、自堕落でいることは許される。
黒人女性はハードモードしかない。
グロいですよね、これ。
作り手の人はマイノリティの人たちの強さ、誇り高さを描こうとしているのだと思います。
ですが、魔法の掛け方を間違えてしまったせいで、夢に溢れているのか、夢も希望もないのか、わからなくなるような珍品になってしまったのです。
例えば「白馬の王子さま」
現代のディズニープリンセス映画には、白馬の王子は出てきません。
あからさまにタブー視された結果、物語の中にイケメンな王子が出てきたら、もう詐欺師か、善人の顔をした悪役だろうと先読みができるぐらいに存在を否定されてしまいました。
白馬の王子が否定されたことで解放されたのは、誰か?
男性です。
主人公が強い女性であること自体は良いのですが、あまりに無敵すぎる心を持ってしまうと、代わりの「弱い人間」役が男性に割り振られ「男は泣き言を言ってもいいが、女は言ってはいけない」みたいな逆転現象が発生します。
「シュガーラッシュ」や「モアナ」などを見れば、ディズニー映画における男性キャラがいかに責任から解放されていっているかが如実にわかります。
見た目のゴツい大男が、情けないことを言い、弱い本音をあからさまに口にし、幼く小さな女性主人公に励まされ、成長します。
女性ばかりがしんどい役割を引き受けます。
なんかおかしいですよね。
やりすぎですよね。
でも黒人女性であるティアナは、どんなピンチにあっても男の助けは借りるような弱さを持ってはいけないし、助けられて問題解決をしてもいけない。マイノリティはポリコレの理想を体現しなければいけないからです。
男や白人女性はダメな人間として描いてもいいので、甘い夢を見てもいいし、弱音を吐いてもいいし、そばにいる黒人女性の励ましや援助で立ち直ることすらできる。
解放されているのはどっちなんでしょう?
ポリコレをうかつに映画に取り込むと、こんなおかしな空間が生まれてしまうのです。
これだけの指摘をしておきながら、高いスコアをつけているのは、映画そのものはよく出来ているからです。書いておいてなんですが「人種性別に配慮を効かせたつもりで逆理不尽」みたいなところを除けば、本当にいい映画です。
ここに書いたことは全部忘れて見てください。
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