碁盤斬り

清く正しく、人に恥じない生き方をしていたつもりが、実はたくさんの人を不幸にしていたことに気づいた男が、新しい人生に踏み出すまでの話。


人生の間違いに気づいてやり直す話は多々あるが、この作品はまず、主人公・柳田格之進の生き方を美しいものとして描く。


不正を内部告発したことで藩を追われ、娘と二人、清貧に生きている。柳田格之進の生き様は理想の侍、理想の武士であるかのように。


しかし、本当に言いたいところはそこではない。


物語は途中から、柳田格之進の美学を「ひとりよがりなものである」と断じる流れに転じていく。ひとり娘が柳田の切腹を止めるために身売りを決める場面に至っては、もはや柳田の生き様を美しく思うことなどできないだろう。


娘より、自分の誇りを守る方が大事なのか、と。


柳田格之進の生き様は正しいはずだった。不正を許せない態度、潔白に生きようとする姿勢、何も間違っていない。けれどもそれが周りの人を不幸にしていく。その追い込み方がすごい。


正しく生きてきて、正しさのためにあらゆる辛苦を受け入れてきた人間に「お前の努力には何の意味もない。その我慢は無駄どころか有害だったのだ!」と突きつける。


最終的には柳田の妻が入水自殺したのも、柳田が原因だったという展開になる。それを妻を寝とった宿敵の男に指摘されるのだ。


この時に柳田が感じたであろう心の地獄たるや。


正しいと思っていた生き方で、誰も幸せにできていない。

妻を死なせ、娘を遊郭に追い込み、多くの者を路頭に迷わせた。

今になって後悔したところで、失われた命は今更戻らない。


ここまで、どうすればよかったのか。

ここから、どうすればいいのか。


限界の限界まで追い込まれた柳田格之進が選んだ結論が「碁盤斬り」だ。


物語の序盤、柳田格之進は碁の素晴らしさを語る。碁に嘘はつきたくないと。柳田の世界は白と黒がはっきりと分かれており、世界を白くすることは正しく、白く生きさえすればよいと考えていた。


でも、それは間違っていた。


現実は白でも黒でもなくグレーで、白にしないことで黒に染まらずに済むことがあって、碁のようなものには決してならない。


映画の最後で、柳田は自分の生き方を曲げる。碁盤を斬る。

文字通りに碁盤を斬って、白くはないけれども、より正しいと思える道を選ぶ。


娘の祝言の後、旅に出るのも柳田の答えだ。


柳田は宿敵の柴田兵庫が口先だけで実行しなかった行為に取りかかる。

それは真っ白に生きてきた柳田が最後に汚れることでもある。

白でも黒でもない生き方を選択する。

その一手で、柴田兵庫を超える。


娘の祝言で柳田は碁を打つことを拒否したが、旅を終えることができれば再び碁を打てるだろうと自分は思った。


映画を見終わった時は、旅を終えたところで切腹を選ぶかもなとも思ったが、柳田はそういう生き方を捨てたのだから、旅の過程で、恨みを引き受けるために殺される道を選ぶことはあっても、自分から死を選ぶことはないと考えた。


旅を完遂し、藩を藩を出ていった者たちへの償いを終えたところで、まだ命があれば、柳田は江戸に戻り、また碁を打てるようになるだろう。そう考えることにした。


この結末の良いところは、まさに柳田の生き方をこれでもかと否定していながら、最後の最後に肯定するところだ。


白か黒かの世界で生きてきた柳田が、人の世とは碁のようなものではないことを受け入れ、今できる彼なりの最善を選ばせる。柴田兵庫を超える道を指し示す。柳田格之進に前に進ませる。生きさせる。その光が何よりも尊い。


草彅くんの演技は圧巻だった。


ミッドナイトスワンの時にも感じたが、気づいたら役そのものになっている。草彅くんが消えて柳田格之進になっている。


草彅くんの凄さは自分を無にできるところだ。多くの名役者は役を自分に引き付ける。役を「自分のもの」にしてしまう。もちろんそれでいい。個性派俳優とはそういうもの。


草彅くんは自分を消せるところが唯一無二の俳優だ。自分を消そうと意識しているわけでもなく、自然と役の中に自分を溶かしている。


草彅くんクラスの俳優であれば、当て書きの脚本も用意できるだろう。けど、草彅くんは当て書きじゃない作品の方が輝く。何にでもなれるから。


あの「気づいたら、役者が消えて、役そのものがそこに立っている」感覚は、幾多ある映画の中でもなかなか味わえるものではない。それを見にいくために自分は映画館に行き、充分に満たされた。これはアニメやVFX映画では味わえない、実写映画でしか味わえない感覚であり、この点をプラスして最高スコアとした。

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