第20話 契約の儀式

「えーそれじゃあ契約の儀式すんぞ」



「契約の儀式?」



「契約の儀式」



「なんの?」



「労働契約に決まってんだろ」



「決まってはなくない?」



 朝早くから儀式開始の宣言をするのは、カルパ商店の店主・ネロである。一体どのようにして、このような状況になったのか。事の始まりは昨日の夜に遡る。



 不幸にも火災で家を失った俺とコゼットさんは食べ物と寝床を頂戴しにカルパ商店へと出向いた。すると開口一番にネロから「明日からこの商店で働け」と告げられたのだ。



 いやいや、いきなりそんな無理ですよ。それよりも家が燃えたんで食べ物と寝床を用意して下さい、と俺。



 ついでに夜ご飯はお肉系が良いですとコゼットさん。



 用意してやってもいいが代わりに働いてもらうことが条件だ、とネロ。



 なんという横暴だろう、俺達はタダ飯と暖かい布団が欲しいだけなのに。しかし空腹には勝てない。結局、労働と引き換えに魚の窯焼きをごちそうになったのだった。



 そして時は下り、今日現在。正式に労働契約を結ぶ時がやってきた。開店前の商店には、俺達とネロ、そしてもう一人、純白のローブを纏う中年男性が集まった。誰だ?



「あの、失礼ですがお名前は?」



「この人か?テオン労働局のピグヌスさんだ」



「労働者管理官をしているピグヌスだ。以後よしなに」



「あ、よろしくお願いします」



 ネロによれば、ピグヌスはテオンで働く人達の雇用契約や保護、労働衛生に関するあれこれを取り決めたりなんやかんやしている人だそうだ。詳しいことは説明されてもよく分からなかった。ほらコゼットさんだって視線が窓の外に向かっている。



 ネロとピグヌス、二人はなんとも対照的だ。ネロは無精髭が伸び伸びと顎を覆い、頭の上では寝癖が生き生きと重力に逆らっており、商売人にあるまじきだらしなさを全開にしている。



 対してピグヌスは栗色の髪を油で丁寧に整え、気高さに満ちたローブの着こなしている。彫刻のカエサル立像にも劣らぬ鷹のように凛々しく彫り深い顔。概してローマ帝国って感じ。



「それで労働契約の儀式って何をするんですか?」



「そりゃあお前、業務内容と税金の説明、賃金の取り決めだよ」



「業務内容と税金と賃金」



「そして契約締結の宣誓したら、ピグヌスさんに契約書を提出する。以上が契約の儀式だ」



「儀式?」



「なんだその不満そうな眉の垂れ下げ具合は」



「儀式らしくなくない?」



「儀式らしさって何だよ」



「生贄とか?」



「どこの蛮族出身だてめぇ」



「ミチルは異世界生まれですからね」



「うっそ、異世界ってそうなの?」



「んな訳ねぇだろ」



「ま、お前がどこの誰の股から生まれようが関係ねぇか」ひとしきりキャッチボールが終わると、ネロはピグヌスに訊ねた。「問題ありませんよね?コイツが異世界出身でも」



 彼はちらりと俺を訝しげな目で見た。「事情は知らぬが、テオン身分法ではミチル氏は定住民。それ以上でもそれ以下でもない。従ってこの労働契約も定住民の規定に沿うのみだ」



「定住民?市民ではなく?」コゼットさんはネロに向かって訊ねる。



「ん、お前ら住民登録する時に説明されなかったのか?」



「住民登録はハーフナー商会の人が全部やってくれたので」



「雑な仕事しやがって」説明しとけよ、と彼は面倒くさそうにため息をつく。



「あ、でも定住民って言葉は聞いたことがありますよ。魔法協会の講座受付した時とか、定住民は市民の5倍の受講料だとか」



「仕方ない。身分制を理解していなければ税金に不満を覚えるだろう。私が説明しよう」



「おお、助かる。ありがとよ」



 その時俺は、横から口を挟むピグヌスにほんの少し茶目っ気を見せてやろうと思った。



「ちょっと待った。俺は政経は得意じゃない。いきなり税金の話なんかされても正直分からないと思うぜ。ましてやコゼットさんが理解できるかな?」



 コゼットさんが鼻を鳴らす。全く自慢できることではない。



「君達が理解できずとも税金の説明は行うし、徴税は履行される。ただ君達の生活に不利が生じるだけだ」



「あ、はい」



 しかし鷹みたいな顔のピグヌスはイメージ通り生真面目だった。軟派な態度が通用しない、ちゃんとした大人だ。



「さて、都市テオンは三身分制を敷いている。これはテオンに住む者を市民シト定住民シト・コファ奴隷ウロの三つに分けて統治する法律だ。市民とはテオン市民の親を持つ者。もしくはテオンに忠誠を誓い議会に認められた者。私やネロ氏がそうだな。対して君達が属する定住民は、テオン市政が市に住まうことを許可した者。その多くはテオン外縁の街や村からの出稼ぎ労働者だ。奴隷は言わずもがな……」



 彼は教科書を朗読するように、スラスラと身分制について説明する。労働局で働いていると言っていたし、何度もこの儀式に立ち会い、何度も同じ説明をしているのだろう。



 それにしても、ウィズナルさんが"ひとに身分を訊ねると怒られる"と言っていたが、確かにこれだけきっぱりと線が引かれているのであれば、不機嫌になるひともいるかもしれない。



「さて労働契約において、市民と定住者の違いは税金に現れる。市民と違い、定住者には所得に対し十分の一税がかけられる。君達が日に100¢を稼ぐなら、そのうち10¢が徴収される」



「えー!?不公平です!」



 コゼットさんが声を荒らげた。金に関することだから当然だ。しかし、所得の1割が税金で取られるとは……どうなのだろう。日本にも所得税はあるが、気にしたことがないので、それと比べて高いか安いか分からない。しかし、どちらにせよ彼女の言う通り不公平なのは違いない。



「不公平だからこそ身分制だ。テオンはあくまで市民のもの。税金の他にも、定住民は政治参加が制限され、公共施設の利用にも金が要る等、市民とは差別される。なぜならば定住者は市民が築き上げ、維持してきたテオンの恩恵をその労を負わずして享受するのだ。この程度の不公平は当然」



 胸を張って断言する彼の姿は、定住民こちらの立場からすると傲慢にも見える。だが法律でそのように決まっている以上、身分制にもそれなりの正義があるのだろう。その是非は問わないでおく。「あれ、でも定住民の人だって何年もテオンに住んでいたら、もう市民みたいなモンじゃない?」



「たしかに、そう考える者は多い。故に幾年もテオンに住み続け、市に貢献を果たした定住民は市民として認められる。彼のようにな」



 ピグヌスに背中を叩かれてはにかむネロ。照れてる照れてる。



「すごいじゃないですかネロさん。貢献って何をしたんですか?」



「いっぱい稼いで、いっぱい納税した」



「労働者の鑑」



「君達も市民になる意思があるならば、ネロ氏の下で勤労に励むことだ」



「はいはい。じゃあ税金の話は終わったから、本題の業務内容だな。つっても簡単、店番、接客に仕入れの手伝いだ。あと、お前ら以外にも店員が一人いるから協力して……」



「ちょっと待って下さい」褒められてこそばゆいのだろうネロがささっと話題を切り替えようとするが、コゼットさんがブレーキをかけた。



「本題は賃金ですよね?」



 コゼットさんにとってはそうだろう。金に関することだから当然だ。



「あぁまぁ、そうだな。一日で手取り1500¢。どうだ?」



「もう少し、2000¢でどうですか!?」



「おいおい、上乗せすぎだ。そんなんじゃあ雇えねぇよ」



 彼のしぶる言葉にコゼットさんの目が光る。



「へへ、分かっていませんねぇネロさん。私達は別にここで働きたいワケじゃあないですよ。そちらからお願いされたから、雇わせてあげているんです!」



「そういやお前ら住む所が燃えて失くなったらしいな。働いてる間は店の二階使ってもいいぞ」



「是非ここで働かせてください!」



 彼女の脳内演算装置は瞬時に損益分岐点を弾き出し、黄金比を描く最敬礼を出力。それじゃあ決まりだと、ネロはピグヌスから契約書を受け取った。



「この契約書には声を文字に変換する"転写の魔法"がかかっている。これまで俺から説明したことも、お前らが承諾したことも全て記録されている」



 なるほど、文字起こしアプリのような魔法があるのか。しかも、よく見れば契約書の各段落で筆跡も違う。声の主も判別しているようだ。便利だな。たしかにこれなら、ノミが如く小さな文字で書かれた利用借款みたいに、言った言わないの面倒事はなさそうだ。



「最後に宣誓をしたら儀式は終わりだ。『私は以上のことを遵守することを誓います』。復唱いいか?」



「いいっすけど、これもし契約を破ったらどうなります?魔法で死んだりしません?」



「解雇」



 こうして、つつがなく宣誓を終えて儀式をまっとうした。



「それでは、これで失礼する。ネロ氏が横暴を働いた時は労働局に来るといい。現在テオンでは労働者保護に重点をいれている。より良い環境で働けるように手助けしよう」



 そそくさと契約書を受け取って帰るピグヌスを見送ると、俺は最初から気になっていることを一つ、ネロに訊ねた。



「ずっと聞きそびれてたんスけど、なんで急に俺達を雇おうなんて思ったんですか?連絡板の『すぐ店に来てくれ』って……めっちゃ焦ってますよね」



 すると、ネロよりも早くコゼットさんが口を開いた。



「多分それなら理由、私は分かります。ネロさんの奥さんですよ。もうすぐお子さんが生まれるんでしたよね?」



「ああ。お腹も大きくなってきたから、店先で仕事させるのもな」



 彼は首を撫ぜる。また照れてらぁ。しかし出産も近い妻のことを労るなんてネロさんも多少は夫らしいことをしているじゃないか。



 というか既婚者だったのか、今知った。



「まぁ、でもお前たちを雇った理由はそれだけじゃなくてな。おい"ヰタ"!もう出てきていいぞ!」



 ネロが呼び声に応えて店奥の作業部屋の扉が開く──出てきた"彼女"は、なんとも奇妙だった。



 銀色の髪、でっけぇ乳、青い目、人形みたいで真っ白な顔肌、程よくグラマラスな身体、でっけぇ乳。



 全身メタリック銀色タイツ。頭頂部から生える謎の2本ボンボン。よく見たら体が浮いてる。



 どこをどうみても宇宙人。バカが考える宇宙人だ。



 俺は口をついて出そうになった"おっぱい星人"の言葉を奥歯で噛み締める。コゼットさんを見ると、目を細め、口を半開いて、顎がしゃくれている。脳みそが上手く機能していないようだ。



「うちの名前はレテテ・ウルル・ヰタ。宇宙人だよ!」



 宇宙人だった。



 しかも一人称が"うち"で、白い歯を見せて笑うタイプ。なんだろう、すごく仲良くなれそうな気がする。



「昨日、仕入れの帰り道で、こいつの乗った船が空から降ってきてな。拾ったんだ。なんでも船の機器が故障して不時着しちまったみたいで」



 とんでもないことをさらりと語りやがる。異世界では宇宙人のロマンとか無いのだろうか。



 一方の"ヰタ"は「いやぁーあの時は死ぬかと思ったね!」なんて笑っている。笑い事ではない。



 さて経緯とか理屈は棚に上げておくとして、宇宙人が目の前にいることは分かった。「それで、それが俺達に何の関係があるんですか?」



「ミチル。お前、異世界生まれだろ?船の修理を手伝ってやってくれない?」



「実は異世界人と宇宙人って違うんスよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る