第19話 光

 ウィズナルさんとのインタビューが始まって幾らか経った。異世界のことを教えて欲しいとのことだったが、彼が繰り出す質問は想像と異なった。



 俺はてっきり、例えば「異世界の日本という国は、どういう国なのか?」だとか「魔法がない世界の暮らしは、どういった技術が使われているのか」という知識・・を望まれているのだと考えていた。



 しかし実際にされたのは、「自分の家族をどう思っているのか」だとか「好きな教科」だとか、俺個人についての質問が殆どだった。もちろん、なにかしら認識の齟齬があった場合には補足を求められたが、それも最低限といった様相だった。



 質問が「日本での俺の身分」から「好きな女性のタイプ」にまで及んだ時、俺はついに問い返した。



「さっきから俺のことばっかですけど、意味あるんスか?」



「ある。と考えているから質問しているのだ。ミチル君」



「でもウィズナルさんは、異世界……俺の世界に興味があるんスよね?」



「ふむ、そうだね。お茶、おかわりいるかい?」



「あ、はい。ありがとうございます」



 ウィズナルさんは魔法でポットを傾けながら顎をさする。俺の質問になんと答えようか考えているようだ。



 やがてカップに茶が満たされた時、彼はいつの間にか細い葉巻を口に加え、煙をふかしていた。



「魔法って便利スね」



「ん?ああ。そうだな」彼はしばらくして、これまたいつの間にかテーブルの上に置かれていた石の灰皿に葉巻を落ち着けると、口を開いた。「恐らく君は、次のように考えているのだろう」答えがまとまったようだ。



「私が知りたいのは『異世界はどのような構造・・であるか』だと。構造・・とは、例えば異世界の国家や地理、人々の生活様式、信仰体系、世界観、天文。魔法のない世界における技術や主義思想、歴史などのことだ。そして『私はそれらの知識を欲している』。違うかな?」



 そのとおりだと俺は頷く。彼は首を横に振る。



「リンデ氏から君の世界には魔法がないと聞いている。確かに、そんな世界で人々がどう暮らしているか興味はあるが、知識それ自体にそれほど頓着はない。学者や政治家にとっては重要だろうが。だがしかし!異世界小説家たる私が真に興味を持っているのは……」



 ウィズナルさんは諸手を挙げ、熱気のこもった手の平を俺に差し向けてきた。



「君自身だよ、ミチル君!私が欲しているのは物語の"主人公"、異なる世界観を持つ"主人公"だ!それに比べれば、ただの知識など些事に過ぎない。世界設定にいくら凝ろうが物語は始まらない!」



「えぇと、つまり俺が主役の異世界小説を書きたいってことですか?」



「いや。申し訳ないがミチル君の伝記を書こうってワケじゃない。異世界小説ヘブル・ノブルには、君……異世界の人間と我々の"認識の差異"が必要なのだ」



「"認識の差異"?」



「一番最初の質問を覚えているかな?『故郷における君の身分』を訊ねた時、君は奴隷や市民、貴族といった階級ではなく、学生という役割を答えた。初っ端から驚いたよ。テオンでは、同じ質問をすれば例外なく前者が返ってくる。というか無礼過ぎて殴られてもおかしくない。しかし、君はそうではなかった。それは、つまり身分に対する認識が、君と我々の間で天と地ほどに違うということだ」



「へぇ、そうなんですか」俺は思わず眉を上げた。たしかに『身分はなにか』と質問された時、日本には貴族も奴隷もいないから、どう返答するべきか分からなかった。



「少し驚いたかな?この"認識の差異"に起因する驚きこそ、読者が求めている"異世界"だと私は考えている。『異世界にはこんなものがあるのか?』では物足りないのだ!『異世界ではこれが常識なのか!?では我々の常識はなんなのだ!?』。この驚きこそ、読者の好奇心と不安を刺激し、ページをめくらせるのだ!」



 正直、言われるほどに驚いてはいないが、それでも多少なり興味深いとは思った。ならば恐らく日頃から読書を嗜んでいる俺より遥かに知的な人々は、より強烈な驚きを覚えられるのだろう。彼はコゼットさんよりも力強い早口でまくしたてる。



「先程の質問のやりとりを経て、回答や反応から滲み出る君の世界観から、私は既に次の異世界小説の舞台と主人公を少しだが想像できた!非常に、非常に有意義な時間だった!心からの感謝する!!」



「あいや、こっちこそ。俺もなんか楽しかったです。というか疑わないんですね、俺のこと」



「ん?これまでの異世界の話が嘘だと言うのなら、君はいい作家になれる。私の弟子となりなさい」



「大丈夫です」



 いまさらな質問を投げかける俺に、彼は事も無げに笑い、疲れた喉をお茶で潤した。



「さて、ここまでは私の話。これからは君の話をしよう。リンデ氏から聞いている。君は異世界の故郷……ニホンへ帰る方法を知りたいのだろう?」



「あ……はい!なにか、知っているんですか?」



 なんと、彼は自分のことも考えていてくれた。彼は再び首を横に振った。なんか皆首を横に振る。できれば無条件に首を縦に振って欲しい。



「残念ながら。いや、当然ながら、異世界へ行く方法や手段は分からない。そんなもの知っていたら、私が誰よりも早く試している。だが、君とのインタビューの中で一つ、分かったことがある」



「え?」


 素っ頓狂な音が出た。あのインタビューで何が分かるというのだろう。話した内容は殆ど“俺の世界“についてだった。



「君がこの世界に来たことについては、第三者の介入が確実だ」



 恐らく今の自分は、世界中の誰よりも呆けた顔をしているだろう。彼が分かったことの何一つ分からないからだ。第三者って誰?介入ってなんで?そもそも、なんでそれが確実だって分かったんですか?



「何も分からないという顔をしているな。解説してあげよう」



 ウィズナルさんは、俺の顔に書かれたアホ丸出しSOSをちゃんと読み取ってくれたようだ。俺は一転お花畑で遊ぶ少女のように明るい笑顔になった。ここから解説フェーズへと移る。俺は姿勢を正した。



「いくつ目かの質問……学校で学んでいる事柄だったかな。君は『国語ラーマ英語エイゴ』と回答し、私は英語エイゴの意味を問い返したた。何故質問したと思う?」



英語エイゴの意味が分からないから、じゃあないんですか?」



「それはそうだが、より正確に言えば『エイゴ』という単語が、私の、ひいてはテオン語の語彙に存在しなかったからだ」



「それは、英語エイゴが名詞だからじゃあないですか?」



「そこだ」彼は指をピンと人差し指を立てた。正直なところ、彼が何に引っかかっているのか分からない。



「そもそも、何故言葉が通じ合っているのか。この疑問については輪環リンガや解釈の魔法で言語が矯正されているとしよう。して、その場合、矯正先の語彙にない名詞は、元の発音のまま出力される。しかしだ」



 指で喉を軽くつまんで咳払いをすると、彼は喋り慣れていない単語をいくつか発した。



「『目玉焼き』、『お茶』、『蜂蜜』、『クマ』。質問の中で君が発したこれらの名詞は、全てテオン語の語彙に変換されていた・・・・・・・



「それは、たまたま同じものがどっちの世界にもあっただけじゃあ?」



「世界が違うのに何故同じものだと言い切れる?私と君でさえ、姿形が似ているだけで別の生物かもしれないのに」



 ウィズナルさんは、俺が深く考えないようにしていた領域をぶった切った。たしかに、この世界でもパンはパンだが、トムヤムクンはコココンカンだった。



 いや、でも、しかし、そこを考えたらきりがない。とも思うが、そこを躊躇していては考えつかない所に、手がかりは落ちていたのだろう。



「それに、そうだな。『目玉焼きオブロン』をテオン語で直訳すると『太陽の卵』となるが、君の国語ラーマで直訳した場合も、同じ訳になるかな?」



「……目玉を焼いたものスね」



「なるほど。君の世界の料理人は面白い発想をする。これも"認識の差異"だな」



「さて、同じ異世界の固有名詞でも、このように我々の言葉に変換されるものと変換されないものが存在する。なぜか。それは、辞書を編纂した者の恣意以外にありえない。『太陽の卵』と『目玉を焼いたもの』を等号で繋いだ者が存在するということだ」



「それが、"第三者"?」



「ああ。この恣意性が世界の仕組みだと割り切って考えるならば話は別だが、それよりも第三者の存在を仮定する方が、ずっと現実的だ」



 彼の仮説は、ひとまず筋が通っていると思われた。まさか『何故か異世界でも言葉が通じる』という目を背き続けていた事象から、これほど理屈立てたことを考えられるとは。やっぱり賢い人は賢いな。



「というかこの手の問題には、異世界小説を書く時に毎度悩まされるんだ!異世界のパンはパンではない!では『小麦を練って発酵させ焼いたもの』と表記するか?いやしかし、異世界の小麦だって小麦ではないだろう!?それじゃあ造語を捏ねる?そんなのは冗長すぎる!文章が注釈だらけになってしまうじゃないか!そもそも、そんな世界設定など読者は望んでいないハズだ、読みにくいし!『マフパットとは、ポムルスと呼ばれる一年草の穀物から作られる食べ物だ。ポムルスを臼で挽き、水を加えて練り、発酵させた後に窯で焼いたら完成だ。マフパットを一口含めば香ばしい匂いが鼻を抜ける。それはパンによく似ていた』……じゃあ最初っからパンでいいだろうが!!」



「その第三者っていうのは、分からないですよね」



 ひとりで勝手にヒートアップしていくウィズナルさんに、俺は質問という名の会話の投石を敢行。コゼットさん直伝、強引に会話の主題を獲る手段である。すると彼は我に返ってくれた。



「ん?あぁ……すまない。もちろん、分からない。しかし手がかりとしては十分以上だろう。解釈の魔法を使える者など世界的に見てもかなり少数。しかも君がこの世界に現れたという"ヘドニア"は魔法使い自体が少ない国だ」



 ここまでの話をまとめるとこうだ。

 俺は第三者の差し金で日本から異世界に転移させられた。

 第三者の目的や、転移させた手段は不明。恐らく魔法使いで、解釈の魔法を使える。

 そしてそいつは、俺がこの世界で最初に来た『ヘドニアの都』にいる可能性が高い。



 そして、導かれる道筋は……「つまり、元の世界に帰るにはヘドニアに行かないといけないってことですか?」



「あー……まぁ、しかし確証はないし、旅費だって馬鹿にはならない。それに、仮にヘドニアの魔導師が君を『異世界から転移させた』としよう。そんな高等魔法など確実に国家の機密だ。下手な調査を行えば憲兵に捕まるのは必至だな」



 今の俺はどんな表情をしているだろう。恐らくは単純な喜び顔ではないハズだ。でなければ、彼が"急いでヘドニアに行く必要はない"言い訳・・・をいくつか挙げる必要はない。



「しばらくはテオンに留まり、"解釈の魔法"について調べることを勧める。私の方でも、いくつか心当たりをあたってみよう。なにか分かったら連絡板・・・で連絡する。その時はまた君の話を聞かせてくれ。よろしく頼むよ」



「あ、ありがとうございます!」



 こうして、歓迎の限りを尽くしてくれたウィズナルさんに何度もお礼を言って、俺は魔法協会を後にした。



 帰り道、東通りは赤く染まっていた。夕日に向かい、とぼとぼと歩きながら、これまでとこれからを思案する。



 家へ帰る手がかりを探す旅を始め、真っ暗闇へと踏み出して幾日が経っただろうか。ウィズナルさんの仮説は、ようやく見つけた小さな光だ。しかし、どうしてだろう、俺はその一筋の光を積極的に追おうとは思えない。その理由は、まぁ、なんというか、一言で表せば、コゼットさんだ。



 コゼットさんはヘドニアでは重罪人扱いされているから、当然、かの地へと連れて行くことは出来ない。かといってテオンに残しておくのはまだ不安だ。それになにより、俺はまだもう一つの旅の目的、彼女にとって幸せな場所を見つけられていない。



 そう、だから、ひとまず優先すべきはコゼットさんだ。彼女にとって安住の地を見つけた後でなら、俺も安心して光を辿れる。だから今日は早く家に帰ろう。住所は西通り、雨と榛。異世界での俺の家へ。



 考えがまとまった頃には西通りに着き、空には既に帳が下りていた。家に帰る前に、通りの広場で俺は日課の連絡板・・・の確認をすることにした。



 連絡板は、郵便と電報と伝言板を混ぜたような、テオンの庶民にとっては一般的な通信手段だ。送り主は郵便局で"貼り紙"を購入しメッセージを書く。そして、それを貼り出す地区と期間を指定する。すると、早ければ翌日の朝には、テオンの各地区毎に設置された連絡板・・・に"貼り紙"が貼り出される。ミシェルやリンデさんとのやり取り、例えば休講だったり遊びの予定だったりは、基本的に連絡板を介している。機密性?庶民にそんなものはない。



 さて連絡板を確認すると、一枚自分宛ての貼り紙を見つけた。それは見慣れぬ筆跡で「これ見たらすぐ店に来てくれ」とだけ書いてあった。差出人は『カルパ商店』の店主、ネロだ。



 めんどくせぇから明日、昼ご飯食べたら行こうかなと考えながら通りを歩く。にわかに辺りが騒がしくなってきた。なにやら皆、火事だ火事だと叫んでいる。どうやら近くで火事があったようだ。あぁ、最近乾燥してるからなと考えながら街角を曲がる。



 俺の家がごうごう燃えていた。西通り、雨と榛は窓という窓から炎を吐いて、光の塊を成している。



「あ、ミチル。おかえりです」



 人生4回目の火事被災。口をあんぐり呆けていると、呑気に芋を頬張るコゼットさんが近づいてきた。



「いや帰るとこ燃えてんだけど」



「私が来たときにはもう燃えてましたよ。いやぁ運が良くて助かりました」



「運が良いのか?良いのかなコレ?」



「なんでも部屋の中で直火焼肉なんて贅沢をしてやがったらしいんですよ。いい迷惑ですよね」



「俺達も似たようなことしてなかったっけ?」



「でも、どうしましょう。野宿ですかね?」



 都合の悪いことは答えない。伝家の宝刀コゼットさん式会話術である。



「流石に宿を……」と言ったところで連絡板のことを思い出した。「いや、ネロさんから『すぐ来い』って連絡があったから『カルパ商店』に行こう」



「いいですね。夜ご飯と寝床を頂きましょう」



「そうしよう」



 恐らくネロさんは飯も寝床も準備していないだろう。けれど頂くことになった・・・。そうなれば俺とコゼットさんは、燃える家屋からさっさと離れることにした。どうせ部屋には貴重品は一切置いていないし、ここにいても消火の邪魔になるだけだ。後始末もネロさん経由でハーフナー商会に頼めばいいさ。



 火事みたいにどうにもならない不運に巻き込まれた時は、あえて楽観的に考えることにしている。18年の人生で得たライフハックだ。親父だって火事に遭った時は毎度笑っていた。涙も垂れ流しだった気もするが。



 そして恐らく、コゼットさんも俺と同じように考えているのだろう。彼女もまた平然としていた。しかし多分、眼前の火中に金貨一枚でも残してようものなら、水を被って炎に飛び込むくらいは、当然するだろうが。



「そういやさ、コゼットさんって火事何回目?俺4回目」



「ふふん、勝ちました。9回目です」



「誇ることじゃない」



 炎を背に笑いながら、俺達は真っ暗な夜の闇を行く。

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