第15話 目的のない

 暗闇は暇だ。



 布団にもぐりこみ目を瞑っている状態を思えば納得だろう。暇だから人は、目的もなく想像力を働かせ、思考をさまよい、やがて夢へ滑り落ちる。



 頭上に遠く日本を望んでみれば、そこはまばゆく光っていた。道路照明、コンビニエンスストア、ネオンサイン、通り過ぎるヘッドライトと、相棒の有機ELスマートフォン。電光に慣れた街では人の営みは24時間。



 ところかわって異世界。ここじゃ大都市でも月が夜の主役で、人は日没とともに今日に帳を下ろす。



 要するに、暇なんだ。日本で言えば午後8時くらいの時間に、異世界では何にもやれることが無い。



 魔導具店のネロの話を聞く限りでは、夜更けまで賑わう酒場もあり、暇を持て余した若者などがたむろしているようだ。しかし、やはりというか概してそういった場所は治安が悪いらしく、どんなものか一目覗いてみたいという好奇心はあれど、物怖じしてしまう。コゼットさんをそんな場所に連れて行きたくないというのもある。



「暇」



「ミチルも、本を読んだらいいですよ」



 枕元の夜灯がコゼットさんの横顔を照らしだし、炎が眼鏡のレンズにゆらゆらと反射している。思わず口をついて出たその言葉に、うつ伏せの彼女は視線さえ寄越さずに答えた。



「そういう気分じゃ無くてさ」



 暗い玄関を横目に俺は言い訳をする。自習用にと借りた本は、たしか鞄に入ったままだ。昼間はずっと大学で勉強していたので、今は全く勉強する気が起きない。



「異世界に帰る為にも書き言葉を覚えたいんでしたよね?暇と言うくらいなら、勉強した方が良くないですか?」



「そりゃ正論だけど。違うんだよ」



「はい?なんですそれ、どっち?」彼女が口を尖らせる。



「俺の目的は日本に帰ることだから、帰る方法に関する情報を集める為の勉強は必要だし、頑張らないといけない。そうなんだよ」



「うん。じゃあ頑張ってください」



 突き放すような言葉。俺は仄かに赤む天井を見つめ続ける。



「でも努力には休息が必要なの。『弛まぬ努力』は字面こそ美しいけど緊張の糸と同じ。ピンと張りつめた糸は、えてして些細なきっかけで切れてしまう。そして、切れた糸は二度と元には戻らない」



 淀みない反論の言葉達。脳を経由しない彼らの透明度は限りなく100%に近い。「受験生だってひたすらに勉強ができる奴は一握りの奴だけ。いや、勉強できる奴こそ休息を大事にしているんだ。脳の疲労が癒やされて効率良く勉強を続けられるからな。あと多分だけど筋肉がトレーニング後の休息の間に成長するんだから、脳も休息中に成長するんじゃねぇかな」



なげぇです」



「勉強したくねぇ」



「ミチルは元の世界に帰りたくないんですか?」



「帰りてぇよ?でも勉強もしたくねぇんだ」



「弛みきってますねぇ。寝れば?」そう言ってコゼットさんは再び本を開いた。



「眠くないんだよ」一日中歩き続ける旅中ならともかく、大学と自宅を往復する今の生活では、どうしても体力が余りがちだ。午後8時なんて、なんなら日本では帰宅さえしていない時間だ。



「そうだ。なんか眠らせる魔法とか無いの?」



「他人の体に影響を与える魔法ってすっごい難しいんですよ」



「そうなんだ」



「魔法の基本は想像ですからね。他人の体を操る魔法は使役魔法エルゴというんですけれど、それを使うにはその人の全てを。身長体重に顔の造形、趣味嗜好思想思考、一挙手一投足を想像しなきゃならないんですよ」



「無理じゃん」



「……まぁ、私も習得する気もありませんけど」



 本を読みながら冷めたため息。そういえば、コゼットさんはテオンに来て魔法を学びたいという願いを叶えたけれど、こうして夜遅くまで勉強をしている様子を見るに、なにか目標はあるのだろうか。俺はなんとはなしに訊ねた。



「コゼットさんってさ。なにか魔法でやりたいこととかあるの?『こんな魔法使ってみたい』とか」



「え?」彼女は驚いたようにまぶたを広げたと思えば、すぐに手元の本へ目を落とした。なにかまずいことでも聞いてしまったのだろうか。「変なこと聞いた?」俺はすぐに答えを強要する訳ではないと伝える。



「あ、やぁ……その。実はですね……」彼女は首を横にふると、答えを探しているというよりも、引っ張り上げるように細く唸った。「特に、無いんですよ。やりたいこと」



 彼女の答えは何とも拍子抜けたものだった。



「あ、そうなの?」



「はい。ただ、むかし読んだ魔法使いの物語が面白くて。魔法で空を飛んで世界を旅したり、体を小さくして大冒険したり、小石を黄金に変えたり……」



 黄金のところだけ妙に語気が強くなったのは、その魔法が一番彼女を惹きつけたからだろう。「少し勉強した今なら分かります。彼らのような魔法は使えません。技術不足とかではなく、そういう魔法は存在しないんです。だからこそ物語になったんでしょうけど」



「じゃあ、そういう魔法を開発するとか。お金好きでしょ?」



「好きですけど、そうじゃないんです。別に魔法の開発がしたいんじゃないんです。ただ魔法が楽しそうだったから、私は魔法に興味を持って。魔法を使えれば楽しいんだろうなぁって」



 そう言う彼女が撫ぜる本の、表紙に刻まれてる記号を俺はまだ理解できない。



「最近、魔法があんまり上達していなくてミシェルに相談したら、言われたんです。魔法はただの手段だって。魔法を使えるからといって人生が楽しいものになる訳でも、幸せになれる訳でもない。魔法で何をしたいか、目的を意識しないと魔法技術は上達しないって」



 なるほど、それで夜中に自習をしていたのか。彼女が質問に詰まった理由もなんとなく分かった。つまり彼女も俺と同じで暗闇にいる。歩く理由が、どこに向かえばよいかが、分からないんだ。



 でも、コゼットさんのその悩みは大して焦るようなものではないだろう。夜灯の炎の向こうで光る瞳に語りかける。



「俺の国だと、大学に通う大学生はモラトリアム期間なんて言い方もしてて、それはたしか、やりたいことを見つける期間とかそんな意味なんだよ。本当は、大学は研究機関で、そこに通うからには学問しなきゃいけないんだろうけど」



 コゼットさんが悩んでいるんだ。今度はちゃんと脳を通して言葉を紡ぐ。「コゼットさんと同じようなもんで、俺も、大学生はすっげぇ楽しいって親とか先生とか先輩から聞いて、薔薇色キャンパスライフを夢見て勉強してきたんだけど、別にこれといってやりたいことは決まってないんだよね……だからさ、えぇと……俺が言えたことじゃないけど、目的はこれから見つけても遅くないでしょ」



 まぁ。俺も彼女と同じだから道なんて示せないし、皺の少ない脳で考えたところであっさい言葉しかかけられないけど。



「ミシェルから魔法を教わるのは嫌いじゃないだろ?」



「えぇ、まぁ。楽しいです」



「なら全然、楽しいんならOKだって。こんな時間まで勉強頑張ってるんだから、きっと目的も見つかるって」



 そう言って元気づけるように肩を叩くと、コゼットさんは不思議そうに目をパチクリさせた。



「あの。私も別に勉強してませんけど」



「んっ……んぇ?」



「これはウィズナル先生の最新作の『農夫アダンを囲う不当と苦悩。それに対する不撓の記述』です!今日図書館に入庫されたばかりで、楽しみにしてたんですよ!」



 彼女は本を持ち上げると今日一番の笑顔を見せた。



「元気づけてくれてありがとうございます。でも心配いりません。私、そんな魔法一筋でもありませんし。趣味みたいなものですし」



「あー……そういやまぁ、そうだったわ。弛んでない?」



「いやいや、成長には休息が必要なんですよ」

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