第14話 言語矯正

「では、この文章はなんて書いてありますの?」



「『酔っ払いと政治家の叫ぶ言葉は信用してはいけない。しかし、酔った政治家が漏らす言葉は本当である』」



「正解ですわ。これは?」



「『医者が患者に言った。酒は毒である。なぜならそれは頭痛、吐き気、手の震えを引き起こす。しかし患者は反論した。先生、酒は薬です。酒さえ飲めば頭痛や吐き気、手の震えが止まるんですから』」



「はい、次」



「『俺くらいになると水で酔える』」



「だいたい合ってますわね」



「全部間違ってんだよ」



 ただいま大学グノスクの図書館で異世界の文字を勉強中。魔法と同じくミシェルが講師役となり、テオンで使われている言語の読み書きを教えてくれている。異世界に来て何十日。旅の合間に簡単な単語はコゼットさんから教わっていたが、未だ長い文章は読めないでいた。では、なぜ急に勉強を始めたのか?



 テオンで日本への帰り道を探すとなれば、この世界の文字を読み解く技能は必須だろう。流通が発展途上の世界では、街や大学で出会う人の情報には限りがある。ならば一冊でも多く書物に目を通した方が良い。足を使うだけでは『今、その場にある知識』しか手に入らないが、書物には『過去から今に至るまでの知識』が載っているからだ……と、このようなアドバイスをリンデさんから貰ったからだ。



 せっかく受験が終わったのに外国語を勉強することになるとはツイてないな、とは思ったものの、手段を選り好みできる立場でも無い。俺は奮起してミシェルの講義を受けたのだが……。



「どんな趣旨の本なんだよコレ!でっかい文字で1ページに1文しか書かれてねぇしよ!薄っぺらい自己啓発本でももう少し中身あるぞ!?」



「『賢人達の名言』という本ですわ」



「『酔っ払いの戯言ざれごと』の間違いだろ?」



「いいえ。テオンでは朝から酒場や路地で酔っ払っている中高年を『賢人』と呼びますわ。本の説明には、著者は一年間、賢人に密着取材を行い、彼らの言行をまとめたと書かれていますわね」



「じゃあ酔っ払いの戯言ざれごとで間違ってねぇじゃねぇか。つーか作者もただ一緒になって飲んだくれてただけだろ。ところどころ筆跡が震えてんだよ。なんでこんな本を教科書に選んだの?普通の教科書的なの無いの?」



「あらごめんなさい。教科書よりもこういった俗書の方が退屈しないと思って」



「……そりゃ、間違いじゃないけどさ。気遣いはありがたいけど、やっぱ普通に教科書の方が良いって。俺今すっげぇ変な語彙の増え方してる気するもん」




 変な気を遣われたせいで元々少ないやる気の残量がさらに減った。このミシェルという女子、変な子である。いや、金髪縦ロールという奇抜な見た目と、『形而化学会員』という肩書き《レッテル》からして変人に違いはない。



 しかし少し話すと、その上品な所作や丁寧な言葉遣いに「あれ、意外と感性は一般人なのか?」と錯覚してしまうのだ。そういう雰囲気が彼女にはある。だが、ここ数日間付き合って来て分かった。彼女は少し賢めのコゼットさんだと。



「でも、変ですよねぇ。異世界から来たミチルが文字を読めなかったのは分かりますけど……何で、最初から言葉は通じたんでしょう?」



 すると、隣で本を読んでいたコゼットさんが、唐突に真っ当な疑問を呈してきた。異世界でもなぜか言葉が通じるというのは、自分がなるべく考えないようにしてきた事柄の一つだ。



 なぜなら、そんなことを考えても仕方がないというか、そこを疑ってしまったら「どうして地球と同じ、言語能力を持つ人型の生物が居るのか」とか「異世界の大気を吸って生きていられるのはおかしい」とか、なんかもう異世界の大地に立っていることすら疑わないといけない。そして、それらは異世界から日本に帰るという俺の目的と何一つ関係ない。



 異世界にも人間が居る、異世界でも言葉は通じる、異世界の空気は吸い放題。それでいいじゃないか。不幸中の幸い、そういう世界に来たのだと、俺は納得・・していた。根掘り葉掘り深く考え込んで、いたずらに大地を崩す必要はない。



「疑問に思うことでもないでしょう、おそらく解釈の魔法・・・・・を付与されているだけですわ」ミシェルはそう言うと、右手の人差し指に付けられた指輪を俺達に見せた。「例えば、この輪環リンガという魔道具。付けると会話を自動的に目的言語に通訳してくれる便利な指輪ですが、それを可能にしているのが解釈の魔法ですわ」



「へぇ!そんな便利なモノがあるんですか!ミチルもこれ買ったら勉強も要らないんじゃないですか?」



「特注品ですしお値段も高いですわよ?それに、あくまで用途は会話のみ。読み書きには対応していませんわ」



「なぁんだ残念ですね……その輪環リンガを使っているってことは、ミシェルも実はテオンの人じゃ無いんです?」



「ええ、言ってませんでしたけど私、お父様からの言い付けでテオンに留学に来ていますの」



 ミシェルは胸を張って答えた。その風貌から大体察しは付いていたが、やはり彼女はどこかの貴族のお嬢様だったようだ。



「こちらの言葉もある程度話せはするんですけれど訛りが酷くて……だから矯正の為に輪環リンガを使ってる訳ですわ」



「そうなんですか。外して喋ってもらうことって出来ます?」



ですわ、お恥ずかしい」



 ミシェルは口を覆う。その頬は少し赤くなっていた。そんなに故郷の言葉を使うのは恥ずかしいことなのだろうか。生まれた時から同じ市に住んでいた俺には、まだ理解できない感覚だ。



「……はい、じゃあ今日はここまでですわ」



 結局、この日の勉強は教科書として使える本を選ぶところで終わってしまった。玉石混交という言葉があるが、この大学の図書館、玉の割合が少なすぎる。学校とか市の図書館の蔵書ってしっかり選別されていたんだな。



「っはぁ……」



 異世界小説を読みふけっていたコゼットさんが目頭を押さえる。どうしたのかと訊ねると、「最近本の文字が読みにくくて」彼女は目をこすった。



「もしかして、コゼットさんって目が悪い?」



「それは大丈夫ですよ。別に痛くありませんし」



「そういう意味でなくて」



 そういえば彼女はずっと隣でしかめっ面で本読んでいた。目が疲れているのだろう。目が見えにくくなったり、視界がぼやけたりすることだよと説明してあげる。



「ああ、それはたしかに、そうですねぇ」



 すると、本を片付けながら聞いていたミシェルが思いついたように言った。



「それならこの後、眼鏡買いにいきます?」



「え、眼鏡あんの?異世界に?」



「あるに決まってますわよ」



 という訳で彼女に連れられた先は、大学近くの大通りに面した小ぢんまりとした魔道具店。店先には『カルパ商店』と書かれた木看板がぞんざいに立て掛けられている。なんでもこの商店は形而化学会の得意先らしく、彼女達が活動で使う資材はここで調達しているらしい(あの団体がどういう活動をしているのかは知らない)。



「眼鏡って魔道具店に売ってんだ……眼鏡って魔道具なの?」



 コゼットさんが店の奥の加工場で眼鏡を拵えてもらっている間、店内の商品を物色しながら、ミシェルに訊ねた。



「魔道具ではありませんけれど、眼鏡と言えば魔道具店が取り扱っている印象ですわね」



「なんで?」



「さぁ」



「さぁ、て」



 こういう態度も彼女はコゼットさんに似ている。自分の知っている事を話す時は意気洋々としているが、興味がない・知らない事には急に素っ気なくなる。



「それはだなミシェル嬢。昔は眼鏡も魔道具だったからだ」



 そこへ店の奥から店主が現れ、俺達の疑問に解を出した。『カルパ商店』の店主は頼りがいの無さそうな飄々とした優男で、細身に似合わない顎髭をたくわえている。



 どうやら眼鏡の加工が終わったようで、隣には顔の半分くらいある瓶底眼鏡を装着したコゼットさんが、嬉しそうに口を開けて笑っていた。



「見て下さい!すごく世界が綺麗になりました!」



「いいじゃん。その世界を俺は見られないけど」



「あら可愛らしい。よく似合ってましてよ。私も一つくらい持っておこうかしら」



「へへ……ありがとうございます」



「ところでご主人、眼鏡も魔道具だったって本当ですの?」



「ああ。今みたいに透明度の高いガラスの生成技術が無い大昔の話だがな。『どんなものでも拡大して見られる水晶玉』と言やあ魔法みたいだろ?実際にはガラスが光を屈折させてるだけだが、知らなきゃ魔法さ。その流れで今も魔道具店が取り扱ってるんだこれが」



 なるほど、つまりは町のお茶屋さんがなぜか海苔も売ってる理由みたいな話だ。あれも、たしかお茶と海苔の保存方法が同じだからという理由らしい。



 迷惑な話だと店主は肩を竦めた。なんでも、そういう伝統があるせいで魔道具店を経営するには眼鏡加工の技術が必要らしい。そして、眼鏡は高級品ではないが、かと言って安価でもなく、例え目が悪くても文字を読む機会の少ない庶民には、あまり需要が無い商品らしく、儲からないらしい。



「だがな、知り合いの海運業者が言うにゃ、大陸の東のずぅっと向こうじゃガラスの原料が採れねぇから、未だ眼鏡も魔道具扱いで高く売れるんだと。羨ましい話さ」



「ならネロさんも売りに行けば?」



「アホ。俺にゃ愛する嫁さんと息子がいんだよ。この店だって、半年前に商会からの融資を返済し終わったばっかだぞ?」



 ため息を吐く店主を茶化すと、彼は鼻を鳴らして反論してきた。しかし、商人のさがなのか、彼は指折り数えて、東に眼鏡を売りに行く場合の算段を講じ始めた。



 店主はしばらく独り言をぶつぶつ呟いていたが、やがて「いや、駄目だな」と首を横に振った。「俺の資産じゃ、商品を全部売ったとしても旅費さえ回収できん。テオンに帰ってこれずに東の果てで死ぬか。旅中に盗賊に襲われて死ぬか……よし、ミチルと言ったな。お前が売ってこい。骨は現地に埋めろ」



「それで誰が得すんだよ」



「お前を隊商保険に入れて、その受け取り人を俺にする。そうすれば、お前が死んでも保険金と見舞金が俺の懐に入る。無から有が生まれるんだ。これぞ錬金術、現代の魔法と言って過言じゃねぇな」



「その魔法で俺の命が失われてるんだけど」



「そうですわ。それだとミチルの命を保険金に変換しているだけで、無から有を生み出しているとは言えませんわ。故に、魔法の定義にも当てはまりませんわ」



「どういう視点の話?」



「つっても俺は魔法の定義とか知らんしなぁ」



「魔道具商でしょう?商品知識くらい把握しておきなさいな」



「肉屋やパン屋だって豚や麦の定義なんて理解してねぇよ。そんなんにこだわるのは学者さんだけさ。俺達はそこらへん雰囲気で商売をやってんだ」



 店主はそう言うと、カウンターの後ろの棚から小さなリングケースを取り出し、コホンと喉を鳴らした。



「例えば……この新商品の輪環リンガ!高練度の解釈魔法が付与されており、従来品の倍速で言語変換される為、使用者の負担が軽減!さらに、日常会話水準の微細な文法表現すらも翻訳され、より柔軟で高度な会話が可能な一品となっております!『指にはめれば未開部族でさえ弁論家に』!ハーフナー印の輪環リンガ!どうでしょうミシェル嬢、これを機に是非お一つ!ちなみに、これがどうやって作られているか、どういう原理で動いているのか、俺は全く分からん!」



「魅力的だけど今持っているもので間に合ってますわ。でもちょっと試させて頂戴」



「……とまぁ、こんな風に別に魔法の理論なんて知らなくても商売はできるんだよ。重要なのはお客様に商品を売りつける、説得力と納得感のある話術さ」



「商談は失敗してない?」



「うるせぇ、お前はさっさと眼鏡売ってこい」



「無理です。コゼットさん居るし」なんか煽られた気がするがここはスルー。「あれ、つーかコゼットさんどこ?」



「あ?あの子ならさっき奥に入ってったぞ」



 またコゼットさんの悪い癖だ、自分の興味ない話が進んでいると勝手に何処かへ行ってしまう。法事の時に会う親戚の小学生そっくりだ。奥に向かって名前を呼ぶと、ひょっこり出てくる。



「何してたのコゼットさん?」



「いや、さっき眼鏡を用意してもらった時にですね、奥の加工場に色々と眼鏡の縁があるのに気が付きまして……」



「眼鏡も装飾品の一つ、派手なモノ、機能付きのモノ、賢そうに見えるモノ、色々あるのは当然だろ?嬢ちゃんは一番安い奴を選んだがな」



 店主は嫌味っぽく答えるが、コゼットさんは気づかない。まぁ、彼女が値段以外の価値で商品を選ぶことは無いだろう。



「それでですね。さっき欲しいって言ってたので、ミシェルに似合いそうなのを選んでました」


「あら、そうなの?ありがとう、ジジさん」



 手渡された眼鏡をかけるミシェル。コゼットさんが選んだ眼鏡は、教育ママが着けていそうな、逆三角のどぎつい赤色眼鏡だった。何をもって似合っていると判断したのか教えてくれ、コゼットさんよ。



 そして、なにも知らないミシェルは少し照れくさそうに頬を染める。



「どうざますか?」



「……すっげぇ似合ってる」



 すっげぇ似合ってる。口調まで教育ママじゃん。



「本当ざますか?嬉しいざます」



 吹き出しそうになって、とっさに顔を腕に埋める。駄目だ……これ以上喋られたら声を出して笑ってしまう。



「なんか口調変わってません?」



「え?」



「あ、そういえば新しい輪環リンガは意思の疎通に支障のない方言や語尾なんかを、発話者の個性として任意で残せる機能があるんだった」店長が思い出したように手をたたく。



「こりゃ多分、ミシェル嬢の故郷の方言だな」



 ミシェルの顔がみるみる赤くなる。彼女は震える手で指輪を外すと、それをリングケースに入れ、そのリングケースで店主の胸を殴りつけた。



「商品知識くらい把握しておきなさいな!!」

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