第12話 形而化学
「まさか、学費があんなに高かったなんて……」
「だから最初に言ったじゃないですか。魔法なんて結局、ご貴族様の嗜みなんですよ」
「まぁでも、マクベスさんから貰ったお金を使えば、なんとか」
「なら私、別に魔法使えなくてもいいですよ」
「でも実は俺も魔法使いたくなってきたんだよね」
「異世界の人って魔法使えるんですかね?アヴドゥルは使えませんでしたけど」
「やってみなくちゃ分からないだろ?アヴドゥルが誰かは知らんけど」
テオンに来て十日ほど経ったある日、遂に魔法を学ぶ為に大学を訪れた俺達。しかし、大学事務で話を聞いたところ、魔法協会が開催する魔法講座に参加するには、年間で金貨10枚という大金が必要と言われ青天霹靂。
二人して大学に行けばなんとかなるだろうと考えていた俺達は、あまりの額に怖気づき、『あー、ちょっ……と今持ち合わせが無いんでぇ……一旦もう一度、ちょっと考えてきます』という必要のない大嘘を事務員に告げて大学を後にした。そして、ひと先ずは態勢を立て直す為に、その足で大学近くの食堂に入ったのだった。
実を言うと、金貨10枚は決して払えない額ではない。マクベスさんから貰った金貨袋には、ざっくり三年は魔法教室に通えるくらいの金貨が入っていた。しかし、このお金はできる限りコゼットさんの今後の生活の為に残しておきたいので、あまり手を付けたくない。
それでもコゼットさんに魔法を学びたいという熱意があるならば、勿論使いたい。けれど彼女はそんな勉強熱心ではないようで。というより、お金大好きな彼女が日本円にして数百万円の散財を許すはずはなかった。
「おまち。『赤身魚の酢〆』と、『豆と
店主の説明とともに頼んだ料理が目の前に並ぶと、コゼットさんは俺の頼んだマリネ的な料理を見て、目を顰めた。
「ミチル、ほんとに生魚食べるんですか?」
「そんなに驚く?食べたこと無いの?」
「ありませんよ!昔っから『魚の身には虫が居るから十分に焼いて食べること』って言われてきましたから!」
「川魚は危ないけど、海の魚は生でもいいんだよ。ねぇ店主さん」
「おうよ!俺っちの店で出す魚は朝に船から下ろしたばっかの超新鮮!虫なんて湧かないよ!」
店主はきっぷ良く笑うと、新鮮さアピールだろうか、まな板の上の刺し身を口へ放り込んだ。そっちの虫じゃないけど。まぁ、区別が無いのかもしれない。
「うわぁ、すごい」
引き気味に肩を竦める彼女に俺は反論する。「というか、それを言ったらコゼットさんだってそれ、『豆と
「知りませんよ。でも名前を見てぴぃーんと来たんですよ。『あ、これは絶対美味い奴、もし美味しくないと感じたらそれは世界の間違いです』って」
「自分の直感に対する信頼は何?」
自信満々にドンプルという謎の汁料理を口へ運んだ彼女の幸福顔は、しかし、舌の上で味わうにつれ、歪んでいった。
「ん?あれ?」
「どう?世界が間違ってた?」
「いや、これ『どぺら煮込み』じゃないですか」
今や懐かしの単語が飛び出した。半信半疑で彼女から一口もらうと、それは確かに、異世界で初めて食べた記念すべき料理『ぐじゃ肉どぺら煮込み』にそっくりだった。ちょっとシーフード風味だけど。
「ほんとだ。よかったじゃん、コゼットさんどぺら煮込み好きだし」
「いやでも今日の私は既にドンプルの舌だったんですよ。どぺら煮込みの舌じゃないのにどぺら煮込みが口の中に入ってきても嬉しくありません。もしこれが『豆と
「どぺら どぺら うっせぇな」
すると、コゼットさんの長ったらしい講釈が耳に入ったのか、店主が興味ありげに話しかけてきた。「あら、もしかして嬢ちゃん達もモルベリアから来たのかい?」
「え?へぇ、まぁ。どうして分かったんですか?」
「この街でドンプルを『どぺら煮込み』って呼ぶのはモルベリアの奴だけさね。ちなみに俺っちもモルベリアの出身でなぁ……こっちへはいつ頃?」
同郷の人に会うのは珍しいのか店主さんは嬉しそうだ。実際には俺もコゼットさんもモルベリアには数日滞在しただけなのだが、しみじみと故郷に想いを馳せている中年男性を前にそんな事実を伝えられようはずもなく、『そっすねぇ』っと愛想笑いで応えるしかなかった。
「やっぱりモルベリア人からすれば『ドンプルってなんだよ。どぺら煮込みじゃねぇか』って思うよな」
「そう思うんなら、なんで『どぺら煮込み』じゃないんですか?」
「その名前じゃ誰も頼まないからな。『どぺら煮込み』じゃ通じねぇんだよ。『どぺらって何だよ』って何度言われたか」
「どぺらって何だよ」
ぶっこんだ瞬間、他の客からの注文が入って会話が途切れ、やっと俺達は食事を再開することが……
「ちょっとそこのお二方。今、魔法を学びたいと仰ってましたわね」
できなかった。横目に見ると、声をかけてきたのはフリルをあしらったドレス服を着た少女だった。ツインテールを縦に巻いた、いわゆる縦ロールという髪型で、濃い金色のヘアスタイルは彼女の小さな顔の倍ほどもある。
この世界の人にしては珍しく化粧をしているので若干年上に見えるが、年の瀬は俺と同じくらいだろうか。気の強そうなキツネ顔、いかにもお嬢様お嬢様していて、一周回ってお嬢様ではない気がしてくる。
「良いお話があるのですが、今お時間よろしいですか?」
「えっと……まぁ、いいですけど」
すると物腰柔らかに営業スマイルで話しかけてくる雰囲気お嬢様に、コゼットさんが反応してしまった。今まで無視を決め込んでいた俺は、とっさに彼女の肩を抱き込んで耳打ちをした。
「だめだよコゼットさん、こういうの絶対詐欺だから。いきなり話しかけてくるのは不審者か詐欺師だと思って無視が基本。話を聞いちゃうと、お安く魔法学べますとか言って教材とか売りつけられるから。俺の母さんはそれで英語が喋れるようになる壺を買った」
「つ、壺を?それは、嫌ですね」
「あの……私は詐欺師ではないのだけれど。人を詐欺師呼ばわりは止めてくださる?」
「いや、でもめちゃくちゃ怪しいし、俺達一回悪い狼に騙されてるんで」
「騙すつもりなんて、私はただ、魔法に興味のある貴方達に良いお話を持っていまして」
「魔法が使えるようになる壺とか?」
「だから、壺なんて売りませんわ!このミシェル・シニフィエの言葉に偽りはありませんわ!」
彼女は胸に手を当てて鼻を鳴らす。そもそもの信用が無いので話を聞く価値が無いと分かっていないのか、返答に困っていると、後ろのテーブルに座っていた黒いローブの紳士が立ち上がり、彼女の肩を優しく叩いた。
「ミシェル君。そんな強引に勧誘をしてはいけませんよ。自らの正体を晒さずに、どうして信用を得られるでしょう」
「リンデ様……」
「助手が申し訳ありません。
物腰の柔らかな初老の男性はどうやらお嬢様の連れだったようだ。オールバックにした白い髪、鋭く整えられた白い口髭。俺の乏しい語彙内で言い表すならばセバスチャン。彼はお嬢様を嗜めると俺達に頭を下げた。
「あぁ、学者の先生でしたか。それで……その、けーじかがく?の先生が、どのようなご要件で?」彼の話を真に受けたコゼットさんが、学者と聞いて背筋を伸ばした。
「私共は形而化学会という団体で活動しておりまして、形而化学の普及と発展を目的として、新しい学会員を募っているのです」
「……コゼットさん、行こう」
食事中なので耐えていたが、遂に彼らの怪しさが限界突破したので、俺はさっさと店を出ることにした。学者とか学会とか、詐欺師がよく使う肩書きだ。権威を借りて自分がさも公正な人間だとみせかけ、コゼットさんのような子を騙そうというのだ。
どうせ魔法を学べるとか甘言を囁いて、高い講習料を払わせようという魂胆だろう。同じような手口で俺の父親は謎の経済学者が主催するFX必勝セミナーに10万円で参加し、1千万円の貯蓄を溶かした。だから信じられないのだ、こうやって良さげな話を持ちかけてくる人間というものが。
「あ、ちょっと待ちなさって!」
「大体おかしいでしょ。だいたい。形而化学がどの学科か知らないけど、魔法と関係ないじゃん」
「大いに関係ありますわ!形而化学とは、魔法を追究する学問なのですわ!」
「名前が違うじゃん。魔法を研究するなら
逃がすまい俺の手を掴むミシェルに反論する。すると、それには紳士が答えた。
「数学を
「本当ですか!?ミチル、話を聞くだけですから!」
弱点を突かれた俺は、結局なし崩し的に怪しい紳士とお嬢様二人組の話を聞くことになってしまった。勿論、真面目に聞くつもりはない。食事中にYoutubeの解説動画を見る感覚だ。
「まず、形而化学とは、何か。それを説明するには
「どんな印象って……」
4人がけのテーブルに座り直し、話が始まるとすぐ、リンデ(紳士の方)に問いかけられて肩が竦む。魔法の印象なんて言われても。俺、日本人なんだけど。分かんないんだけど。知ったこっちゃないだろうけど。
「なんかこう……杖を振って呪文唱えれば、不思議な力でカボチャが馬車に、みたいな?」
とりあえず俺の中の普遍的なイメージを伝えてみる。漫画とかゲームでは魔力がどうのマナをどうの言われているけども、そんなものは一創作物の設定でしかない。ガチで魔法が存在する世界の人間に生半可な知識でドヤ顔をしてはいけない。間違っていた時にアホ面を晒す羽目になるから。
「そう、その通りです」おっしゃ通った。「昔の人々も、魔法に同じような印象を抱いていました。『理屈は不明だが、ある手続きを踏めば、想像する通りに作用する力、法則、道具』。故に
なんとなく、言っていることの三割くらいは分かる。自動車とか、エンジンの仕組みとか、具体的に何がどう機能して動いてるのかはよく分からないけど、まぁアクセル踏めば動くからヨシ!みたいな、プロジェクションマッピングの幻想的な映像を見て『魔法みたーい』的な、そんな印象だろう。
「魔導師などは、よく薬草に例える。『薬草の
「あぁ、私もメンタとかセージャとか薬草の効能は色々と知ってますけど、言われてみれば何が効いてるのかは知りませんね!知識のない人からすれば魔法みたいかもしれません」
「そう。しかし、無論ですが
「やっと出ましたねケイジカ。どういう意味ですか?」
「かいつまんで話すと、形而化とはつまり科学的な魔法の定義で、『使用者の想像を、その完全性を保ったまま現実世界に存在
実際に見せましょうか。彼が人差し指を立てると、どこからとも無く指の先端に火が点った。マッチやライター等を使った素振りもなく。まるで最初からそこにあったかのような素振りで、火はゆらゆらと揺れている。
「例えばこの場合、私は炎の魔法を使いましたが、科学的には火を形而化したと言えますね。『人差し指の先端が燃えるように熱くなり、遂に発火する』という私の想像が、現実に作用したという訳です」
「あ、熱くないんですか?」
「熱いですよ。まぁ、魔法使いは火傷して一人前と言われる程に、この調節の魔法を練習しますからね。慣れたものです」
「……それで、結局どうして
指を振って火を消したリンデは、指先に付いた燃えカスをハンカチで拭き始めた。「先に説明したように『理屈の分からぬ法則』を意味する魔法は、まさに学問の対義語と言えるからです。そんな背反する言葉を安直に合成して
「なるほど、だから大学で紹介されたのは『魔法協会』だったんですね。たしかに、あれも魔法学とは名乗ってませんね」
ハンカチを動かすリンデの手が止まった。
「……その『魔法協会』が、私達の悩みの種でして、貴方達に声をかけた理由なのですわ」すると、リンデの顔色を察したミシェルが口を開いた。「実を言うと『魔法協会』は民間団体。テオン市に学会として公認されているのは、私達の形而化学会の方なのですわ。元々、同じ組織だったんですけど」
「魔法協会は、形而化学会と何が違うんですか?」
「魔法協会はテオンの魔導師・魔法使いで構成されている同業者組合ですわ。魔法の研究や実験も行っていますが、それは実用的なものだけ。例えば、近年では数十種の魔法を組み合わせた食品保存魔法の開発が有名な成果ですわね。テオン市と食品・流通・漁業関係の各組合が出資した一大事業だったと聞いていますわ。使用料だけでどれだけの儲けになることやら……」
指折り数を数えるミシェルをリンデが睨む。「おやめなさい。我々の本分は学問の追究です。だからこそ、利益追求に奔走する魔法協会から形而化学会は袂を分かったのでしょう」
「そうは言っても、お金が無ければ学会の運営すらままならないのも現実ですわ。予算だって殆どありませんのに」
「金銭の問題などでは……っ」
ミシェルが反論にリンデが口を開きかけたその時、「そんなにお金に困っているなら、なんで協会と別れちゃったんですか?」とコゼットさんの質問が飛んだ。身を取り直した彼は恥ずかしそうに咳払いをすると、口早に説明し始める。
「魔法協会は、魔法を学問扱いすること消極的でした。魔法が広く普及してしまうと、使用者を管理できなくなるからというのが名目です。魔法は、使い方によっては人を傷つけたり、秩序を壊すことが出来てしまう。故に、魔法協会は独自の教育機関を持っていて、悪い魔法使いが出ないよう、教育と選別を行っています」
「多分、私達が勧められた所ですね。受講料が高すぎたので止めましたが」
「もちろん、高額な受講料も魔法使いを多く増やさない為。ですが、それらはあくまで名目。一番の理由は既得権益を守る為です。協会の事業は、先のような魔法の開発だけではありません。魔法は、魔法使いにしか使えませんからね。開発した魔法の運用も彼らの仕事です」
「つまり、協会はこの市の魔法を牛耳ってるみたいな?」
「えぇ。事業規模で言ったら西のハーフナー商会、東の魔法協会と言った感じかしら」
「東西の意味は?」
「立地ですわ」
「魔法協会が
「気持ちは分かります。お金は大事ですからね!」
「コゼットさんはそうだろうね。それで、リンデさん達はそうじゃないと」
「えぇ。私達形而化学会は魔法に対する知識を一般に普及させ、より魔法を高度に発展させたいと考えているのです。それは既存の技術や価値に従った魔法開発ではなく、魔法を追究し、全く新しい概念を魔法にもたらすことを目的としています」そう言うと、彼は襟を正した。「さて、ここからが貴方達に学会に入って頂きたい理由なのですが」
「ここまでが長かったですね」
「なんてこというのコゼットさん」
俺達の軽口をよそに、リンデは重々しい口を開いた。
「形而化学会が存亡の危機なのです」
「頑張ってください。それじゃ、ごちそうさまでした」
しかしおもむろに立ち上がる俺達の服の裾を、リンデさんが全力で引っ張る。凄まじいピンチ力で全く前に進めない。その燕尾服のどこにそんな人間離れした膂力がひそんでいるのか。
「待ちなさい。毒を喰らわば皿までと言うでしょう!」
「毒つっちゃったよこの人、自分の所属団体を」
「そう言われても、門外漢の私達が急に入った所で何も出来ませんよ?」
コゼットさんが困った顔で首を傾げる。彼女の言う通り、素人の俺達にできる手伝いなど、たかが知れているだろう。例えば頭数を要する時の賑やかしなど。空っぽなので取り扱いも楽だ。
「問題ありません!こういった行き詰まった状況を打破するには、新しい視点が必要なのです!貴方達には、形而化学を市民に広める為の方法を考えて頂きたいのです!」
「なんで俺達なの?」
「それは……」口ごもるリンデさん。そしてミシェルが自信満々な態度で胸に手を当てて声を張った。
「私の直感にぴぃーーんと来たからですわ!『あ、この二人ならなんとかしてくれる』みたいな……うん、そんな感じですわ、多分」
「自分の直感が信じきれてないじゃん」
「……分かりました。魔法を教えてくれるんなら良いですよ、私は」
「え、コゼットさん?」
「良いじゃないですか、せっかく無料で魔法を教えてくれるって言ってくれているんですから、そのお返しに協力してあげたって」
「無料だなんて言ってた?」
コゼットさんの突然の方向転換に、リンデが素早くミシェルに耳打ちをすると、彼女は力強く親指を立てた。
「無料ですわ!無料ということになりましたわ!」
「ほら、ミチル。二人とも悪い人じゃなさそうですし!」
「あー、うん」溜息をゆっくり吐き、上げた腰を再び椅子に下ろす。結局、俺はできるだけコゼットさんの意思を尊重したいのだ。それに、リンデとミシェルが悪い奴ではないことは、この会話の中でなんとなく分かった。「……コゼットさんに何かあったら、すぐ脱会するからな」
「承知しました。いやぁ、こんな若い子が二人も入ってくれるなんて嬉しいですねぇ」
「それで、形而化学を広める方法って、二人は何か考えているんスか?」
「そうですね」リンデが指を鳴らすと、どこからともなくフリップが現れる。魔法って便利だなぁ。「これは認知度を図示した物なんですが、『魔法協会を知っている・利用したことがある』と答えたテオン市民が9割4分。まぁ、あちらはテオンの民主政成立より古い歴史がありますので、当然でしょう」
フリップをめくる。「対して形而化学会の認知度は1割未満。『形而化って何?』という声がほとんど。やはり、ここは形而化学に触れる機会が少ないというのが原因では無いかと思いまして、大学以外の場所でも講義が受けられるような環境づくりが必要なのではと……どうでしょう、ミチル君」
「名前変えれば?」
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