西通り 雨と榛

第11話 西通り、雨と榛

 アルターミルより塩街道を南方へと5日、空に雲一つと無い清々しい昼下がり、草花や動物の彫刻があしらわれたアーチをくぐり、遂に俺達はテオンに辿り着いた。色とりどりの列柱が立ち並んだ大通りメインスリートを見晴らし、俺は思わず両手を天に突き上げる。



 長かった。本当に長かった……掲げた手に込めたのは、念願の目的地についた感動や達成感が半分くらい。もう半分は、朝から晩まで歩く日々が、やっと終わったという解放感だ。実際の移動距離なんて分からないけど、東京から大阪くらいは絶対に歩いた。いくら元水泳部で体力がある方とは言え、重たいリュックを背負って何十日もひたすら歩き続けるというのは、かなり手強いものだった。



 それにしても、と俺は隣のコゼットさんを見る。カロはともかく、コゼットさんは俺より年下で、体もずいぶん細い。それなのに、彼女はこの旅の途中で弱音を全く吐かずに、俺と同じペースで歩いていたのだ。昔の人は体力が多いとは聞いたことがあるが、その体のどこにそんな体力があるのだろう。



 しかし、そんな疑問はすぐに霧散してしまった。テオンという大都市の大通りでは、まるで川の水のように、人々が門から市街地へと流れていく。俺達もその波に流されてしまったからだ。



 革袋を担いだ色黒の商人、馬を引く奴隷。俺達と似たような訳あり顔の旅人。人々が軽やかなリネンの服を着ている中、外套を深く被る人狼リコ。店の前で言い争っている男女。それを囃し立てる酔っ払い達。楽器を吹き鳴らして客引きをする露天商。そのやかましい音色に負けじと声を張り上げて歌う片足の乞食。そんな都市の喧騒に我関せずと列柱の間で寝そべる老人。



 ふと、人の流れが止まったかと思えば、竜の装飾が付いた派手な神輿みこしが人混みをかき分け、眼の前を横切った。乗っているのは貴族だろうか、群衆の頭上を白く鮮やかなローブが優雅に揺蕩う。



 コゼットさんとカロを見失わないよう、人いきれの中を見回しながら歩いているだけで、自由と活気に満ちた都市の風景が視界に飛び込んでくる。そして、その賑やかな空気に触れていると、到着した当初の達成感や解放感は鳴りを潜め、代わりに、テーマパークの入場ゲートをくぐった直後のように胸が高鳴ってくる。



「ミチル!あの金色のドームは何ですか!?」



「展望台じゃない?」



「ホントですか!!なら、後で行きましょう!あ、神殿から煙が昇ってますよ!!火事か祭りですか!?」



「そういう儀式じゃない?」



「ホントですか!?危なくないですか!?」



「神様いるし大丈夫じゃない?」



 テンションが上っているのはコゼットさんも同じだったようだ。彼女は瞳を輝かせて、目に映る建物を指さしては、なんやかんやと訊ねてくる。一緒に初めてこの街に来た俺が答えなんて知ってるはずもないのに、年相応にはしゃいでいるな。まぁ、俺もはしゃいでいるから、適当に答えを返してしまう訳だけど(ちなみに、後で調べたら金色のドームは氷と塩を造る工場で、煙の昇る神殿は公衆浴場だという。なにが展望台だ、工場なんて行かねぇよ)。



「あ!ミチル、あれ!!」



人混みを抜けた先のレンガ造りの広場で、コゼットさんが俺の裾を引っ張った。彼女の視線の先を追うと、そびえていたのは先程までの喧騒とは打って変わって、冷たい白の無機質な列柱廊。



「あれはー……王宮?」



「へ?テオンに王宮はありませんけど……いや、というかあれが大学ですよ」



「大学……あぁ!」



 コゼットさんに言われて、眼の前の建物が、アルターミルで離れたステピエさんが教えてくれた、テオンの大学のイメージと同じだということに、ようやく気が付いた。大学──この世界では、それをグノスクという──これこそ、俺達3人がテオンに来た共通の目的と言って過言ではない。



 元々、カロの地図にかけられた魔法を解く人物が居ると教えられた時には、カロの付き添いで訪れるか程度に捉えていた大学。しかし、よくよく考えてみれば、大学に行けばコゼットさんが念願の魔法を学べるのだ。



 そして、大学というからには研究機関。もしかしたら元の世界に帰る方法が、そこにあるかもしれないし、俺と同じ異世界人の情報だってあるかもしれない。なんにしろ、素人が下手に世界を歩き回って情報を集めるより、賢人の集会場、情報の集積地である大学に居たほうが、よっぽど可能性が高いのではないか。旅をするより安上がりだし。



 大学を仰ぐように見ていると、思わず溜息が漏れた。まさか、異世界で大学に通うことになるとは。思えば、この世界に来ていなければ、あっちは4月。丁度入学式の時期だ。あぁ、ちくしょう、羨ましいな、友人達アイツらめ。一足先に大学生活を謳歌しやがって。待ってろよ、俺も絶対そっちの大学に通ってやるからな。たったこの程度の受難に負けて、受験勉強に費やした時間を無駄にしてたまるかよ。とりあえず大学に通い始めたら水泳部以外に入ることは確定として……。



「なに神妙な顔してるですか?ミチルの帰る方法が見つかるかもしれないんですよ?」



 頬に痛みを感じて我に返ると、コゼットさんがニヤニヤと笑いながら指で頬を持ち上げていた。「なにしてんの?」と押しのけてもまだ笑っている。浮かれているのか?



「おい、何立ち止まってんだ前ら。さっさと行くぞ」するとその時、カロがズカズカと音を立てながらこちらへ歩いてきた。姿が無いなと思ったら、いつの間にか広場を先に進んでいて、そして俺達が居ないことに気がついて戻ってきたようだ。



「カロ、ここが大学なんですよ!ちょっと入ってみません?」



「入らねぇよ。それより先にやることがあんだろ」



「お昼ごはんですか?」



「家探しだよ。地図の解析もミチルの調査も、そんな大学に行けばすぐ解決ってモンじゃねぇからな。そうなると宿を取って連泊するより、家を借りたほうが安い。これくらいでけぇ都市となると安い賃貸住宅もあるだろうし」



「まぁ、俺達の場合はそうだけどさ」コゼットさんを横目に見る。「カロの地図にかかった魔法を解くのって、そんな時間がかかるか?また旅に出るんだろ?」



「そうしたいのは山々だが、アニューの亡骸に魔法をかけて貰った時は50日以上かかったんだ」カロは顔をしかめた。「あん時は俺の注文も注文だったがな……だが魔法をかけるのにそんだけ時間を使うんなら、多分、解除するなんてのは、もっと時間を食うんだろうよ。それに、ステピエの爺さんが言ってただろ。専門家でも曲用魔法を解く鍵を見抜くのは難しいってな」



「え、魔法ってそうなの?」その話は、俺の魔法に対するイメージと違っていた。魔法っていうのは、なんかこう……杖を振って呪文唱えれば、あら不思議……みたいな。よく分からないけど、そんなものを想像していた。



「俺だって魔法使える訳じゃねぇし、そんな技術的な話は知らねぇよ」カロは俺の疑問を鼻で笑う。「ほら、分かったらさっさと行くぞ。家探しは早めに手を付けといた方が良い、役所から居住許可もらうのにも時間がかかるし、それに紹介状も貰っただろ?」踵を返して歩き始めた彼は、日焼けたチケットを肩越しに見せた。



「紹介状?そんなの貰いましたっけ?誰から?」



「紹介状っていうより、広告?」はためいているチケットの小さな文字を、目を細め読もうとしているコゼットさんに、俺はリュックから同じモノを取り出して見せる。デカデカと『ハーフナー商会 テオン本店』と書かれた、別れ際にハーフナーさんが握らせてきたチラシだ。



「あぁ……それ、割引とかあるんですかね?」



「んー、あるんじゃない?」



 大学前の広場から『ハーフナー商会 テオン本店』に着くまでは、さほど時間はかからなかった。というか、地図が無いのにカロはどうやって店までの道筋が分かったのだろうか。聞くと、紹介状に付いていた匂いを辿ったのだそうだ。犬かよ。犬か。いや人狼か。



 ところで、匂いといえば、アルターミル以南の街の店では大抵“お香”を焚いている。地域的な風習のようなもので、よく焚かれているのは、シャルダナと呼ばれる日本で言えば線香のような匂いのお香。購買欲を掻き立てる効能があるのだそうだ。



 ハーフナー商店も例に漏れず、店内にはシャルダナの匂いが満ちていた。その真偽は置いといて、お婆ちゃん家に来たみたいで俺はこの匂いが好きだ。だが、カロは強い匂いがあまり得意では無いようで、店に入るとしきりに鼻を擦っている。



 しばらく待っていると、黒い服を来た褐色肌の女性が奥から出てきた。「いらっしゃいませ!塩・鉄・酒から氷に毛皮、近くの人から遠くの土地まで。お金と権利以外、なんでも売りますハーフナー商……おっと、人狼リコの方でしたか」



 快活な口調で宣伝文句を口にしていた彼女だったが、呼び鈴を鳴らしたのが人狼だと気づくと口を噤んだ。まさか、ここでもかと俺とコゼットさんがカロを見上げると、彼の瞳にはすでに諦観でくすんでいた。しかし、続いてその店員が取った行動は、これまで幾つかの店で受けた仕打ちとは違った。



 彼女はカウンターの奥で焚かれていたお香の火を消すと、窓を開けた。「さて、失礼しましたお客様・・・!なんでも売りますハーフナー商会、今日は何をお探しでしょうか?」



 ほっとした俺達は、店員に促されるままカウンターに座る。だがカロは一人不思議そうに眉を上げていた。「嬢ちゃん、気が利くってよく言われないか?」



「え?いや別に……あ、お客様の望むモノをご用意するのが商人ですので!」



「そうか、あの爺さんの店らしいな」カロは満足そうに鼻を掻くと、懐から紹介状チラシをカウンターに置いた。「家を探している。賃貸でいい、2部屋」



「おや、会長の旅遊の道連れの方でしたか。その節はお世話になりました」紹介状を手に取った女店員にお礼を言われる。まぁ、お世話になったのは俺達なんだけどな。「であれば当局への居住申請は商会から提出しておきますね。会長のお墨付きがありますので、すぐに良いお答えができるでしょう!」



「っはは。本当に気が利いてる店だな。やっぱり来て正解だった」



「そんなことまでしてくれるんですか?」



「お世話になった方へのささやかな礼ですよ。ご心配なく、ちゃんと正規の手続きですから」驚くコゼットさんに店員は微笑んだ。「会長はテオン政務官を務めていた事もありハーフナー商店とテオン政府は仲が良いんですよ」



「権利は売ってないんじゃなかったか?」



「いえいえ、お客様からはお金を取っていませんし、ただの斡旋ですよ、斡旋・・。テオン市が新しい居住者を募っていますので」



 そう答えると、店員とカロは悪い顔をしてケラケラと笑った。商人と政治の間に黒い話や金色の話が転がっているというのは、どこの世界でも同じようだ。



「まぁよく分からなかったですけど、もう一つ良いですか?」コゼットさんがカロに首を傾げる。「なんで部屋を2つも借りるんですか?カロも一緒に住めばいいじゃないですか」



 カロは嫌そうな顔で俺達をじっと見つめると「嫌だね」と突っぱねた。「これから生活費の為に働く必要も出てくるだろう?疲れて帰ってきたのにお前らが煩くて眠れねぇなんて、ぜっっってぇ無理、嫌だ」



「なんでですか、寝るときくらい静かにしますよ!」



「どうだかな。ま、旅中は静かだったがよ」



「……あの、カロ様の判断は正しいですよ。非常に申し訳にくいのですが、獣人の方というのは住める部屋も限られてしまうものですし……いや、私どもがそうしている訳ではありませんよ?貸主の希望や居住区の関係で」



「そういうこった」カロは俺たちを見ると鼻で笑った。「ま、目的も違うんだ。いつまでも一緒に居る必要もねぇだろ。これからはお前ら2人で仲良くやるんだな」





 結局、店員さんの勧めもあって、俺・コゼットさんとカロは、テオンの中でも離れた地区に家を借りることになった。これまで旅をしてきた仲間と離れるというのは少し寂しい気持ちもある。だが、同じ街に暮らしていると言えばそうだし、会おうと思えばいつでも会える、頼ろうと思えばいつでも頼れる距離、友人の距離だ。そう分かってしまえば何も問題は無い。



 借りた家の住所は西通り、あめはしばみ。レンガと木で建てられたアパートの一番安い部屋。店員さんのご厚意で、家賃は破格の一日100¢。歪んだ階段を上っていると、しゃべり声や床を鳴らして歩く音など、住民の生活音が筒抜けに聞こえてくる。その最上階である四階の一番奥に構えるのが、俺とコゼットさんの新しい居場所。



 扉を開けると、そこは四畳半と形容するに相応しく、狭さと貧しさが同居している。トイレや風呂、シンクやコンロなんてものはなく、ただ、ひび割れた剥き出しのレンガに囲まれ、がんどうとしている空間。だが、そんな部屋を目の当たりにしても、不思議と落胆はしなかった。むしろ、これから始まる新しい生活に心なしか胸が高ぶっている。



 目的までの距離も道も分からない以上、この街での“帰り道探し”は、ここまでの旅よりずっと厳しいものになるだろう。しかし、それを苦難だとは未だ思えない。それは何故だろうか。



「はぁ、もう、疲れたぁ~~~!」すると、コゼットさんは入ったばかりの部屋でへたり込んだ。「もう脚もパンパンですよ。男の人は歩くの速すぎます」



「え、そうだったの?ごめん。コゼットさん体力あるなぁって思ってた」



「あ、いや。責めてる訳じゃ無いです……私も早くこの街に来たかったですから、ちょっと無理してたんです。それがもう終わると思うと」



「そんなに早く魔法が学びたいの?」



「え、いや。さっさとヘドニアから離れたいからに決まっているじゃないですか」コゼットさんは不思議そうに眉を垂らした。「魔法は使ってみたいですけど……そういえば、ミチルはなんで私に魔法を学ばせたいんですか?」



「え?」言われてよくよく思い返してみると、たしかにコゼットさんの口から、魔法を学びたいとは一度も聞いたことは無かった。「でも、ずっと魔法の練習してたんでしょ?」



「それはそうですけど……へへっ、ミチルは安直ですねぇ」



「ま、まぁ、魔法が学べるっていうのも、コゼットさんが望んでた幸せな暮らしじゃない?」



「そうですねぇ……」すると、それまでヘラヘラ笑っていた彼女は、ハッと立ち上がった「そうです、そうですよ!私は幸せになりたいんです!テオンは大きい都市だし、仕事も娯楽も沢山あります!ここは幸せを手にする絶好の場所では!?」



「ミチル!私はこれからもミチルが家に帰る方法を探す手伝いをします。だから、代わりに私が幸せになる手助けをお願いします!」



「それって難しくない?」困り顔でそう答えるが、彼女の頼みを断るつもりなんて無かった。なぜならそれは、彼女が幸せに暮らせる場所を探すという、はじまりの日の決意と何一つ変わらないものだから。



「ちゃんと計画はあるんですよ?まずは大金持ちになって、新しい友達を作って……」



「早速破綻してるけどその計画大丈夫?」



 先程「疲れた」と言っていた口はどこへやら、その日は夜灯の蝋燭が尽きるまで、彼女の話は続いたのだった。なるほど。カロにとっては辛いのかもしれないな。

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