第9話 轍
アルターミルへと続く交易路は塩街道と称される。良質な塩の採取地である南沿岸部と、モルベリアも位置している高原地方を結び、その名の通り、塩交易を基盤とした物流が盛に行われている。アルターミルも、その前身のアルタブラも、この塩街道の重要な中継地点として、古くから人と人の交流の盛んな都市である。
塩街道を南に歩いていると、その右手には、街道に沿うように川が流れている。名をウルド川といい、これもまた、ヤブルの山々で採れた木材や石材を運ぶ運河としても活用されているという。天気の良い日の昼頃になると、塩街道を行く人は川面を沢山の丸太がゆったりと流れていくのを見るだろう。木の採れる上流まで船で川を遡ることは難しいので、こうして船着き場のある河港の街までは、こうやって丸太をそのまま川の流れに乗せて運ぶのだそうだ。
ハーフナーさん達と合流した旅の初日、彼らの案内は見事なものだった。彼らは長年旅をしているだけあって、街道や、その周囲の社会文化をよく見知っており、街から街への道中は色々と興味深い話を聞け、歩くという行為そのものを楽しめる。
なるほど、
俺は気まずさを感じながら、どうにか彼を元気づける方法はないか、ヤブルを出てから、ハーフナーさんの話を聞きながら考えていた。カロは自分を頼ってくれと言ってくれた。だから、できることなら俺もカロの力になりたい。しかし、いま一つ考えは出ず、そのまま一行は次の町へと到着した。
川の岸に沿うように形成された集落で、そこは、今まで横手に見てきた、川上から流れてきた丸太。それを船に乗せ換える河港の町だ。ここからは道がぐっと平坦になって、平原を歩くことになる。ハーフナーさんがそう説明すると、カロが不思議そうな顔で訊ねた。
「なんだ、港と言ってもヘドニアとは随分違うんだな」
「カロさん。そりゃあ、龍とミミズを比べるようなもんさね。あの国は大きな川が何十も這ってるもんだから、昔っから治水工事を繰り返して、ほとんど運河に造り変えたんだ。だから河港も一級のばかり」
ハーフナーさんの答えを聞いて、俺は異世界で始めてきた街、ヘドニアの都のことを思い返した。重機や倉庫が連なり、大きさだけなら現代都市の貨物港と比べても遜色がない。それと比べると、この町のものは、小さな漁港といった具合だ。「確かに、都の港もでかかったなぁ……」
「そりゃあ、王様の御わす所の河港なんて、特級も特級さね。それに、都に面するは、ヘドニアの
コゼットさんと俺は当然のように頷く。都になんて1時間も居たか分からないけど、まぁ出身と言えば出身だろう。だが、カロは「いや。まぁ、港街だ」と言葉を濁した。
そういえば彼は、俺達に出会った時には、アルタブラが自分の故郷だと偽っていた。何か、理由があるのだろうか。気になった俺が訊ねると、彼は背負った剣の柄を叩きながら言った。「コイツをそこまで届けるには、嘘吐くしかなかったんだよ。俺みたいな
「あれ、でも昔、アニューさんと旅してたんだよな?地図作る為だっけ、それはいいの?」
「人間と一緒なら良いんだよ。そうじゃなきゃ、俺達は住んでる街からも出れられん」
「なら、彼と出会ったのも故郷?」
「ああ。ここと違って、すす臭い所だったよ」カロは目を細めて河港を見る。そこでは大人の男たちが、丸太を縛り上げ、船に乗せる作業をしている最中だった。「住んでる時は、故郷だなんて思ったことは無かったがな」
────廃材の下でわんわん鳴いていた。それが
度々その記憶を夢に見ては、ゴミ捨て場から始まった幼い時分をどうやって生き延びたのだろうと、彼は不思議に思う。なにしろ物心が着く頃には、すす臭い河港で人間に混じって
唯一分かるのは、自分は親に捨てられたのだということ。なぜなら、彼には名前が無く、人間から「おい」とか「お前」と呼ばれていたから。それらが名前などでは無いことは子供でも分かったが、だからといって、こう呼べという名前も無いので、彼は「おい」で「お前」だった。
彼は
傍からは荒んだ
そして、河港にも彼が鬱陶しく思うものがあった。それは、彼の
ドンは手配師という立場を使って、危険度など度外視で、なるべく給金が良い労役を彼に押し付け、その日当の殆どを飼育費として撥ねるような、狡賢い
ヤブルを旅立ったその日の内に、ザハという平原の宿場に着いた。ここからアルターミルまでは5日か6日、テオンまではさらに10日はかかるという。町の商会に用事があるというハーフナーさん達と一旦離れ、俺達は酒場で夕食を取ることにした。俺とコゼットさんは酒を飲まないので安い食堂でも良いのだが、カロは酒を飲みたがるのだ。
「あんまり飲んだことありませんけど、お酒ってそんな美味しいですか?」
「……っはァ!ったりまえよ!どこの街に行っても酒と肉は必ず旨ぇからな」
なんとも幸せそうに肉団子にかぶりつく。肉団子自体に味付けはされていないので、基本的には
「もう二杯目ですか?言っときますけど、お酒の代金はカロの自腹ですからね?」
「分ぁってるよ」カロは酒杯を呷ると、頬を赤くしながら「今度は俺が奢るぜ?」と俺達に酒を勧めてきた。どうやら今日は存分に飲みたい気分のようだ。
麦酒、いわゆるビール自体は、異世界に来てから何度か飲んできた。それなりに麦酒の酸味と苦味には慣れてきたが、カロが絶賛するほど美味しいとは未だ思えない。だが、今日は彼の誘いに乗ることにした。なお、異世界に未成年飲酒などという概念は存在しない。
「その、私はアニューって人の話を聞いていないんですけど……クロエさんと話していたのって、その話ですか?」運ばれてきた麦酒に口をつけながら、コゼットさんは訊ねた。そういえば、『旅人の墓』では、彼女は採った薬草の処理に忙しくて、カロの昔話を聞いていなかった。「仲間外れみたいで、ちょっと嫌なんですけど」
「あー……いや、まぁ。どこまで話したんだっけ?」ほろ酔いのカロに訊ねられる。とは言っても、俺だってそう詳しくは聞いていない。そう答えると彼は「どこから話したもんかな」と麦酒を傾けた。
────ある時を堺に、港に着く商船が以前とは見違えるほどに減り始めた。より利便性の高い新しい水路が上流にできたことで、住む街の河港や鉄工所の需要が薄れたのだ。街がだんだんと活気を失うにつれ、昔ながらの友人達も一人またひとりと街を去っていった。所詮は根無し草の日雇い労働者、稼げなくなった職場などさっさと捨てて、彼らは新しい職を探すのだ。
ところが、彼はドンの命令で、河港の街を離れられなかった。港での仕事が減ると、ドンは彼に、軍隊の輸送や土工手伝いの仕事を持ってくるようになった。とは言っても、どれも報酬が低く、稼げたとして港での荷役の7割がいいところ。その穴埋めのためかドンが撥ねる上前も多くなり、彼はその日食べる物にも困るようになった。
そんなある日、仕事を終えた彼が街の夜路道を歩いていると、路端で旅人が一人、ごろつき数人に囲まれて、おどおどしているのを見かけた。街の活気が失われるのに比例して治安も悪くなり、最近は暴力で他人から金を巻き上げようとする輩も珍しくはない。
いつもならば捨て置く光景だが、この時彼にある考えが浮かんだ。ごろつきから旅人を助けて
「おい、アンタ金は取られてねぇか?近頃ああいう手合が多い、気をつけろよ」
「あ、ああ。そうみたいだね……ありがとう、助かったよ」彼が注意すると、旅人は安堵したように胸を下ろすと、深く頭を下げた。その旅人は、アニューと名乗った────
「……それになんたって、アルターミルの名所といやぁ、
ヤブルを発ってから数日も経つと、カロも元気を取り戻しはじめた。時間が解決してくれたのかは分からないが、自分の感情に落とし所が着いたのだろうか。俺は、その日に宿を取る町の酒場に地図職人が居ると聞くと、コゼットさんと一緒にカロと誘った。
酒場に着くと、丁度、職人はアルターミルについて講談を披露しており、図書館があると聞いたコゼットさんが、「ちょっと寄ってみませんか!?」とカロの袖を引っ張る。
「んな場所、楽しいのは文字が読めるお前だけじゃねぇか。却下だ却下」
「え~……ミチルはどう思います?」
「大きな市場があるらしいし、そこで露店を開いたら、今持ってる薬草も結構売れるんじゃない?ほら、昨日ステピエさんに教えてもらったじゃん、簡単なセージャの粉薬の作り方」
「たしかに!それじゃちょっと必要なもの揃えてきます!」不満そうに口を尖らせていたコゼットさんは、「売れる」という言葉を聞くと途端に目を光らせて、講談も最後まで聞かずに酒場を出ていった。流石の行動力だ。
「……ところで、カロもこうやって芸を披露してたのか?」
「いや。俺は用心棒みたいなもんで、実際に講じたことはねぇよ」しっかりと地図職人の話に耳を傾けているのだろう、カロは小さなテーブルに広げられた世界から目を離さずに答える。地図職人の語りを、彼は最後まで楽しげに聞いていた。しかし、講談が終わり、おひねりのコインを地図の上に置くと、カロは得意げに言った。「ただ、アニューの語りは何遍も聞いてたからな、そらで言えるぜ」
「じゃあ、今ここでやってみる?地図も持ってるんだし」
「誰がやるか。本職の隣でなんて公開処刑じゃねぇか」
────さて、彼は目論見どおり夕飯をご馳走してもらったはいいものの、取材と称して、地域の伝承から街の噂話まで根掘り葉掘り聞かれることとなった。そんなに事細かく聞いてくるならばこちらもと、舌の疲れた彼は、彼が旅をしてきた街々について訊ね返したのだが、彼は地図職人を甘く見積もっていた。
アニューは待ってましたと言わんばかりに地図を取り出すと、彼が見聞きした世界について雄弁に語り始めた。虹色の木々に覆われた森丘に暮らす
まるで、その伝説を実際に経験してきたと紛ってしまうかの如く、自信と迫力に満ちた臨場感たっぷりの語り口。気がつけば、二人の周りにはアニューの話を聞こうとする聴衆が群がり、最初は話半分に聞いていた彼も、最終的には身を乗り出して話に聞き入っていた。こんなにも面白そうな世界が、すぐそこに広がっていたとは……彼は生まれて初めて、河港以外の世界に興味を抱いた。
やがてアニューの語りが終わると、テーブルは聴衆が置いていった投げ銭やら奢りの品で埋め尽くされた。「すげぇな、こんなに貰えるのか。俺も旅に出て、地図職人になりてぇな」舌一枚で自分の
「それなら、僕の案内人になってみないかい?」すると、アニューはそれを真に受けたのか唐突に彼を誘った。旅の護衛役として、彼に随伴してほしいというのだ。「旅に出て半年。今日みたいに危険な目に遭うことも、二度三度あったけど……助けに入ってくれたのは君だけだ」
彼が慌てて冗談だと訂正すると、アニューは不思議がった。「君は日雇人だろう?案内人はそう悪い仕事じゃないよ。次の街まででも良い」。彼は助けられたのが随分と嬉しかったようで、雇われてほしそうに色々と理由をつける。しかし、彼にもついて行けない理由がある。飼い主であるドンの存在だ。諦めてもらう為、彼は身の上話をアニューに話した。彼はドンにとっての稼ぎ頭、自らの手を離れて旅に出ることなど、許さないだろう。
「すると、君は日雇人と言っていたけれど、奴隷のようなものじゃないか」話す男の姿を、黙って見ていたアニューだったが、男が話を終えると、そう訊ねた。男には制度的なモノは分からないし、奴隷は商品としての人間を指す言葉であって、男は人間ではない。だが、彼が問わんとしていることは分かっていた。
そうかもな、あきらめたように男が答えると、アニューは先ほどの気弱い風貌から一転、眉間に皺を寄せて「なら話が早い」と呟やくと、投げ銭の一切を残したまま、やにわに酒場を飛び出した。あまりに素早い彼の行動に、男はしばらくあっけにとられていたが、彼がしようとしていることに気が付くと、急いで彼の後を追った。
「人狼の屈強な身体は、人間と違ってすぐにダメになることはないし、常に二人力の稼ぎを生んでくれる、銀貨何枚積まれても売りやしないよ。即金で金貨でもポンッと出してくれるんなら、別だがね」ドンが別の手配師にそう自慢しているのを、いつか聞いたことがある。あの男はそう安安と手放すことなどしないだろう。
河港近くのドンの事務所に辿り着くと、揉め事でも起きているのか、なにやら中が騒がしい。「アイツ、なんで俺の為に」ただタダ飯にありつきたかっただけなのに、これでアニューが危害でも加えられていたら、悔やんでも悔やみきれない。逸る気持ちで事務所に飛び込んだ男が見たものは、テーブルに身を乗り出して金貨を叩きつけるアニュー、そして、冷や汗垂らして目を丸くした、ドンの姿だった────
「なにはともあれ、アルターミルに着いたらお墓を建てなきゃいけませんね」
アルターミル直前の町を出発してから少しして、突然コゼットさんがそんなことを言い出した。確かにもっともな事だ。故郷に骨を持って帰っても、単純にそこに置いていく訳にはいかない。
「ああ、そうか。墓か」だが、
「ちゃんと名前も彫ってある奴を建ててやらないと」
すると、話を聞いていたハーフナーさんが横から口を挟んだ。「墓銘入りの墓は高いぞ?石工に名を彫ってもらわんといかんし、それに個別の墓を建てる訳だから、土地も買わんといかん」
「どれくらい必要になるんですかね?」
「ざっと金貨1枚くらいかね」
「きっ金貨ァ!?」あまりの金額に般若のような顔になるコゼットさん。俺も墓石ってそんなに高級なのかと目が飛び出しそうになる。石じゃん。
「いやいや。こういうのに金を惜しんではいかんぞ?『金貨一日、銅貨一夜』という言葉があってな……」流れるように始まるハーフナーさんの長話。こうなると彼は小一時間話し続ける。しかし、カロは馬耳東風で顎の毛をさすりながらなにやら考えていた。
やがて、開けた小高い丘の上まで歩くと、ついにアルターミルの街がその目に見えたところで、カロは思いついたように、故事の話をしているハーフナーさんに訊ねた。
「爺さん。シャベルってどこで買える?」
──あんな大金で、俺を買う価値なんてあったのか?
街道を歩きながら前を行くアニューに訊ねると、彼はドンから渡された飼い主の証書を読みながら「勿論。こんな紙切れに価値は無い」と答えた。
「でも君の自由には、あんな端金どころじゃない価値がある。僕は、その身体や感情や選択が、他人の損得だとか、土地だとか、病……運命だとか、そう言った下らないものに縛られているのが、嫌いなんだ。だから君の話を聞いたら無性に腹が立って、気づいたらあのドンとかいう醜男に金貨を叩きつけてた。うん……必要なお金だったよ」
「つまり衝動買いか」という男の指摘をごまかすかのように、アニューは話題を変えた。「ところで、君は名前が無いと言ってたけど、いくらなんでも不便が過ぎる」
「確かに、
「ダメだよ、そんなのじゃ。名前ってのは、意味を込めて付けるものなんだ」
「そうなのか?」
「そうなの」アニューは証書をしまうと、何か良い名前は無いものか頭を捻らせた。すると、一日の間に随分萎んでしまった革袋が目に入った。「……
「カロ……」生まれて初めての感覚に、カロはこそばゆくなって毛を震わせる。「じゃあ、それはどういう意味なんだ?」
「
「ふぅ。穴掘りなんて何時ぶりだ?」
初めてアルターミルを見た小高い丘は、市街までは遠いものの、辺りの平野を一望できる見晴らしの良い場所だった。丘を通る街道から少し外れた茂みで、カロは地面にシャベルを深く突き刺すと、汗を拭った。
「いいの?こんなところに勝手に埋めて」
「こんなところに誰も来ねぇだろ」
「いや、法的に。死体遺棄的な」
「知るかンなもん。故郷に骨を埋めて何が悪い」カロはそう言うと、友人の骨を納めた箱を堀った穴に埋め、土をかぶせた。「それにここなら、アイツが
「アニューさんに、ちゃんとしたお墓を建ててやらなくていいのか?」
「名前を刻んだって誰もアニューを知らねぇし、ここに来る奴も俺以外に居ねぇんだから、必要ないだろ?それに、どんな奴も最期は結局『旅人の墓』……それこそアイツにお似合いだ」
そう言って穴を埋めている最中、何かを思い出したカロは、パンパンに膨らんだ革袋を取り出すと、その穴に投げ入れた。それは何か訊ねると、彼は鼻で笑って答えた。「昔の買い物の代金だよ。借りっぱなしだったからな」
────
「恩を売る為にした訳じゃない」アニューはその言葉をきっぱりと断った。「それに、お金なんて旅を続けていれば、うんと手に入るさ」
気前のいい彼の言葉に、カロは囃し立てるように口笛を鳴らした。「さすが地図職人様」
「昨日みたいな盛況は
「銅貨一枚じゃ酒も買えねぇだろ。まぁ、飲まなきゃ越せなくもないが」
「まぁ待ちなよ、続きがある。『……しかし、千日を終えた時、前者は
「んんっ?」カロは頭を捻った。算術など習ったことなど無いので、勘定は不得意だ。指折り数えながら数十秒、ようやく彼は疑問を呈した。「一日一枚金貨を使ったら、千日で千枚失うんじゃねぇか?失うよな?」
「金貨を使って沢山の物を買えば、明日にはそれを元手に商売ができ、投資した以上の金が稼げるだろう?だけど、その日を生きる為だけの銅貨しか使わなければ、何も生まれない。つまり、金があるならどんどん使えってこと。うまくいけば、それ以上の金が入るから」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんさ。だから、カロを雇う為に使ったお金だって、僕は全然惜しくない」得意げに言うと、アニューはリュックから地図を取り出した。それは、昨日酒場での講談で使った地図とは違う風景が描かれていた。彼は地図の真ん中に描かれた、きらびやかな城と色取りのテント屋台で賑わった街を指さした。
「これは商人の街だった故郷の諺なんだ。アルタブラ……知っているかい?」
「いや、聞いたことない」
首を横に振り、そのまま後ろを向いた。旅立ちから小一時間。2人は既に丘陵に差し掛かっており、そこからは大地を割いて悠々と流れる運河がよく見えた。彼の生涯の大半を過ごした港街も、既にその指と指との間に収まる程に小さくなってしまった。
「故郷を離れるのは寂しいかい?」
肩越しに問われ、彼は考えるより先に「そんなんじゃねぇ」と口にした。仲の良かった奴らはもう居ないし、苦い思い出も沢山ある。それになにより、捨て子の自分にとってあの街は故郷でもなんでも無い。カロはそうやって自分を納得させようとする。
「旅立った時は、お前もそう感じたのか?」
「いつだってそうさ。どんな街でも、旅立つ時は人と別れる時だからね」眼下に故郷を眺めながら訊ねる人狼の顔を、アニューが覗き込む。視線が合うと、彼は笑った。「でも、旅を続ければ、また新しい出会いがある。美しい風景だって見られるし、知識だって増える。千の別れがあれば二千の出会いがあるのさ」
アニューは足早に先を歩き出した。
「どんなに離れても故郷はなくならない。それよりも、これから先カロの世界はどんどん広がっていく、こんなに楽しいことはないよ。僕は君にこそ、それを知ってほしいんだ。一人の友人としてね」
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