第8話 白紙

「異世界から来た?気は確かか?」



 仄暗い夜の墓場で、俺は自分が異世界から来たと、カロとクロエに打ち明けた。理由は、旅人の墓に刻まれた"JOHN SMITH"という記号、この世界で俺が唯一初めて読めた文字列アルファベット。どこの国の誰とは知らないけれど、その名前は、地球からこの世界に来た人間であることを示していた。



 言うまでもなく"JOHN SMITH"は既に亡くなっているし、この地で生涯を終えた彼が、俺が求める家へ帰る方法について情報を持っていたとは考えにくい。しかし、大切なのは、この世界に、俺と同類異世界の人間が居る可能性がゼロじゃないってことだ。



 となれば、例えば、カロはずっと旅を続けているから、俺みたいな人間の噂を知っているかもしれないし、クロエだって精霊という位だから、まぁ……知識を持っているかもしれない。そう思えば、俺は二人に事実を話し、可能性を試さずには居られなかった。



 もちろん、二人が答えを持っているなんて分からなかったし、素直に信じてもらえるなど都合のいいことを考えて居たわけでもない。むしろ、訝しげに眉をひそめるカロの態度こそ、正常な反応なのだ。「異世界からやって来ました」と言われて「なるほどです」なんて納得する方がおかしい。



「正気を疑われても仕方ないし、与太話と思うならそれでいい。けど、もし俺みたいな人を他に知ってるなら、教えてほしいんだよ」



 それでも打ち明けたのは、焦りと意地からだった。多少の寄り道、遠回りはあるが、俺は家に帰る為の旅をしている。しかし、この世界に流れ着いてから既に半月以上。コゼットさんと一緒に、野を越え、山を越え、随分と遠くまで来たものの、広げた世界を振り返れば、未だ掴めた手掛かりは"JOHN SMITH"という希薄な可能性だけ。



 いいや、だからといって、諦めてやる理由にはならない。俺以外の異世界人が、この広い世界のどこかにいるかもしれない。それだけで、ここまでの旅の成果としても、この先の旅を続ける根拠としても十分じゃないか。墓石に表れては消える記号を横目に、乾いた唇を噛む。俺は、この世界で名も無き旅人のまま死ぬつもりなど毛頭ない。親にも、友人にも、さよならを言った覚えもない。



「あー……クロエ。アンタはどう思う?」



「何が?」



「異世界、存在すると思うか?」



 カロはクロエの反応を伺う。俺以外に、異世界から来たという人を知っているか、そう訊ねた上で、異世界それ自体についての質問が出るということは、カロは俺の望む答えを持っていないということだ。彼女は指で頬を叩きながら、しばらく彼の問いかけに考えを巡らすと、その腰元に佇む御影石に目を落とした。



「……そうね。行ったことはないけれど、あるんじゃない?この墓場だって冥界と現世の狭間にあるんだし。似たようなものでしょ」



「似、え?冥界?」



「たまに迷い込んでくる旅人がいるのよ、あなた達みたいに」クロエは、そういえば言ってなかったわねと、平然とのたまう。「でも、不思議。あなた達はちゃんと旅の目的があるのよね。今までここに来た人は、旅自体が目的になってしまった旅人ばかりなのに」



「いやいやいや。そんなことはいい!」カロは冷や汗を垂らしながら、そんな超然とした彼女の肩を強く揺らし、俺もその腕に掴みかかった。「俺達はちゃんと現世に帰れるのか?実はもう死んでるとか無いよな!?」



「それは安心して。迷い込んだ人を現世に送り返すのも、管理人の役目だから」



 彼女の言葉に二人でホッと一安心。まったく人騒がせな……精霊の彼女からしたら、生死など些細な話なのかもしれないが、衆生しゅじょうにとっては大問題だ。というか、既に名も無き旅人のまま死んでたなんてオチは、いくらなんでも酷すぎる。



「あ、そうそうミチル。残念だけど、異世界から来たって人の話は全く聞いたことがないわ。多分、そういう人はこの墓場に来ないもの」



「え?あ、そう。そうか、元々そんな話だっけ」



「言っとくが俺も知らねぇからな?」



「それは知ってる」



「つーか、ジジは知ってんのか?お前の話」



 カロの問いかけに何を今更、と思ったが、そういえば二人にはコゼットさんとの出会いの部分は抜きにして話していた。なぜなら、そこに触れると「憲兵に追われ身分を詐称して国外逃亡しています」という話をしなければならないし、話の軸がブレるから。するとその時、噂をすればなんとやら、小屋の方から「やっと見つけた!」と彼女の声。



 振り返るとコゼットさんがこちらへ走っていた。近くに来るまで彼女を見ていると、どこか子供のかけっこのようが思い浮かんだ。あまり運動は得意ではないようだ。



「コゼットさん。何してたの?」



「それはこっちのセリフですよ、納屋で薬草干してる間に皆でどこか行っちゃって!」彼女は息を切らしながら、口を尖らせる。こう言ってはなんだが、彼女の怒りはなんだか迫力が足りない。ぷんすかという表現が似合う。「というかミチルは一緒に手伝ってくださいよ、もう!」



「ごめん。次からはちゃんと手伝うよ」



「絶対ですよ?」彼女は不服そうな目で訊ねる。「それで、こんな所で、みなさん何の話をしてたんですか?怪談?」



「何の話?うーん……」どこから話したものかと考えていると、横からカロが「なぁジジ。異世界って知ってるか?」と質問を返した。



「え、異世界?まさか、カロ、あなた……」息を呑むコゼットさんを、カロはニヤニヤ悪い顔で見下みおろす。恐らくは彼女をからかっているつもりだろうが、彼にまだ伝えていないだけで、彼女には既に異世界の話をしており、そして、彼女はその存在を信じている。そして……。「まさか、異世界小説ヘブル・ノブルに興味が!?文字を読めないのに……その心意気、素晴らしいです!」



「んん、小説!?」彼女は『異世界』という単語を聞くと、隙あらば大好きな小説を布教しようとする厄介オタクの一面を持ち合わせているのだ。予想外の反応にたじろぐカロに、彼女はずいずいっと詰め寄ってまくし立てる「異世界とは! 異世界小説ヘブル・ノブルの第一人者、ウィズナル先生が提唱した概念で、彼は『異世界とは、我々の住むこの世界・・・・とは異なる社会・政治・文化・法則を持ちながら、しかし我々と同じ姿と目を持つ"人間"が住む世界。それは空よりも遠く、地より近くに在る』と説明しています!ウィズナル先生の異世界概念を知るには、やはり彼の処女作であり名著の『機知きちあふるる騎士きしアブドゥルの未知みちにおける既知きち諸問題しょもんだい』をオススメします。あらすじを簡単に説明すると、主人公のアブドゥルカヤルは異世界人なのですが、彼の故郷は魔法が存在しない世界で……」



「ミチル。これはどうすればいい?」



 俺は首を横に振った。こうなったら最後、彼女は話に満足するか、ご飯の時間になるまで止まらない。『あばれ馬よりじゃじゃ馬の方が厄介』とはサイさんの談。傍から見ていたクロエが頬に指を当てて言った。「……セージャ茶でも飲ませたら落ち着くかしら?」



 結局、コゼットさんが話の腰が折ったことで、旅人の墓の話も"JOHN SMITH"の話も、中途半端なまま終わってしまった。小屋に戻ると、クロエさんは明日の早朝に俺達を山の麓まで送るから今日はもう休んだほうがよいと、話疲れたコゼットさんと共に寝室へ入った。ちなみに、俺とカロの寝床は、居間の床に敷かれた薄布である。



「なぁ、ミチル。異世界云々はよく分からんが、つまるところ、お前は故郷に帰る為に旅をしているってことだよな?」



 寝る前にダイニングで茶を一服していると、カロが隣の席に座り、そう訊ねてきた。電気照明のない世界の夜は、篝火ランプの柔らかな薄明かりがテーブルの周辺を照らすばかりで、窓の外は果てのない真っ暗闇が広がっている。



「うん、帰り道も何も、分からないけど」



「そうか」彼は視線を一瞬下に向ける。「寂しいか?」



 思わず含んでいた茶を吹き出しそうになる。まさか、彼の口から俺を心配しているような言葉が出るとは思っていなかった。



「いや……」とっさに俺は否定する。それは半分照れ隠しの嘘だった。家族と離れ、友と離れ、未踏の地に独り放り出され、一抹の寂しさをも覚えぬはずがない。しかし、カロを前にその感情を直接口にするには、気恥ずかしさが上回ってしまう。だって、迷子になって寂しい、なんて子どもみたいだ。「まぁ、コゼットさんが居るから」



すると、カロは鼻を啜るようにして笑った。「たしかに、あんな騒がしいのがいつも隣にいたら、感傷に浸る暇もないか」



「でも、今日みたいに、焦燥に駆られる時もある。早く帰らなきゃって……さっきはごめん。いきなり異世界の話なんかして、訳分からなかっただろ?」



「焦ったって故郷はなくならねぇよ。旅を続けてりゃ、出会いなんて千や二千、あるもんだ。ミチルの帰り道を知ってる奴にもきっと出会える」カロはそう言うと、得意げに胸に指を当てる。「それに、俺を頼ってくれても構わんぜ?地図は読めねぇが、案内人だからな」



「!……ありがとう」胸の底から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。カロの言葉は、帰り道を独りで探していた俺が、無意識の内に求めていたものだったのだろう。



 もちろん、コゼットさんもそれに協力してくれているし、彼女の存在が心の支えになっている。だが、彼女は年下で、俺なんかよりも酷い苦境に立たされている。そんな彼女に頼ることは、どうしてもできなかった。むしろ彼女に頼られる存在でなければと、気を張っていた。もしかしたらカロは、そんな俺の心の糸が張り詰めていることを嗅ぎ取ったのかもしれない。



 カロは俺と同じで、この暗闇の中にある帰り道への手掛かりなど持っていないし、そもそも異世界の存在自体、知ったこっちゃないだろう。だが、そういう事情を抜きにした、自信に満ちた、ある種楽観的な「頼ってくれ」という彼の言葉。それは、まさに暗闇に灯された篝火ランプだった。



 俺はごまかすように、茶の入ったコップを大げさに仰いだ。「まぁ、案内人の仕事じゃない気もするけど」



するとカロは、知った顔で口元を緩めた。「いいんだよ。『旅の道連れ、故郷くにの友』って昔から言うもんだ」



 次の朝、クロエに案内された俺達は、ヤブルという町まで山を下りた。山肌に沿うように家屋の立ち並んだ狭い集落で、山羊や羊の多いのどかな所だ。クロエが言うには、近くを交易路が通っており、木材や羊毛の取引の為に人の行き来がそれなりにあるらしく、アルタブラへの道を知る人も見つかるだろうと教えてくれた。



「それじゃ、気をつけて。貴方たちの旅路に幸多からんことを」



「おう。次来る時は土産話をたっぷり用意しとくぜ」



 クロエと別れると早速、俺達は手分けしてアルタブラへの道探しを始めた。帰り道・・・も大事だが、それよりもアルタブラやテオンへ辿り着くことが先決だ。商店や小宿、役場……情報が集まりそうな手当たり次第に場所を訊ねて回る。しかし、アルタブラを知る人はついに見つからなかった。



「ミチル、そっちはなんか分かったか?」役場を出ると、カロがパンを齧りながら声をかけてきた。昼食の代わりということで、俺は彼からパンを一つ頂くと「なんにも」と答えた。



「そっちもか。やっぱり旅商か旅人っぽい奴に声をかけねぇとダメみたいだな」彼は小さく舌打ちをする。「アイツら隙を見せるとぼったくってくるから、嫌なんだが」



「とやかく言ってる場合じゃ無いかも。今から大きな街に寄って、わざわざ案内人をもう一人雇うよりは安くない?」



「それもそうなんだが……」顎の毛を弄りながら勘定するカロは、そこであることに気がついた「そういや、ジジはどこに居るんだ?」



「え?あれ、ホントだ。さっきまで居たんだけど。面白い本とか見つけたのかな」彼女は度々興味深いものを見つけると、それに釣られてしまう事があったので、今回もそれだろう。役場を訪れる前に寄った商店まで遡ってみると、やはり、その道中で彼女を見つけた。風呂敷を広げて商売をしている露天商と、なにやら話しているようだ。



「……だからですね。私の持ってる薬草と、アナタの塩を混ぜて、それを布なんかに入れて売るんですよ。そうすれば、買った人はその布を煮出すだけで美味しいお茶が楽しめます。どうです、良い発想だと思いませんか?商品名は茶包ちゃづつみとか!」



「いや、お嬢ちゃん。そういう商品もうあるから」



 近づくと、薬草を両手に持ったコゼットさんが、露天商の爺さんに謎の取引を仕掛けていた。日焼けで皺だらけのその老商人は、変なことをのたまう彼女をないがしろにすることもなく、困り顔で微笑んでいる。




「おい、お前何やってんだ」呆れ顔で言うカロに気づくと、彼女はさも当然のように「営業ですよえいぎょー」と答えた。「せっかく薬草を仕入れても、売ってお金にしなきゃ意味ありませんから」



「だからって押し売りは駄目だって。商人さんも困ってんじゃん」



 彼女をいさめつつ、老商人に謝罪する。しかし、彼は大らかにも「いやいや構わんよ」と手を振り「若い商人あきんどはこれくらいの押しの強さも必要さね」とカラカラと笑う。なんともお優しい老商人。そんな彼に「それはつまり買ってくれるってコトですか!?」と剛速球を繰り出すコゼットさんは凄腕の営業マンかサイコパスのどちらだろう。



「ふむ、たしかにセージャは茶葉としても香辛料としても役に立つ。だが、まだ完全に乾ききっていないし、洗いも保存も雑と見える」すると、老商人はそんなコゼットさんの球を軽々と受け止め、商品である薬草に厳しい批評を返す。続いて彼はセージャの葉を噛むと、顔をしかめた。「うむ。これはもう渋みが強く出てしまっているようだし、茶葉として、売り物にはならんよ」



「そ、そうなんですか……?」肩を落とすコゼットさんに、彼は打って変わって破顔一笑。優しい声で彼女に囁く。「しかし、ここだけの話。こんなんでもセージャに含まれる薬効は変わらん。どうだ、粉末にして袋に入れて粉薬にしてしまえば売れるんじゃないかね?」



「な、なるほど!」



「そこに塩をひとつまみ入れれば、さらに薬効増進するし、宣伝にもなる。どうだ、今なら塩一袋で1万¢!」



「お、おぉ……買います!」



「おい押し売られてんぞ」カロの冷静なツッコミに、コゼットさんははっと我に返る。自分がうまく営業にのせられていることを悟った彼女は、額の汗を拭った。



「ふぅ、いつのまに……お爺さん、やりますね」



「はっは、冗談冗談。こんな軽い口車に乗せられるとは、まだまだヒヨッコだね。精進なさいよ」そう言ってコゼットさんの頭をポンポンと叩く老商人は、傍から見ると孫娘を可愛がる祖父のようだ。



「ところでお仲間のお2人さん、何か知りたそうだね?」すると、彼は視線をこちらに移し、眉と口元を引っ張るようにした笑顔で訊ねた。そのような事は一言も発していないのに、目敏くも俺達が情報を探していると察したようだ。流石は老いてまで旅商に身を置いているだけあって、需要を掴むのが上手い。



「話が早くて助かるな。アルタブラって街までの行き方を知らないか?」



「アルタブラ……はて、どうだろうか。どこかで聞いた気も」



「ほんとか!?」やっと見つけたアルタブラへの手掛かりに気が逸ったのだろう。カロは慌てて地図を広げ、老商人に押し付けた。「この地図なんだが、爺さん、読めるか!?」



「地図?いや、それは私よりも案内人の方が……」困惑しながら地図に目を落とした老商人だったが、彼はすぐに顔色を変え、なんとも物珍しそうに目を丸くした。「おや……この地図、随分と古いねぇ」



「古い……まぁ、たしかに昔の道連れが、親から貰ったモンだから、それなりに年季は入っているな」



「それだけじゃあない。単に風景を写像するだけでなく、細部に書き込まれた幾何学模様により、職人が訪れた土地の心象を絵図に落とし込む、古めかしいというか、伝統的な形式だ、懐かしいね。今流行りの地図なんかは、正確な情報を伝える為に細緻な写実主義に走って、それはそれで便利なんだが、こういった遊びは少なくなった」まるで子どもの頃に読んだ漫画を読み返したような、懐古混じりの感想を彼は述べる。しかし、こちらとしては、今は地図の形式など重要ではない。



「いや、そうじゃなくて、この地図の真ん中にアルタブラってあるだろ?」



「たしかに読めるが、ここは……」



「もしやそれは、アルターミルではあるまいか?」



 すると、背後から真っ黒なローブを身に纏った不気味なしゃがれ声の老人が話に割り込んできた。フードで顔を隠し、オーク色の木の杖を携えたその姿は、良く言えば賢者、悪く言えば不審者だ。



「誰ですか?」訊ねると、彼は老商人の案内人・・・だという。老いてなお二人で旅をしているとは、なんとも元気な老人達だ。老商人はハーフナー、案内人はステピエとそれぞれ改めて名乗った。




「ところで、何故君らはアルタブラを探しているのかね?」ステピエさんにそう訊ねられた俺は、順を追って説明した。やっと道を知っていそうな人に出会えたのだ。この機を逃す訳にはいかない。



「そうか……」話を聞いた彼は、少し調子を落とした声で答えた。「アルタブラは最早存在しない。現在、そこに在るのは交易都市のアルターミルだ」



「存在しないって、この地図が間違ってるってことか?」カロは眉を顰め、地図を指で叩いた。



「ヘドニアに滅ぼされたのだ」ステピエさんは、ためらいがちに答えた。「とは言っても数百年も前の歴史の話だ。アルターミルならまだしも、遠く離れたこんな山間やまあいでは、その名は伝わらん。さて、地図に『アルタブラ』と書かれている所を見るに、これは相当昔に作られたものか。もしくは、職人がアルタブラの民か」



 彼の説明にキョトンとするコゼットさんと対照的に、俺とカロは言葉を失った。それは、百年物という地図の古さに、ではない。カロの友人・アニューの故郷が、最早存在しないという事実にだ。ステピエさんの言葉が正しければ、アルタブラは百年前には既に失くなっていた。では、何故アニューはそれを故郷・・と呼んだのだろう?



「あぁ!そうだ、思い出した!」するとその時、ハーフナーさんが突然、嬉しそうに手を叩いた。「アルタブラ・・・・・、叙事詩の一遍だよ。たしか、戦争で離散し、故郷を失くした民の悲劇を歌ったものだったかな。一昔前は、吟遊詩人や地図職人がっていたよ。懐かしい」



「へぇ、そんなお話があるんですか。読んでみたいです」



「ほう、お嬢ちゃん、文章が読めるのかい?それなら……」



 ハーフナーさんの話を聞いて、とある予想が浮かんだ。例えば、アニューさんはアルタブラを追われた離散民の子孫で、その悲劇を幼い頃から聞かされて育ったので、失った先祖の土地を故郷と呼ぶようになった、とか。



 現代でもありそうな話だけど……考えて分かるものでもないか。横目にカロを見ると、彼は地図上に大きく記された文字列を、呆然と見つめていた。ずっと目指してきたアルタブラが、既に地上から消えていたというのだ。ショックも大きいのだろう。



「アルターミルなら私達も旅の経由地としているが、どうだ、君たちも一緒に来るか?勿論、いくらか案内料は頂くがね」



 ハーフナーさんに訊ねられ、俺はまずコゼットさんと目を合わせた。彼女は仕方なさそうに頷いた。彼女も、ここへきて金を渋る気はないようだ。ついで、カロの顔色を窺う。元々、アルタブラを目的地としていたのは彼だ。じっと地図を見ていた彼だったが、やがて「頼む、連れてってくれ」と声を漏らした。



「もう失くても、そこが故郷なんだ」

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