第7話 無銘の墓

「こっちがメンタで、これがセージャです」旅の休憩中、薬草の種類をコゼットさんが教えてくれた。「メンタは発熱や腹痛に効くです。セージャはお肉の臭み消しとか……干してお茶にしてもリラックスできますね」



「はぇ~」俺は間抜けた感嘆をもらす。流石、穴の空くほど図鑑を読み込んだというだけはある。どうやら薬草の範疇はんちゅうには、スパイスやハーブ的な植物も含まれるらしい。貧相な自分の知識では、一言に薬草・・といっても、RPGロールプレイングゲームの道具屋で売られている回復アイテムくらいしか思い浮かばない。さらに詳しく訊くと、コゼットさん曰く「畑以外で採れて食べられる草は基本的に薬草」だそうだ。分類方法が雑すぎる。



「んで、それって売れるの?」



「どうでしょうね、どこでも採れる薬草ですし……でも、ヘドニアでは両方普段使いされてましたから、他の街でも需要はあるんじゃないですか?おそらく。たぶん、きっと」彼女は首をかしげる。表では薬草商と称している俺達にとって、これは爺さん婆さんの山菜採りではなく、立派な商品の仕入れ。商品が売れる売れないという判断は重要なのだが、所詮は素人、正確な需要予測などできるはずもない。少し間を置いて、コゼットさんが口を開いた。



「でも薬草は売れなくても困ることはありませんし、摘めるだけ摘んでいきましょう」



「まぁ、それもそうか」



 そう示し合って、俺達は周りに咲く薬草を摘み始める。草むしりよろしく根こそぎにしてはいけない。茎の深いところを、爪を使って切っていく。根に付いている土を洗い落とすのは面倒だし、根が残っていれば薬草はまた新芽を伸ばすのだそうだ。



 ずだ袋がふっくらふくれて、薬草摘みがむしろ楽しくなってきた頃、俺は目の前に血色の良い赤い花が咲いているのに気がついた。



「コゼットさん。これは何て名前?」なんとも特別感のある花だったので、思わず俺は彼女に訊ねる。まるで糸のような花弁が美しい、きっと綺麗な名前が付いているに違いない。



「さぁ。ただの雑草ですね。食べられないので」



「雑すぎんだろ、おい」



 コゼットさんは興味なさげに花を一瞥いちべつして、再び作業に戻る。これだけ綺麗な花に名前が無いとは思えないが、装飾品・服飾に無頓着な彼女のことだ、恐らく野草図鑑も【食べられる草】のページばかり読みこんでいたのだろう。俺は少しムキになり、その花を摘むと懐に入れた。



 旅を続けていれば、この花の名前を知る人にも出会うだろう。その人に聞けばいいさ。俺はカロに目を向ける。彼は少し離れた木陰に座り、広げた地図を読み込んでいる……いや、彼は絶対知らないな、聞くだけ無駄だ。



「こっちから来たからぁ~……アルタブラは、こっちか?いや、あっち?」彼は地図を広げてあーだこーだ一人で唸っている。「あ、それともそっちか?どっちだ?」



 ところで、俺達は道に迷っていた。



 いや、俺達は少なくない金を払ってカロに道案内を依頼しているのだから、それは正確ではない。正しくは、カロが勝手に迷っていると言ったほうが正しい。



 国境の街を発って少しの間は順調だった。ピシッと地図を広げて自信満々に前を往く彼の背中は大きく見え、外から見れば粗暴に感じた彼も、道中で会話を深めてみれば豪快で気のいいあんちゃんで、こっちの体力に気を遣う程度の優しさも持ち合わせていた。よく見れば顔もハスキー犬に似てかっこ良い。そんな訳で、宿場町に着く頃には俺達は少なくない信頼を彼に寄せ始めていた。



 だが、山道に入ってから、なにやらカロの様子がおかしい。木々に覆われた入り組んだ道で、頻繁に休憩を取るようになったのだ。山道は平地の街道を歩くよりよっぽど疲労が溜まるので、多目に休憩をしてくれるのはありがたい。しかし、いくらなんでも十数分と歩かない内に2回も休憩を取るのはおかしい。もはや、休憩のし過ぎで、ずだ袋は薬草で腹いっぱいになってしまった。そして、渓流の岐路で5分ぶり本日11回目の休憩をカロが宣言した時、ついにコゼットさんが痺れを切らした。



「カロ、いつまで迷ってるつもりですか!?」



「まよ……人聞きの悪いこと言うなよ。道を調べるだけさ」



「毎回そう言って休憩を取ってますけど?全然進んでる気しないんですけど!?」



「あー……いや、旅ってのは、そんな急ぐものかね?たしかに徒歩旅は疲れるが、山や川の風景を楽しみ、土地々々とちどちの人々との交流し知見を深める……そういう旅もまた一興じゃあないか?」



「一日1万¢も払ってんですよこっちは!」



 カロの稚拙な論点のすり替えに、コゼットさんは金銭の重みで殴り返す。なんなら宿場町を発ってからまだ誰ひとりとも会っておらず、歩けど歩けど山の景色は変わらない。本当にテオンまで案内してくれるのか。1万¢の働きをしているのか。金返せ。景気づけに頬をモフらせろ。案内人としての自覚を持て。金返せ。ここぞとばかりに責め立てる俺達に、遂にカロがキレた。



「しかたねぇだろ!ここら辺は来たこと無いんだからよ!」



「だから地図で調べてるんじゃないんですか?」



「その地図が読めねぇんだよッ!」



「はぁ!??」



 衝撃の発言。道も知らなければ、地図も読めない……つまりテオンまでの案内人として雇ったはずのカロに、その能力が無いということだ。問い詰めると、地図の見方は多少理解できるらしいが、殆ど文字を読めないので、今いる場所が地図のどこ在るか分からなくなってしまったらしい。彼は「自分の名前くらいは書けるぞ」とクソみたいな言い訳をしてたが……それで良いのか?



 ところで、地図に読解能力が必要か疑念に思い、彼の地図を覗き見たのだが、それは俺の知っている地図とは全く異なり、鳥瞰形式の壮大な風景画で、地図というより、絵巻物に近い。空の部分にこれでもかという程の注釈が書かれており、なるほど、これは識字力が必要だと悟った。



「じゃあ今までどうやって旅をしてきたんですか?」



「直感と帰巣本能だな」



 彼女のもっともな質問に対するカロの答えは野良犬の理論セオリーだった。使わないくせに、何で地図持ってんだ。



「そんなんで、よくもまぁ案内人を引き受けてくれましたね」



「目の前に大金を積まれりゃな。ま、案内人だってピンキリってことだ。また一つ勉強になったな」まるで自分を雇ったお前らが悪いと言わんばかりの口ぶり。確かに俺達の知識不足はあるが、そこに付け込んだのはカロだろ。そう言いかけて止める。こういう話は結局のところ水掛け論に陥るのがオチだ。



 それに、ここでカロと喧嘩別れする訳にもいかない。案内人としては役立たずと判明した彼にも、まだ護衛としての役割が残っているし、そもそも彼は商店や酒場での渉外能力が高く、旅路でも、そのよく効く鼻で野生動物や危険な道を避けるなど、危機察知能力もある。総合して、旅人としての見識や経験値は彼の方が格段に上なのだ。こんな山の中で彼と袂を分かってしまったら、まさに路頭に迷うことになるだろう。コゼットさんもそれは分かっているようで、「仕方ありませんね」とため息を吐いた。



「じゃあ、その地図を貸してください。私が読みます」



「あ?お前、文字が読めんのか?」



「読めますよ。えぇっと、テオンは……この地図の端ですか。アルタブラが真ん中にありますね」



「うおおっマジか!お前ぇすげぇな!」



 彼は驚きに毛を逆立てる。文字が読めるというだけで、そんな驚かなくてもと思ったが、我が身を振り返ってみると、帰国子女のクラスメイトが外国人の先生と流暢な英語で話しているのを見た時、同じように驚嘆していた気がする。多分、そんな感じだろう。



「すごいでしょコゼットさんは」



「あ?お前も文字読めねぇくせに、何を得意がってんだ」



「名前くらい書けらぁ!」



 低レベルな会話をしていると、地図を読み込んでいたコゼットさんが意気高らかに声を上げた。



「完っ全に理解しました!アルタブラはあっちです!」



「早っ!もう分かったのか?」



「天才じゃんコゼットさん!」



「へへっ」彼女は照れくさそうに髪をかくと、身体を翻して空を指さした。「それじゃあ二人とも、私に着いてきてください!ついでにカロは地図が読めるようになるまで賃金は半分です!」



「何でだよ!」



「案内していないからじゃない?」




 コゼットさんを先頭に、俺達は旅を再開する。彼女は時折地図を広げながら、その足には迷いもなく、険しい山道をぐんぐん進んでいく。日も暮れ始め、徐々に山が夜の黒に覆われてくる中で、そんな彼女の背中がとても頼もしい。



「よし!後はこの道を行って、角を曲がれば麓の町のはずです!」



「おおっ!」



 一日中歩き続けてヘトヘトの心が一気に奮い立つ。一時いっときは野宿も覚悟していたが、その心配も無くなった。温かな食事と安心する布団、旅においてこれらに勝るものはない。俺達全員、ラストスパートと言わんばかりに歩調が早くなる。そしてついに角を曲がった先、俺達を待っていたのは山間の集落──ではなく、綺麗に細工された石碑が整然と並んだ──墓場だった。



「残念、行き止まりですね」



「いや、なんで町を目指して墓地に辿り着くんだよ」



「まぁ、人間みんな最期に行き着く場所ではありますし」



「上手くねぇんだよ。お前『完全に理解した』とか言ってたよな」



「初心者が陥りがちな錯覚ですよね」



「てめぇ、なんでそんな落ち着いてんだよ」言葉遣いが荒立つカロだったが、疲労と肩透かしを食らって怒る気力もないようだ。声に元気がない。「ミチル。お前の連れどうなってんだ」



「だってコゼットさんだし……」



 辺りはもう殆ど闇に飲まれ、もう歩く気力もない。結局、野宿するしかなくなってしまった。しかも、こんな人里離れた墓場で。まぁ、人の手が入っている場所だから、森の中よりは何倍もマシだ。



「アラ、こんな所に人間なんて珍しいわね」



 墓場の隅で野営の支度をしている俺達の背後から、不意に暗闇の向こうから女の声。驚いたコゼットさんが小さな悲鳴をあげる。墓場、暗闇、人の声。この3つが合わさって思い浮かぶものは、異世界でも変わらないらしい。



「誰だ!?姿を見せろ!」



 とっさにコゼットさんを庇う俺を見、カロがナイフを声のした方に差し向けて威嚇する。いや、背中の大剣を使えよ、霊的なモノに特攻ある奴じゃんそれ絶対。すると、警戒心剥き出しの俺達の前に、ランプを下げた麗しい・・・女性が暗闇の向こうから姿を現した。



「待って。そんなに怖がらなくても大丈夫よ。ここには人も魔物も居ないから」



「……アンタは、こんなところで何やってんだ?」女性の姿を確認したカロは、すぐにナイフを下ろした。敵では無いと判断したようだ。



「私はこの墓の管理人、今は夕方の見回りをしているだけ」彼女はクロエと名乗った。霊園の反対側にある管理小屋に一人で暮らしているそうだ。その髪は暗闇で光っていると錯覚するくらいに澄んだ金色で、ギリシャの彫刻のように整った顔立ち。女神とは彼女を指す形容詞だと思われる。そんな美人が何故こんな山奥で墓の管理人などに甘んじているのだろう、端的に言って世界の損失だ。「あらアナタ、その背中の……残念だけど、ここには埋められないわよ」



「こりゃ墓じゃねぇよ」



 事の経緯を話すと、「それならば泊まっていって下さい」と彼女は俺達を小屋に案内してくれた。「大したもてなしは出来ないけれど」と彼女は謙遜するが、こちらとしては屋根のある場所で眠れるだけでありがたく、断る理由など無かった。荷物を下ろした後、心ばかりの礼にと昼に摘んだ薬草セージャを彼女に渡すと、彼女はいたく喜んで、それでお茶を淹れてくれることになった。



 茎から千切った葉を洗い、ポットに入れ、煮えた湯を注ぎ、しばし蒸らす。茶の淹れ方は、どこへ行っても変わらない。そこへクロエさんが塩をひとつまみ入れる。ほんのりと塩気を含んだセージャの爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。すると、不思議そうな顔でコゼットさんが訊ねた。



「お茶に塩……珍しい組み合わせですね。ちょっと贅沢に感じますけど、頂いていいんですか?」



「ええ。塩は薬草の効能を増進させるし、それに、沢山歩いて疲れた体にも効くの」



「そうなんですか?良いことを聞きました」



 二人の会話をよそに、淹れたての茶を一口啜る。茶の温みとミネラルが体中にじんわり沁み渡り、凝り固まった筋肉や緊張した心がほぐされていく。薬草の名は伊達だてでは無いようだ、まさに回復アイテムである。



 お茶で一息つくと、コゼットさんは薬草の乾燥作業を、カロは荷物の整理をと、各々自由に過ごし始めた。俺はというと、クロエさんに地図を見せ、目的地までの道筋を訊ねた。なにせ3人とも道を知らないという旅を舐めきったカスパーティ。質問できる時にしておかないと、永遠に彷徨さまよい続けることになる。



「クロエさん、テオンやアルタブラという街は知ってますか?」



 しかし、地図を見た彼女は申し訳無さそうに首を横に振った。「ごめんなさいね。近くの村くらいしか、分からないわ」



「そうですか……いきなり変なことを訊いてすみません、ありがとうございます」残念だが、移動が大変で、かつ地図も一般に流通していないようなこの世界では、遠いの都市までの道を知っているような人は限られているのだろう。それこそ、本職の案内人や旅商に訊ねるしか無いようだ。



「おいミチル。勝手に人の地図を持ってってんじゃねぇよ」



「いいじゃん。どうせカロが持ってても読めないんだし。というか、読めないくせに何で地図を持ってんのよ?」



「お前らと出会う前にな、地図職人と一緒に旅をしていたんだ」



「地図職人?測量でもすんの?」



「そんな高尚なモンじゃねぇな。街から街を旅して、土地土地の民話や事件、歴史なんかを語る……あー、吟遊詩人みたいなもんだ。歌で魅せるか地図で見せるかって感じだな」



 カロは国境の街で俺達と出会う前の話を語り始めた。土工どこうに傭兵、沖仲仕おきなかせ、奴隷よりも安い賃金で使い捨てられながら、その日の食い扶持を稼ぐ為に荒んだ生活していたこと。ある時、酒場で喧嘩をふっかけられていた気弱そうな男を夕飯目当てに助け、その男が新米の地図職人だったこと。男に気に入られたカロは、地図作りの旅の案内人として雇われ、同行していたこと……そして、その地図職人と旅の途中で死に別れたこと。



「……アニューは気の弱い奴だったが、体はもっと弱くてな。若いのに白髪で、しょっちゅう体調を崩すような。本来なら、そんな奴は故郷で畑でも耕しながら静かに暮らしとくべきなんだが……街から街を流離さすらい、旅の轍を地図にしるし、土地の人間に世界の美しさや楽しさを語る。アニューはそんな地図職人という仕事が好きなようでな。死ぬ直前まで、アイツは新しい地図を書き続けていた」



 昔話を語る彼は、その道程を懐かしむように遠い目をしていた。その様子に、なんだか自分もしんみりとした気持ちになるが、彼の話を頭の中で反芻はんすうする内に、あることに気がつく。



「ちょっと待って。一緒に旅してた地図職人は、地図作りの途中で亡くなったんだよね?じゃあ、この地図は作りかけ・・・・ってこと?」



「そうだが?」



「そうだが?じゃねぇよ。地図は読めないし、その地図も未完成って、コゼットさんが知ったら、ショックで泡吹いてぶっ倒れるぞ」



「どうせ読めねぇんだから同じことだろ?」



「そうだけど、そういう問題じゃねぇって」



「まぁまぁまぁまぁ、ミチル君。お茶でも飲んで落ち着いて下さい」すると、語気を荒くする俺の後ろから、クロエさんが口を挟むと、半ば無理やり俺にお茶を飲ませた。



「ん、ぐ…………ふぅ」昂ぶっていた感情がすぅっと霧散し、気が抜けて椅子の背にもたれかかる……リラックス効果にしては薬効強すぎないか?



アナタ・・・も、一緒に旅している仲間を騙しちゃいけないわ?」



「人聞きの悪いこと言うなよ嬢ちゃん、俺は嘘を吐ちゃいないぜ。話さないだけだ」「より悪いわアホ」横からつっこむが、カロは涼しい顔で聞き流す。



「なら、ちゃんと本当の事を話してあげないと」彼女は、壁に立てかけられた、カロの十字の大剣を指さした。「地図職人とは別れたと言っていたけれど……、そこに居るじゃない」



 彼女がそう口にした瞬間、それまでの飄々としたカロの顔から、一気に余裕が消えた。「は、はは。何を言ってんだアンタ。そりゃあ、ただの剣だ」



曲用きょくよう魔法──物体の外見を変える魔法で死体・・を剣に見せかけるなんて……アナタこそ、一体何を考えているのかしら?」



「死、死体!?」



「落ち着けミチル。死体じゃねぇ、だ。火葬したからな」



「そういう問題じゃなくない?なんで骨なんか……」



「その地図、アニューが同じ地図職人だった親から貰った奴だそうだ。アルタブラが真ん中にあるだろ?」そう言って、指で地図を押すカロ。「地図職人が親から子に渡す地図は、故郷を真ん中に記すんだそうだ。どこへ行っても、子が故郷に帰って来られるようにと……まぁ俺には親も居ねぇし、そんな話は随分と忘れてたんだが。アイツを最期を看取った時、ふと思い出してな。そんで、アニューを故郷に連れて帰ることにした。親は、きっとまだアイツの帰りを待ってるだろ」



 その言葉にハッとさせられたのは、俺だった。大学の合格発表の帰りに異世界に来てから早くも十数日。俺は「いってきます」と親に言ったまま。友達にも、「また明日」と言ったきり。そう思うと、胸に焦燥感がこみ上げてくる。



「だからって剣に変えることは、ないじゃない?」



「骨を持ち歩く訳にはいかん。ただでさえ獣人の一人旅は面倒事・・・が多いからな。関守や番兵に変な目で見られると困る」カロは肩を竦めると、からからと笑った。「ま、道具屋に魔法をかけてもらうのに大金積んだせいで、路銀にはずっと困っていたがな!最後の最後にコイツらに会えたのは幸運だった!」



「そりゃどうも」カロが旅をしているのは、亡くなった友人の亡骸を、その親に伝える為。そんな、なんとも友達思いな話を聞くと、金金言っていた自分たちが、なんとも浅はかに思える。思えるが、やっぱり嘘を吐くカロも悪い。



「ところでクロエ、よく剣にかけた魔法を見破ったな。アンタまさか魔法使いか?」



「うぅん、精霊せいれい



「へぇ~、精霊かぁ……精霊ッ?」



「そう。私はこの墓場の精霊。そして、ここは『旅人の墓』」そう言うと彼女は立ち上がり、俺達を小屋の外へといざなった。「ついて来て。地図職人さんの話、興味深かったわ。お礼に面白いものを見せてあげる」



「旅人の墓……?」



 クロエさんは妖しく微笑むと、暗闇の中へと消える。彼女の後を追うと、小屋から一番近い墓の横で、俺達を待っていた。近づくと、彼女は御影石を撫ぜながら、ハープのような声で語った。



「人間の名前は、一人ひとりに違った意味があるわ。それは字面の意味ではなくて、命を費やして得た信念、経験、道程のこと。とても面白いし、とても尊いわ。そんな大切なものだから、死んだ後もその名前が忘れられないように、名前を刻むんでしょう?私、人間のそれ・・って面白い風習だと思うの。だから、私も『クロエ』なんて勝手に名乗ってるの。ただの精霊なのにね」



 その腰元の石碑には、記号が羅列されている。いや、点滅していると言った方が正しい。墓に表された記号・・は次々と移り変わっているのだ。それはまるでデジタル時計のように、刻々と。その間隔は、一秒足らずの時もあれば十秒近い時もある。



 俺には、その記号が何を意味するのか分からない。だが、この世界の文字だろうと類推することはできた。そして、墓に記されているということは、恐らくこの記号は人間の名前・・・・・なのだろう。



「『旅人の墓』。ここは、墓に刻まれた名前すら忘れ去られた人々の為の……名前という物自体の墓。人間は色んなところに墓場を作るけど、最期にはここに名前を刻まれて、そして時間のように、波のように消えていく」



「それが、なんで旅人・・なんだ?」



「だって風に流れて土地を離れる旅人の名前なんて、誰も覚えないでしょう?人々の記憶に残るのは、彼らが標した、違う世界の楽しい物語だけ」



 ──人は二度死ぬ。一度目は身体が朽ちた時。二度目は忘れ去られた時。次々と表れては消える記号を漠然と見ながら、そんなどこかで聞いたような言葉が頭をよぎる。そこには何の感慨もなかった。だが、次の瞬間、俺の心が一気に揺れ動いた──



           《JOHN SMITH》




──俺の知っている記号が、文字が、名前が、墓に表れた。

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