第2話 異世界と都

「流れ着いた水路の川下かわしもに、大きな運河があります。港の船で向こう岸まで渡りましょう」



「それは良いんだけど……こんな狭い路地を通る必要はあるの?」



「はぁ……ミチル、アナタは裸です。そんな格好で大通りに出たらどうなるか分かりますよね?牢獄で豚の餌が食べたいなら、それでも良いですけど」



「あ、はい」



 果たしてどこまで流されてしまったのか。俺は女の子と一緒に、知らない街を裸一貫で歩いていた。万が一誰かに見られたら、通報は避けられないハードモード。あー家に帰りたい。



 時は少し遡る。溺れた俺が流れ着いたのは、日本とは似ても似つかぬ街の、小さな水路のほとりだった。周りを見ると、街路はアスファルトではなく石造り。道が石なら家屋も石だ。電線や車道の青看板なんてものもない。



 そんなコテコテのファンタジーみたいな街で、俺が最初に出会ったのは、身長が一回り小さな女の子。出会ったというより気づいたら俺の側にいたんだけど、細かい事はいいだろう。



 彼女は髪と瞳は黒いけれど、目鼻立ちがはっきりした顔で、これまた日本人でないことはすぐに分かった。恐らくこの子が溺れている俺を助けてくれたのかな、ありがとうございます。



 「ここは何処か」



 まっさきに俺は女の子にそう訊ねた。すると『ヘドニアの都』だと返ってきた。何処だよ。俺の知らない太平洋の国『ヘドニア共和国』か?もしくはディズニーランドの新エリアか?もし後者だったら、俺だけ一足先に卒業旅行に来ちまったことになる。悪いな友よ。



 だが彼女の話を聞いていくうちに、どうやらここは現世とは違う世界だと察しがついた。早い話が、俺は『異世界』に流れ着いてしまったのだ……多分。死後の世界とかだったら嫌だな。



 しかし困った。異世界転生する物語は結構流行っているらしいが、あいにく俺はそういった小説やアニメを見たことがない。知識不足だ。こんな事になるなら、友達のコータ辺りに小説を借りておけばよかった。こういう時はどうするのが正解なんだろうか、俺はよく分からないまま、理路整然に今の状況を女の子に伝えることにした。



「……そんで俺は自転車に乗ったまま川で溺れて、気がついたらココに居たの。多分、異世界の壁を超えちゃったと思うんだけど」



 ダメだ、支離滅裂だ。でも、これしか言いようがないんだ。頼む、伝われ……伝わってくれ……っ。



「あー、異世界ですか」



 伝わった。



「それならなんとか説明がつきますね」



 説明がついた。



「納得です」



 納得してくれた……なんで?



「馬鹿な話だとは思わないの?」



「大丈夫です。私も『異世界小説』は大好きです。『機知きちあふるる騎士きしアブドゥルの未知みちにおける既知きち諸問題しょもんだい』など、名著です」



 なるほど、この世界でも異世界転生小説が流行していて、おおまかな流れは把握してくれたようだ。それなら大丈夫か……いや、大丈夫じゃないな。フィクションと現実は区別しようぜ。



 そう口から出かかった言葉を飲み込んだ。俺の支離滅裂な説明を頭ごなしに否定せず、むしろ理解を示してくれたのだ。こんな違う世界から来たとのたまう、全裸の変態野郎の妄言にもかかわらずだ。天使かな?



「分かってくれて嬉しいよ。ところで、元の世界に帰りたいんだけど……」



 さて、コータは『俺もチート能力手に入れて異世界で可愛い彼女と悠々自適に暮らしてぇな』などと言っていたが、俺は異世界に骨を埋めるなんてごめんだ。だって四月から大学生だもの。薔薇色のキャンパスライフを送りたいんだもの。こんなところで終わってたまるか。しかし、帰る方法など知らない。どうしよう。



「帰り方が分からないなら、私と一緒に来ます?」



「え、いいの?」



 は?ちょっとこの子、優しすぎやしない?やっぱり天使なの?異世界ってこうなの?



「はい。とりあえず都を出ましょう。その格好だと色々危ないですし」



「ん?あぁ……ん?」



 何故街から出る必要があるのかは分からなかったけれど、他に宛はないので、結局俺は女の子に付いていくことにした。家が運河の向こう岸なのかな?そういう訳で場面は冒頭に戻る。



 俺達は運河の港を目指して、街の路地から路地を人に見られないよう移動していく。それも変な話だ。俺の格好が問題なのなら、それこそ服を持ってきてくれたら解決するだろうに。やはり彼女は俺に何か隠しているのだろうか。



「しーっ!静かにして下さい!」問いかけようとした俺の口を彼女の手が塞いだ。痩せてかさかさした手だ。彼女の視線の先を見ると、剣を携えた男が二人道の角で何やら話している。彼女は眉間に皺を寄せて小声で言った。「憲兵です……道を変えましょう」



 その時、何となく察した。 この子がコソコソと身を隠している本当の理由は彼女自身にあるに違いない。思えば俺は彼女に名前から何から話したが、一方で彼女のことは何も教えてもらっていない。



 もし何か事件に巻き込まれているのだとしたら、俺はさっさと彼女から離れた方が良いのかもしれない。しかし、そういう気にはなれなかった。俺の口を塞いでいる彼女の痩せ細った手は震えていて、彼女の不安や恐怖が直に伝わってくるからだ。



 彼女が何を抱えているのかは知らないし、「教えてくれ」だなんて野暮なことも言えない。だが彼女はそんな状況でも、見ず知らずの俺の手助けになると言ったのだ。そんな彼女の言葉は裏切れない。



 人の目や憲兵を避けながら、俺たちはやっとの思いで運河に辿り着いた。ここまで誰一人も会わなかったのは奇跡に近い。それにしても、大きな運河とは聞いていたが、その川幅は想像の倍以上だ。恐らく対岸まで4~5キロはあるんじゃないか。河港かこう埠頭ふとうにも、沢山の桟橋さんばしや、荷卸し用のクレーン等が連なっている。まさに大運河・・・だ。



「……どういうこと?」



 しかし、ここで俺達は大きな不運に見舞われた。川を渡るための船を埠頭中を探したのに、ただの一隻も船が見当たらないのだ。というか、人っこ一人居ない。



「目論見が外れて残念だったな、『異端者』コゼット」



 埠頭の端で不意にかけられた声に振り返ると、憲兵がひとり、腰の剣に手を置き俺たちを睨みつけている。一目見て嫌いになるタイプのイキった感じの男だ。



 『異端者』……歴史の授業で聞いたことのある語句だ。例えば、中世のヨーロッパではキリスト教会によって異端審問が開かれ、異端や魔女と判決を受けた人々が処刑されたという歴史があるそうだ。当然ここは異世界だから、宗教も文化も現世と異なる。キリスト教会もその理念も存在しない。だが、共同体から『異物』を排除したいという感情は異世界でも変わらないだろう。そう考えれば、今の彼女が置かれている状況だって想像が付く……胸糞むなくその悪い話だ。



「おい、そこのお前。お前は何だ?なんで裸なんだ、馬鹿か?」



「待って下さい。ミチルは関係ありま……」



 言いかけた彼女の肩を掴むと、俺は彼女をぐいっと俺の後ろにやった。



「仲間だ。文句あるか」



 時代背景もこの国の常識も、コゼットさんの事も何も知らない。俺はこの世界を何も知らない。逆もしかり、俺は異世界にとっての『異物』。だから、この世界で俺が唯一知る人の、この世界で俺を唯一知る『異端者』のがわにつく。単純な構図でいいじゃないか。



「むしろありがたいな。お前も一緒に殺して、報告は『死体は大運河まで流れてました』だ。うん、簡単だ。仕事が減る」



 憲兵は口元に笑みを浮かべ剣を抜いた。しかしこの憲兵、どこか動きがぎこちない。よく見ると、その鎧や剣の大きさは彼の体に合っておらず、顔も険しい表情で分かりづらいが、なんだか幼い感じがする。もしかしてコイツ、俺と年齢がそう違わないのか?



「アンタは俺達を袋のネズミだと思っているだろうが、別に後ろ断崖絶壁でもない岸辺だぞ?船は無いし、アンタの鎧も重そうだ。こりゃ川に飛び込めば、逃げるのは楽勝だな」



 半分は本当で半分は嘘だ。対岸まで軽く二キロ以上、一人なら余裕だろうが、女の子と一緒に渡るとなると難しい。泳ぐ速度も遅くなるし、その間に小舟の一つでも持ってこられたら終わりだ。



「馬鹿が何も知らねぇようだな。今日は人喰ひとぐらいの龍が姿を現す凶日、だから港に船が居ねぇんだよ。川面に指一本でも触れてみな、水中に引きり込まれて……ガブリだ」



迷信フィクションと現実は区別しようぜ、クソアホ憲兵がよ」



「なら飛び込んでみな、変態クソバカ野郎」



 どうやら予想通り、クソアホ憲兵は俺と精神年齢が同レベルのようだ。ぶん殴りてぇ。いや、しかしあのアホは武器を持っているから、戦えば俺が死ぬ。かといって飛び込むのも挑発に乗ったようでしゃくだ。龍が出る云々はどうせハッタリだろうが。



 そう思いつつ、ちょっと心配になった俺は、ちらりと背後の運河を確認する。すると丁度、穏やかな川面に大きな水しぶきが上がった……居るの!?ホントに龍が出んの!?全身の血が引いていく。その時、彼女が俺にだけ聞こえるくらいの小声で言った。



「ミチル、私を置いて逃げて下さい。アナタまで捕まる必要は無いです」



「あぁ?」



 彼女の言葉で血液が一気に熱くなった。『私を置いて』?なぜ置いていく必要がある?自己犠牲の精神か?まだ何も手を尽くしていないのに?……生憎、俺は簡単に諦めるのも自己犠牲も嫌いだ。それに、女の子を見殺しにして生き残るなんてこともしたくねぇよ!



「……龍なんか怖くねぇ!!」



 咄嗟の間に、彼女の服を掴んで俺は地面を蹴ると、大きな水音を出して大運河に飛び込んだ。



「ミチル、なんで!?」



「『一緒に』って誘ったのはそっちだろ!?安心しろ、水泳は俺の得意科目だ!」



 しかし、その時、俺は見た……いや、目が合った。俺達を見つめる琥珀色の大きな瞳と。





──川に飛び込む二人の背中を見、憲兵は舌打ちをする。「クソが!あのアホ、飛び込みやがった!こうなりゃ手柄は減るが応援を……」



 その時、憲兵の眼前の川面がモコモコと盛り上がってきた。二人が浮上したのかと思ったが、結果としてそれは間違いだった。



 直後、彼の視界は大きな影に塞がれ、埠頭に咆哮が轟いた。



 グオオオオオッ!!



 甲冑を纏っているかの如き銀色の鱗。天を貫くほど鋭い角。宝石のようにギロギロと輝く目。口元の長い髯がひらひらと舞う様はレースドレスのよう。翼では無いが謎の力で空を飛んでいる。そして先の咆哮に呼ばれたのか、辺りには強風が吹き荒れ、運河は大きく波打ち始める。



 川から姿を現したモノ。それは紛れもない『龍』だった。



「あ、あぁ……来るな、来るな」



 腰を抜かした憲兵は剣など放り投げ、風に飛ばされないように精一杯だ。しかし、龍は彼には目もくれず、運河の上空を二、三ほど旋回すると、すぐに何処かへ飛び去ってしまった。

 


 空には既に雲ひとつ無く、河港はまるで嵐に遭ったかのようにめちゃくちゃになってしまった。たった数十秒で数多の桟橋が木片と化し、埠頭設備の大半が破壊されたのだ。



「は……っはは、本当に出やがった」



 憲兵は恐怖と安心からか、力なく笑うしか無かった。助かっただけでも奇跡だ。そこへ、彼の頭に何か軽いものが当たった。それは千切れた麻布の襤褸ぼろで、少し血が滲んでいた。丁度、コゼットの着ていた服も同じ素材だ。



 彼はそれを握りしめると、鼻を鳴らした。「結局、アイツらは龍の腹ん中……嘘から出たまことって奴か……ツイてるな」



 だが、彼のその判断は早とちりだった。騒ぎを聞きつけた他の憲兵が埠頭に集まって来た頃、二人は河港の対岸に辿り着いていたのだから──



「ハァ……ハァ……」



 背負っていたコゼットさんを下ろすと、遠泳でヘトヘトの俺は岸辺で大の字になる。彼女は犬みたいに身震いをすると、怒ったように声を上げた。



「もう、訳が分からないです!何が起きたんですか!?」



「あのクソアホ憲兵、まさか本当に龍が出るなんて思わねぇだろ」



「龍!?龍が出たんですか!?ほんとに?」



 どうやら、コゼットさんは川に飛び込む直前からずっと目をつむっていたので、何も見ていないようだ。龍と聞いて彼女は興奮で鼻息を荒くする。まぁ、俺も泳ぐのに必死でほとんど龍の姿は見えてないんだけど、それは言う必要ないか。



「あぁ、そのおかげで川の流れが変わって、すごい速さでこっち岸まで来られたけど。なんというか……うん、ホント今日は運が良いな」



 現世で川に溺れたのをカウントに入れてもトータルでは勝ってるし、この世界に来てからは幸運が続いている気がする。これは、異世界の壁を越えた影響で運気が変わったのか?



「そんで、都からは出たけど、これからどっちに向かうんだ?西?東?」



「え?あー……南?」



「考えてねぇのかよ」



「細かいことなんて考えてる暇はありませんでしたよ。とりあえず、次はこの国ヘドニアを出ましょうか。うん、そうしましょう」



「じゃあ、もうちょっと休んでから行こうか」



 再び横になった俺の横にコゼットさんが座った。彼女の黒い瞳にはまだ少し不安が残っているようだった。



「まだ、一緒にいてくれるんですか?私、ミチルには何も言わなかったのに。異世界への帰り方だって、実は知りませんし」



「コゼットさんのことは無理して話さなくて良いよ。俺が・・ついてきたんだ。それに、『帰り方を教えてくれ』なんて言ってないし、自分で探すよ」そう言って俺は露骨に笑ってみせた。「だからほら、そんな張り詰めたような顔しなくてもいいじゃん。終わり良ければ全て良しだって」



 『笑顔は大事だ。どんなに辛くても余裕たっぷりの笑顔でいれば、きっとなんとかなる』かつて、親父が俺にそう教えてくれた。俺が借金取りに土下座をかます親父を目撃した後の話だ。親父、少し涙目だったな。



「へへ……」やがて、今日始めて彼女の顔に笑みがこぼれた。なんだ、結構無邪気に笑うじゃないか。「そうですね。今日は本当に幸運です」



 その時、俺の足元に何か漂流物が当たった。それは、よく見知ったブレザージャケット。ズボンもある。



「あ、俺の服。ラッキー」

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