第43話

「えっと……岡田くん?」


 こんなところ岡田くんの好きな人に見られたらマズいと思って、彼の胸を両手で押すが、強い力で後頭部を押さえられ離れられない。


「ちょっと、岡田くんってば……」

「俺の好きな人って、誰だと思う?」


 唐突に聞かれた。え、この状態でクイズですか? もう一度胸を押してみるがビクともしないので、諦めてそのままの格好でクイズに答えることにした。


「えっと……優子?」


 好きな人ができたってことは、最近の話だろう。となると、思いつく女性は優子しかいなかった。まぁ、岡田くんがキャバクラとかスナックとかそういう女性のお店に行ってたら推理のしようがないけれど。


 岡田くんはわたしの肩に手を置いて、ようやく身体を離してくれた。手を伸ばせば触れられる距離にわたしたちは向き合っている。


 黒縁眼鏡のレンズを光らせた彼は、わたしを真っ直ぐ見て言った。


「朱莉」

「はい」


 普通に名前を呼ばれたと思ったので返事をしたのに、岡田くんは「違う」と首を振った。


「俺が好きなのは、朱莉」

「……はい?」


 素っ頓狂な声が出た。理解が追い付かず、もう一度「はい?」と聞き返す。


 すると岡田くんは大仰にため息をついて肩を落とした。


「告白してるんだけど」


 告白……!


『俺が好きなのは、朱莉』


 数秒前に岡田くんの口から発せられた言葉が、今になって脳内再生される。目を上に向けて、あぁ星がきれいだなと反射で思って、ああいやそうじゃないと頭を振る。


 岡田くんがわたしを、好き? 好きというのは、どういう種類の好きなんだろう。会社の先輩として好きなのか、もっと広い意味……人間として好きなのか、はたまた結婚したいの好きなのか。いやさすがに結婚したいはないか。だってこの人には結婚願望がないのだから。


「なんかごちゃごちゃ考えてそうだけど、俺の好きは結婚したいの好きだから」


 超能力者なのか、わたしの心を読んで答えてくれた。そっか、結婚したいの好きか……


「えっ⁉ 結婚したい⁉」


 静寂の夜に似つかない、大声が出た。


 だって岡田くんはあの時確かに言っていた。


『俺、結婚とか興味無いんで』


 わたしと同じだと思って、彼を助けるために偽彼女を了承したのだ。それなのに結婚したいの好きって……にわかに信じられない。


「朱莉目当てで入社したし、姉貴はグルだし、意識させるためにキスしたし、偽彼女じゃなくて本当の彼女になってほしい」


 次々明かされる真実に、わたしの頭は付いていかない。え、なに、岡田くんの言葉が右から左なんですけど。


 わたし目当てで入社した?


 麻里子さんがグルで、キスした理由はわたしだったからで。


 偽彼女じゃなくて本当の彼女に……


「彼女っ!?」


 岡田くんの彼女になるということは、わたしの彼氏になるということで。

 顔から火が出るかと思った。いや、出てるかもしれない。顔どころか全身が熱い。待って待って分かんない。いや分かるけど分かんない!


「返事は?」


 岡田くんは一歩近付いてきて、わたしを見下ろしてきた。眼鏡の奥の瞳が真っ直ぐわたしを射抜く。


 あぁ、わたしはこの瞳に恋したのかもしれない。わたしにはない、揺るぎない真っ直ぐさ。この真っ直ぐには真っ直ぐで答えないといけない気がする。


 わたしは一度大きく深呼吸をして岡田くんを見上げた。


「……わたしも岡田くんが好きです」


 しかし、すぐに不満そうな声が降ってくる。


「岡田くん?」


 ええいもうヤケだ!


「け、慧斗が好きっ」


 しばらく見つめ合って、耐えられなくなったわたしは勢いよく俯いた。もう無理死んじゃう!


「……朱莉」


 もう一歩近付いてきた慧斗の手がわたしの顎を捕らえ、ゆっくりと上を向かされる。目だけ合わせないように泳がしていると、おでこが触れ合った。


「キスしたいから目、閉じて欲しいんだけど」


 そんなことを至近距離で言われ、心臓が口から出そうになった。いやもうさっきから出ずっぱりだ。


「い、いいい今までそんなこと言わなかったのにっ」

「前もって言ってたらさせてくれなかったでしょ。それとも不意打ちの方がいい?」

「〜〜〜〜〜〜っ!」


 どんどん近付く形のいい唇。待って待って耳からも心臓出る……!


 両手を胸の前で握ってギュッと目を閉じると、一旦顔が離れてフッと笑われた。


「可愛い」

「なっ……!」


 反射で目を開けたと同時に唇同士が合わさった。しかしすぐに離れて無言で見つめ合う。


 握りしめた手に大きな手が添えられ、傾けながら近付く唇に、わたしは自然と目を閉じていた。

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