第41話

わたしはこのまま偽彼女をしてもいいのだろうか。気があるのに、下心があるのに彼女役するのって、岡田くん嫌じゃないかな。


 だからと言って『偽装カップルやめて本当のカップルになりませんか』って告白する勇気など持ち合わせていない。っていうかそもそもフラれるのわかってて告白なんて出来ない。


「朱莉さん?」


 映画館デート……なんか響きがいいな。水族館デートもよかったけど、映画館の方が大人っぽくてデートって感じがする。


 あ、どうしよう。行きたくなってきた。岡田くんと映画館デート。大きめのポップコーンを買って2人でシェアして、映画が終わったら感想を言い合ったりして……


「朱莉さん?」

「わっ!」


 急に黒縁眼鏡のイケメンくんがドアップで現れたので、仰け反ってしまった。どうやら返事が無くて覗き込んできたようだ。


「映画、一緒に行きませんか?」

「行きます。行かせてください」


 わたしは食い気味で、半ばお願いするように映画館デートを了承した。もう偽装カップルとか関係なく、わたしが岡田くんと行きたいという気持ちを尊重させてもらった。よこしまな気持ちでごめんなさい。


 でも、そう開き直ったら岡田くんと普通に接することが出来そうな気がした。


「いつ行く? 日曜日?」

「いや。今日、仕事終わりに行きましょう」

「えっ今日!?」


 急すぎない? オシャレも何もしてないし……いや、例え休日だとしてもオシャレでは無いのだけれど。


「都合悪いですか?」

「いや……悪くは無いけど……」

「じゃあ決まりです。約束ですからね」


 約束……! 約束って! 可愛いかよ!


 好きってすごいな。キュンが止まらない。


 わたしは両手で顔を覆って「はい」と頷くので精一杯だった。


 佐野部長は結局総務部に姿を現すことなく、定時が来た。岡田くんと一緒に会社を出て、映画館へ向かう。


 駅前から出ているバスに乗って、大型ショッピングモール内の映画館へやって来た。平日の夜とあって、さすがに人は少ない。


「何の映画観ます?」

「んー。あ、この映画、泣けるらしいよ」

「じゃあコレにします?」

「うん」


 ここまでで、偽装カップルはしていない。今は完全に会社の先輩後輩だ。ちょっと期待した部分もあったので、残念ではある。


「ちょっとチケット買ってくるんで、ここで待っててください」


 岡田くんはそう言って、チケット売り場へ行ってしまった。


 ……チケット買ってくる? 麻里子さんから貰ったのでは?


 よく分かんないけど、まぁいいか。一緒に映画観れるんだし。


 彼の横顔を盗み見る。遠目から見ても整った顔をしていて、黒縁眼鏡が良く似合う。鼻高いなー。え、脚も長いじゃん。何かカッコよく見えちゃうなぁって思ったら、スーツなんだ。あんまりマジマジと眺めたこと無かったなぁ……


「なんか付いてます?」

「えっ? わっ」


 眺めすぎてこちらに歩いてくることに気が付かなかった。さっきまで遠くにいたのに、目の前に現れて驚いてしまった。


「ううん。なんでもないの」


 あなたに見惚れていましたなどと言えるはずもなく、首を振って誤魔化した。


「トイレ大丈夫ですか?」

「うん」

「ポップコーンと飲み物買いますか?」

「いいの?」

「はい」

「買うー!」


 やった、ポップコーンはキャラメル味にして、飲み物はオレンジジュースにしよう! わたしは注文カウンターへ駆け寄り、岡田くんを見上げた。


「慧斗は何にする?」


 気の緩みとテンションの上がりは、失言を招くらしい。わたしは無意識に偽彼女になりきっていた。


「…………」


 キョトン顔の岡田くんを見て自分の発言に気付いたが、目の前にはニコニコしている店員さんもいるし、誤魔化しようのない空気に全身の毛穴から冷や汗が出た。


 自爆するってこういうことを言うんだな。余裕がないくせに頭の片隅でそんな悠長なことを思った。誰かわたしを穴に落として埋めてくれ。


「朱莉と同じので」


 店員さんがいるからか、岡田くんはとりあえず偽装カップルをやってくれた。優しさに泣けてくる。


 2人でシェア用のセットがあったのでそれにして、ポップコーンと飲み物を受け取る。「ごゆっくりどうぞ~」という店員さんのスマイルに、うまく笑って返せたか自信はない。


 注文カウンターから離れて、わたしは岡田くんに頭を下げた。


「ごめん。2人でいると偽装カップルやらなきゃって頭が勝手に判断するみたい。本当にごめんね」


 自分の意思ではありませんよ、という言い訳を垂れる。しかし岡田くんは「別に」と気にしてないようだ。


「いいよ。カップルとして映画観よ」


 ポップコーンと飲み物の乗ったトレイをわたしから奪い、「これ店員さんに渡して」とチケットを2枚渡された。そんな一挙手一投足にいちいちキュンとする。この人はわたしを殺しに来ているのか。


 映画はあと5分で始まる予定だった。案内されたスクリーンへ行くと、すでに何組かカップルらしき男女が座って、ポップコーンを「あーん」とかしている。自分がしているわけでもないのになんとなく気恥ずかしくなり、なるべく視線を向けないようにした。


「席どこだっけ」


 岡田くんが隣に並んでわたしの手元のチケットを覗き込む。ぎゃー近い!


「そういや勝手に席決めたけど、よかった?」

「う、うん。どこでも大丈夫」


 後ろの真ん中らへんの席まで移動して、岡田くんの隣に腰掛ける。会社では右隣にいる彼が今は左隣に座っていて、今度は右手の甲をつねれば、今日はこれでわたしの右側と左側に対する意識の採算が取れるな、と思った。


 ドリンクホルダーに置かれたポップコーンに手を伸ばす。すると岡田くんも手を伸ばしてきて、触れ合ってしまった。


「あ、ごめ……」


 引っ込めると、岡田くんは一粒手に取って、わたしの口元へ差し出してきた。


「はい。あーん」


 わたしはどうして今まで恥ずかしげもなく『あーん』が出来たのだろう。何とも思ってなかったからにすぎないのだろうけど、思い返せば恥さらしの行為ではないか。


 そういえば今までの『あーん』は全部岡田くん発信な気がする。最初は麻里子さんの前で、次は風邪を引いた岡田くんの家で、その次はhitotose近くの公園で。彼が食べ物を差し出してくるか、口を開けて待っているか。全部恥ずかしげもなくやってのけていた。それはなぜか。


 ……わたしのことを何とも思ってないからだろう。無表情で無愛想なのもきっと相手がわたしだからだ。もしもわたしじゃなくて優子だったら、岡田くんはきっともっとためらうんだろうな。


 初めから叶わない恋って、結構きついな。


 小さく開けた口に入れられたキャラメル味のポップコーンは、少しだけ苦かった。

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