鈍感先輩の勘違い
第38話
なぜか朱莉が俺から逃げるように家を出ていってしまった。しかもその後を追いかけようとしたら佐野部長に「俺が行く」と止められ、部長が出ていった。
部屋に田村さんと2人きりになる。
ふと手に『今日の主役は俺だ』タスキが当たって、まだ着けていたことを思い出した。外してソファの上に置く。
「このキッチン、食洗機も付いてんのね。家の値段が知りたいわぁ」
食器を洗い終えた田村さんがキッチンから出てきた。朱莉と同期で同い年らしいが、ミニスカートといい身体の線といい、とても朱莉と友だちだとは思えない。どっちかと言うと、姉貴のグループに属してそうな人種だ。
彼女はご飯を食べた席と同じ椅子に座ると、俺に前に座るよう促してきた。大人しく腰をかける。
「まずはお誕生日おめでとう」
「はぁ。どうも」
「朱莉からカップル演じてること聞いてるんだけど」
「はぁ」
「あたしが怒ったの、礼儀の知らない後輩だからだと思った?」
「ええ、まぁ」
「あんた本当無愛想ね」
話に脈絡がなさすぎて、意味が分からない。しかもニコニコ笑ってて恐い。
「何が言いたいんですか」
すると田村さんはスっと顔から笑顔をなくし、睨むように俺を見てきた。
「あたし、佐野部長のこと好きなんだけど」
また脈絡のない話……
「佐野部長は朱莉のことが好きでしょ?」
「…………」
俺は否定も肯定もしない。ただ田村さんの話を聞いていた。
「あんたが佐野部長の前でワザと朱莉呼びした時、一瞬佐野部長が悲しそうな顔したの見た? あたしはアレを見て耐えられなくなった。好きな人が傷付く様子って、こっちまで傷付くのよね」
ああ、なるほど。今日田村さんがここに来たのは、佐野部長が傷付かないように見張るためでもあったのか。確かにあの状況で田村さんが居なかったら、総務部はどうなっていたか分からない。
「……すみませんでした。キレさせてしまって」
「話が分かる子は嫌いじゃないよ」
さっきまでの睨みはどこへやら。田村さんはニッコリ微笑んだかと思ったら「で? なんで朱莉に無断でキスしたの?」とニヤリと笑った。
……朱莉は田村さんになんでも話してるんだな……
この人に嘘は通用しないと悟ったので、俺は包み隠さず話すことにした。
朱莉目当てで入社したこと、朱莉に小さな嘘をついていること、朱莉にキスした理由を言ったら帰ってしまったこと──
元々理由なんて言うつもりはなかった。それなのに言ってしまったのは、朱莉が岡田家は血の繋がった家庭だと分かって安心して泣いたからだ。他人の家族のことを思って泣いてくれる人に、自分の想いが溢れてしまった。
少しでも俺のことを意識してほしかっただけだった。
「キスした理由、なんて言ったの?」
「『そこにいたのが朱莉だったから』って言いました」
「……は?」
すごい形相で見られた。この人、百面相だ。
「それ、どういう意味で言ったの?」
「え。朱莉だったからキスしたって意味ですけど」
朱莉じゃなきゃキスなんてしない。そういう意味で言ったけど。田村さんは腕を組んでしばらく考えて、口を開いた。
「それ、そこにいたのが朱莉じゃなかったら、他の人にもしてたって意味に、あたしは捉えるんだけど」
「え」
田村さんに言われて、俺もしばらく考える羽目になった。どうして? 朱莉がいたから、朱莉だったからなのに。
「多分、10人に聞いたら9人はそう思うだろうね。いや、全員そう思うかも」
田村さんは人差し指を立てて頬杖をついた。
「嘘だろ……日本語難しすぎるでしょ」
日本生まれ日本育ちのくせして、言った方と言われた方の間で
「そんな回りくどい言い方せずに、ハッキリ『好きだ』って言えばいいじゃない」
何回もキスされといて、気付かない朱莉も朱莉だけど、と田村さんは髪の毛の先を指先で弄ぶ。
言えるもんならとっくに言っている。俺と朱莉はまだ3ヶ月の仲で、困っている後輩のために偽彼女をやってくれているだけなのだ。もし告白してしまって、今の関係が崩れてしまったら……そう考えただけで耐えられない。
「まだ自信ないから無理です」
嫌われては無いと思っていた。誕生日プレゼントに「慧斗って呼んで欲しい」と頼んだ時「そんなんでいいの?」と拒否されなかったし。
そもそも偽装カップルを引き受けてくれた時点で、嫌われてはないと思った。でも、好かれているとも思っていない。
なんせ許可なくキスする男だ。微妙に嘘もつくし。先輩として困っている後輩を放っておけないというだけで、惰性で偽装カップルを引き受けてくれていることも分かっているが、せっかくカップルを演じてくれるのに、ここで告白してフラれたら元には戻れない。それが一番怖かった。
それならもういっそのことこのまま偽装カップルでもいい。そう思っていた。
「あんたって意外とヘタレよね」
「否定はしません」
朱莉にキスした理由を言って、あのまま5度目のキスに持っていけると思ったのに、拒否された。それは確実に嫌われたという事実で、とてもじゃないけど告白なんてできない。
はぁ、とため息をついた俺に、田村さんは「あのさ」と言った。
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