第34話
「え、さっきだけど。簡単だよこんなの。今回のテーマは、家で作れるフレンチフルコースだから。難しいことは一切してない」
そうだよね、と岡田くんの前にお皿を置きながら目で問うと、彼は「はい。フランベとかもしてなかったですよ」と頷いた。
「はぁ。なんでこんなに料理も家事も出来て結婚願望が無いのかしら……」
「そんなこと言われても……」
「え、相生さん、結婚願望ないの?」
佐野部長が少し前のめりになった。そうか、佐野部長は結婚願望結構あるって言ってたっけ。そういう人から見たらわたしは変わり種なのだろうか。
「ええ、まぁ、別に結婚できなくてもそれはそれでいいかな、なんて」
「そう、なんだ……」
なんで佐野部長が落ち込むの? 佐野部長の前にもデザートを置く。
自分の席にもデザートを置いて、みんな分出たなと確認してから席に着こうとすると、一連のやり取りを見ていた岡田くんがわたしを見た。
「朱莉、フォークが無いよ」
あまりにも自然で、わたしは何の疑問も持たずに普通に返事をしてしまった。
「ああ、ごめん。ちょっと待って……」
よ、と言いかけて身体が固まってしまった。
え、待って。今、なんて言われた──?
『朱莉、フォークが無いよ』
シン、と空気さえも流れるのをやめた気がした。佐野部長も優子も「え?」というような顔をして固まっている。岡田くんだけはゆっくりと瞬きをして、みんなの反応を待っているようだった。
え、え、え、え待って待って。優子はわたしと岡田くんがカップルを演じているのを知っているが、佐野部長は知らない。というか、優子だって今演じているとは思ってないだろう。そもそも会社では先輩後輩でいることを条件に演じてたわけだし、今だって懇親会かつ誕生日パーティーだけどここにいるのは社内の人間だ。今の岡田くんの発言は、完全に公私混同した発言だった。
ヤバい。なんとか誤魔化さなくては。
そうは思うが、どうやって? 自分の発言ならまだしも、岡田くんの発言をどうやって誤魔化せばいいの? そんなスキル持ってない!
完全にパニックになったわたしは、固まったまま動けなかった。時間が止まっている気さえする。しかし、空気を動かしたのは、同期の優子だった。
「アホか! 先輩に向かって呼び捨てとため口なんて、誕生日やからって調子乗んな!」
わざとか無意識か、地元の関西弁で岡田くんに向かって吠えた。吠えられた本人は驚くでもなく、無表情で「あ、すみません」と
「え、2人ってそういう仲なの……?」
ここで実はお互いにお見合いを避けるためカップルを演じる仲なんです、とは言えない。佐野部長には言えないのだ。なぜなら、後輩2人がそういう仲だと思いながら一緒に仕事をして欲しくないからだ。佐野部長のことは尊敬しているし、本当に兄のように慕っている。佐野部長からも妹認定されたほど築き上げた絆を、周囲を騙すためにカップルを演じていると打ち明けて、壊したくなかった。
「ちゃいますよ佐野部長。誕生日やからって岡田くんが調子乗っただけですよ。そうやろ?」
いまだ関西弁のまま優子は岡田くんを見る。その目は岡田くんに睨まれるよりも凄味があった。頷けやコラ、と目が言っている。佐野部長も岡田くんの返事が気になるのか、岡田くんのことをジッと見つめていた。やがて岡田くんが口を開く。
「……そうです。すみません、調子乗りました。反省します」
思わず長いため息が出た。「はぁ」ではなく「ほぉ」だ。
「も、もう岡田くんったら。ビックリしちゃったじゃん!」
「すみません」
相変わらず反省してなさそうな謝罪だったが、今は別にそれでもよかった。チラ、と佐野部長の反応を窺う。
「調子に、乗っただけ……」
佐野部長は何やら呟いている。何とか誤魔化せた……のか?
デザートはみんな無言で食べ進め、食べ終えた人から各々手を合わせてご馳走様をした。
異様な空気が流れている。誰一人として目を合わせようとしない。でも、気のせいかもしれないけど、隣からは物凄い視線を感じた。
「ごめん、ちょっとトイレ貸してくれる?」
空気に耐えられなかったのか、席を立ったのは佐野部長だった。岡田くんから場所を聞いて、佐野部長はわたしたちの前から離れた。
佐野部長の姿が見えなくなったのを確認した優子が、身を乗り出した。
「ちょっと、あんたたち何考えてんの」
もう関西弁ではない。さながら鬼の形相だった。でも、怖いよなんて言えない。
「ごめん、わたしが悪いの。誕生日だからって、気を許しすぎた」
フォローありがと、と優子に手を合わせると、彼女は岡田くんに向かって言った。
「あんたはワザとだよね」
「ちょっと優子……」
「朱莉は黙ってて。岡田、どうなの」
前々から思ってはいたのだが、優子は元ヤン気質なところがある。見た目もそうだが、正義感が強すぎて、ヒーローだとさえ感じる節もあった。大雑把でガサツだが、仲間を思いやること長けていて、さながら少年漫画の不良高校生のような性格だ。わたしはそんな優子が好きだが、ケンカ腰なのはやめて欲しい。岡田くんは無表情で優子を一瞥して、口を開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます