第32話
「いやー、ごめんね。総務部の懇親会かつ岡田くんの誕生日会に、営業部のあたしが乱入しちゃって」
金曜日夜7時。岡田くんとの約束通り、フレンチのフルコースを振る舞うためにスーパーに寄って、3人で岡田くんの家にお邪魔していた。
「いえ、別に……」
岡田くんは無表情で首を横に振った。そのままわたしに視線が注がれる。その目は、いつか向けられた目と同じく鋭い。
「俺は全然問題ないよ。むしろ多い方が楽しいしね」
佐野部長はわたしが岡田くんに睨まれているとは知らず、爽やかな笑顔を優子に向けた。
「佐野部長……ありがとうございます」
営業部の同期はいつもポニーテールにして縛っている髪を、今日は下ろして毛先を少し巻いている。化粧もいつもよりしっかりとしていて、服もミニスカートとかなり攻めていて、わたしはこの子を連れてきたことを少し後悔していた。
いや、違うな。連れてきたというより付いてきた。ポロッと『金曜日に総務部で懇親会とサプライズパーティーやるんだ』と零してしまったのが原因だと思われる。『ふーん。佐野部長もいるんだ』と意味深な笑みを浮かべていた。まさか仕事終わりに待ち伏せされているとは思わない。わたしと部長の姿を見つけるや否や『あたしもご一緒していいですかぁ』とワントーン高い声で付いてきたのだ。佐野部長が心の広い人で良かった。岡田くんは……迷惑そうだけど。
「じゃあわたし、調理始めますね。みなさんゆっくりしててください」
突き刺さる岡田くんの視線から逃れるようにキッチンへ向かう。でもアイランドキッチンなので丸見えだ。
「あ、岡田くん。これ着けて」
優子が岡田くんにタスキを渡す。促されるまま腕を通したそれには『本日の主役は俺だ』と書かれていた。
岡田くんは少しの間それを眺めて、またわたしを睨んできた。視線は痛いが、一見真面目そうな黒縁眼鏡の青年が『本日の主役は俺だ』タスキをかけている姿に、吹き出しそうになった。似合わなさすぎて面白い。
「似合ってるよ」と心にもないことを言うと、「そりゃどうも」と無表情で言われた。
「じゃあ、佐野部長はあたしと飾り付けしましょ!」
優子は佐野部長の腕を引いて、キッチンから離れていった。同時に岡田くんがわたしの隣に並ぶ。
「朱莉さんだけじゃなかったんですか」
「うん。サプライズで佐野部長とわたし2人の予定だったんだけど、優子が付いてきちゃった……ごめんね」
まぁ人数多い方が祝われてる感あるだろうし、わたしが岡田くんなら嬉しいんだけど、岡田くんは思いっきり不満らしい。リビングを楽しそうに飾り付けている2人を一瞥してため息をついた。
「別にいいですけど。何か手伝いますよ」
言いながら手を洗い始めた岡田くんに、わたしは待ったをかけた。
「何言ってんの。今日の主役はキミでしょ。大人しく座ってなさい」
「え、嫌ですよ。あの2人の間に入るの。それに、これからフルコース4人分作るんですよね。1人で作ってたら朝が来ますよ」
確かにわたしが岡田くんの立場で、仲良く飾り付けをしているあの2人を、椅子に座って眺めるだけというのは嫌かもしれない。でも主役に包丁握らせるのもな……気が引ける。
「フルコースって言っても、なんちゃってフレンチフルコースだから、簡単なの」
「ふうん」
「……包丁はわたしが握るから、牛肉に塩こしょうまぶしてフライパンで焼いてくれる? あ、バター使ってね」
「はい。分かりました」
『本日の主役は俺だ』タスキを斜め掛けした黒縁眼鏡イケメンが生肉を無表情かつ慣れた手つきで扱う様子は、なんだかシュールで新しい岡田くんを見れた気がする。ふふふ、と思わず口から笑みが零れた。
一般的なフレンチフルコースは、前菜の『オードブル』、スープ、魚料理の『ポワソン』、口直しの『ソルベ』、肉料理の『アントレ』、デザートの『デセール』、コーヒーと小菓子の『カフェ・ブティフール』の7品。今日は、最後のカフェ・ブティフールを抜いた6品作る。
玉ねぎをくし切りにしていると「誕生日プレゼントの件なんですけど」と話しかけられた。わたしは「うん」と頷く。
「今日、慧斗って呼んでくれません?」
思いがけない要望に、玉ねぎを切る手に力が入ってしまった。ダン! とまな板と包丁がぶつかる音が響く。
「え、そんなんでいいの?」
「はい。その代わり、俺も朱莉って呼ぶんで」
「それカップル演じるだけじゃないの」
「そうですけど」
わたしはHappy Birthdayのバルーンを膨らませている2人をチラ、と見やった。
「あの2人の前では無理だよ」
「分かってます。2人きりの時だけでいいです。あと数時間くらいしかないでしょ」
ズイ、と迫られて、わたしは「う、うん」と渋々ながら頷いた。幸い佐野部長と優子は飾り付けに夢中だ。こちらを見向きもしない。主役がキッチンに立っているのだから、少しは気にしてもよさそうなのに。
それにしてもカップルを演じることがどうしてプレゼントになるのだろう。ため口で喋りたいだけなのか。分からん。この後輩は全く意味が分からない。
「じゃあ朱莉。次は何したらいい?」
どこからか監督の「よーいスタート!」が聞こえるのか、サッと先輩後輩からカップルモードに切り替わった。この人、俳優になるのが夢なのかな。
「えっと、じゃあ、じゃがいもの皮剥いてくれる? ……慧斗」
じゃがいもを手渡す。
今日は偽彼氏の誕生日で、呼べと言われたので、不必要に呼んでみた。別に呼びたかったというわけではない断じて。誕生日という特別な日だから、大盤振る舞いしただけだ。彼は小さく頷いてじゃがいもをわたしの手から受け取って、ピーラーで剥き始めた。
特に嬉しそうにするわけでもない。だったらなんで偽カップルを要望するんだ。まぁ考えても無駄か。この人の脳内は誰にも透視できないのだから。
わたしは気にせず、続きの調理を始めた。
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