無愛想後輩の誕生日

第30話

やばいやばいやばいやばい。


 岡田くんの家から自分の家に帰って来て、わたしはベッドにダイブした。


 なんだこれ。普通にデート楽しんじゃったよ。


 水族館に行くこと自体久々すぎて、変にテンションが上がり、観賞用の魚をどう調理すれば美味しく食べられるかなんて、意味不明なことを言いまくってしまった。言い訳をすると、異性とデートというものが実に8年ぶりで、どうしたらいいのかすっかり忘れてしまっていたのだ。ましてや岡田くんのお姉さんの麻里子さんが後ろから付いてきているということもあって、テンパりにテンパりまくってしまった結果、あのような奇行に走ったというわけだ。


 普通に「慧斗」って呼び捨てで呼んじゃったし。ましてや「じゃあ、今日の夜、作ってよ」に対して、断ることなくむしろどの調理法がいいか聞くなんて。


 いやしかし、今日最大の奇行は、アレだろう。


『手、繋いどく?』


 水族館を出た後の、わたしの言動である。


 この時、多分、何かに取り憑かれていたのだと思う。そうでないと説明がつかない。だって、あり得ないでしょ。会社の後輩に自ら「手、繋ぐ?」なんて。どうかしてた。どうかしてたのだ!


 多分、ケーキが美味しすぎたのがいけないのだ。いや、チーズケーキワンホールのはずが、チョコケーキやミルクレープなどいろんなケーキワンホール分を買い与えられたのが、ダメだったんだ。アレを一口ずつ齧られて、それを全部食べたところから、わたしは相生朱莉ではなくなった。


 そうか、今日のわたしは知らない人が憑依してたのか。なるほど、納得した。だから家に行って一緒に料理なんかしたわけだ。


 まさか岡田くんが家事のできる人だとは思ってなかった。家がキレイだったのも、冷蔵庫の中身がきちんとしていたのも、全部姉の麻里子さんがやってくれていると思っていたのに。料理とか特に興味ないというか、自炊しなさそうだと思っていた。人は見かけによらないものだ。勝手に決めつけてごめんね、岡田くん。


 隣で手際よくキャベツを千切りにする姿や、生姜を切る姿を思い出す。長いまつげを伏せがちにして包丁を使う岡田くんは、イケメンということも相まって、何というか、色気みたいなものが見えた。優子は佐野部長に色気を感じると言っていたが、わたしは感じたことは無い。


 それなのに偽彼氏に色気感じるとか……恐るべし魚マジック。


 でも、2人並んでキッチンに立ってて、結婚したらこんなこともするのかな、なんかいいな、なんて思った。相手が岡田くんかどうかは置いといて、結婚も悪くはないかもしれない。


 ……ってアレ。岡田くんとの偽装カップルは、お互いに結婚しないための偽装カップルなのだから、結婚に対して悪くないかもって思ったら、偽装カップルする必要なくなるよね……


 そう思うと、なんだろう。なんか、寂しいかもしれない。分かんないけど、なんか、嫌だな。


 恋人繋ぎをした手を見る。わたしよりほんの少し低い温度で、でもわたしより大きい手で、包まれた感触を思い出す。


「水族館、楽しかったな」


 そう独りごちて、ギュッと手を握りしめた。



***



「あれ、岡田くん、金曜日誕生日じゃない?」


 水族館デートから2日後の月曜日。


 わたしは取引先のロゴが入った卓上カレンダーを見て言った。意識して言ったわけではなく、いつか見せられた岡田くんの個人情報を頭のどこかで覚えていて、ポロっと口から出た。


「はい」


 そうですけど何か、というような返事をされて、ちょっと切なくなる。少し前まではその返しが当たり前で、相変わらず無愛想だな、と思うだけだったのに、あの水族館でのデート後からなんだかわたしはソワソワして落ち着かない。右隣に座る彼の存在を、身体の右側が異様にキャッチしてしまって、ちょっと動かれただけでビクッと反応してしまう。こんなことは初めてだった。努めて冷静に話しかける。


「麻里子さんは誕生日プレゼントとか、くれるの?」

「はい。リクエストしたものをくれます」

「去年は何をリクエストしたの?」

「黒毛和牛です。牛1頭丸々買い付けて、色んな部位に切ったものを貰いました」


 さすがは社長。溺愛する弟にマンションを購入しただけはある。リクエストする方もする方だが。牛1頭って。全部1人で平らげたのだろうか。


「今年は何にするの?」


 そう聞くと、岡田くんはじっと考え込んでしまった。欲しいものがありすぎるのか、逆にないのか、答えは中々返って来ない。別にわたしもどうしても知りたいわけではなかったが、聞いてしまった手前、教えてもらいたい。なんかよく分からないけれど、気になるのだ。



 熟考した岡田くんは、小さく口を開いた。


「マグロ、1匹……」

「肉の次は魚って、安易だね」

「朱莉さん、捌きます?」

「マグロ解体師じゃないから無理です」


 そういえば水族館にマグロは泳いでなかったな……


「朱莉さんは、何をくれますか?」


 あの日のデートを回顧しかけて、岡田くんが言ったことを聞き逃しそうになった。慌てて聞き直す。


「はい?」

「誕生日じゃないかって聞いてきたってことは、何かくれるってことですよね」


「……なんで?」


 ただ普通に質問しただけなのに、どうしてそういう捉え方をするのだろう。


 しかしふと考える。


 誕生日というものは1年に1度しかなく、やはり特別な行事であって、ましてやこの世に生まれ落ちた奇跡の日だ。幼い頃、肉親の父親から命からがら逃げてきて、血の繋がらない大人に引き取られた岡田くんは、自分の誕生を憎んでいるかもしれない。もしかしたら麻里子さんは、岡田くんは愛されるために生まれてきたのだと知ってほしくて、マンションやら牛やら欲しがるものをプレゼントしてきたのではないか。


 そう思うと、わたしも何かしたいと思った。


 さすがにマグロ1匹は無理だけど、ししゃも30匹くらいはプレゼントできる。聞くだけ聞いてあげよう。


「ちなみに何が欲しいの?」

「……考えときます」


 マグロ1匹も相当悩んでたから、即答はされないわな。あまり高価なものは無理だからね、と釘を刺して業務に戻った。

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