第26話

「朱莉。この後の予定だけど」


 岡田くんは突然、割と大きめな声で話し始めた。


「チーズケーキ買って公園で食べる?」


 元々、買ったらそのまま解散すると思っていたので、突然の提案に驚いたが、麻里子さんが付いてきているということなのでデートっぽいことをしなければいけないのだろう。わたしは小さく頷いた。


「うん。そうしよっか」


 どうせこの後の予定は何も無い。チーズケーキで彼女役をやると言ってしまったので、約束通り今日は岡田くんの彼女を演じよう。


「そういえば、看病してくれた時に作ってくれた料理、全部美味しかった」


 ありがとう、と思い出したかのようにお礼を言われて、反応が遅れた。はて、と考えて「あぁ」と思い出す。そういえば冷蔵庫の中身をほぼ使い切ってご飯を作ったんだった。


「美味しかったならよかった。むしろ冷蔵庫の中身空っぽにしちゃってごめんね」

「なんで。嬉しかったのに。この前は佐野部長にだけ作ってたから」

「あれは作るって約束したから……」

「じゃあもう作んないで。俺だけに作って」


 食い気味にそんなことを言われ、わたしは逡巡した。岡田くんにだけ作る……? それは、無理だ。 


「ごめん、岡田くんにだけっていうのは無理だよ。同期の優子もわたしの料理、楽しみにしてくれてるもん」

「……え」


 思っていた回答と違ったのか、岡田くんは黒縁眼鏡の奥の瞳でわたしを凝視した。なんだなんだ。


「な、なに?」

「……いや。またご飯作って」


 呆れたのか、岡田くんにしては珍しく、わたしから視線を外した。え、何か変なこと言った?


 そうこう話しているうちに、たくさんの洋菓子が入ったショーケースが目の前に現れた。看板商品のチーズケーキを始め、ミルフィーユやモンブラン、カステラなどケーキから焼き菓子までズラっと並んでおり、端から端まで全部ください! と言いたくなる衝動に駆られた。人の金だからといって欲張ったらダメだよね。


 ヨダレを垂らしそうな勢いでショーケースを眺めているものだから、岡田くんが「チーズケーキだけじゃなくて、欲しいケーキワンホール分にする?」と提案してくれた。マジか神かよ。


「いいの!?」

「うん、いいよ」


 あっさり頷く岡田くん。わたしは意気揚々と店員さんに「じゃあ、コレと、コレと……」とショーケースのケーキを端から端へ指差した。うっきゃー! 注文するだけでテンション爆上がりよ。今日はとっても良い日だ!


「優しい彼氏さんですね」


 箱詰めしてもらったケーキたちを渡される時、店員さんに笑顔で言われた。思わず「彼氏じゃないです」と言いかけて麻里子さんの存在を思い出した。いかんいかん。今は偽だけど彼氏だ。


「はい」


 ニッコリ笑おうとして、片方の口端しか上がらなかった。笑顔が引きつっているのが自分でも分かる。


 お会計を終えた岡田くんがその様子を見て、「バレる」と耳元で囁いたかと思うと、再び恋人繋ぎをされた。慣れて無さすぎて顔から火が出そうになる。


 店員さんにお礼を言って、hitotoseを出た。


 公園まで歩きながら、繋がれた手からなるべく意識を背けようと、不得意なおしゃべりを頑張った。


 それなのに偽物彼氏くんは「ふーん」とか「へぇ」とか素っ気ない相槌しか打ってくれず、わたしの精神と体力はズタボロにされた。泣きたい。


 しかし、そんな疲労感も公園のベンチに座ってケーキの箱を開けた瞬間、宇宙の彼方へぶっ飛んだ。某グルメレポーターがわたしに憑依する。


「夢と希望の宝石箱や!」


 持ってきていたウェットティッシュで手を拭いて、どれにしようかなと神様に聞いてみる。指が止まったのはチーズケーキで、うわぁいきなり大本命かぁともう一度神様に聞いてみようとしたところで、隣からの視線に気が付いた。


「楽しそうだね」


 座っている公園のベンチは、細い大人が3人しか座れないような小さなベンチで、周りの遊具もブランコと半分地面に埋まっている赤いタイヤのやつしかない。子どもの姿もなく、時折ランニングしている人と犬の散歩をする人が前を通るくらいの、さびれた公園だった。


 1人ではしゃぐ28歳を無表情で見る5歳年下の後輩。呆れているのか、ただ関心が無いのかさっぱり分からないが、わたしは徐々に羞恥心が芽生えてきた。


「ごめん。いい年した大人がケーキではしゃぐなんて呆れるよね」


 俯いたわたしに、岡田くんは「なんで?」と首を傾げた。


「俺は色んな表情の朱莉を見れて、嬉しいけど」

「!」


 その言葉は本心なのか偽彼女に対する感想なのか、その無表情からは読み取れない。多分耳まで赤くしているであろうわたしは、悟られないように「岡田くんも食べる?」とケーキの入った箱を持ち上げた。


 すると手を伸ばしてきた岡田くんは、ショートボブのわたしの髪に触れ、隠していた耳に髪を掛けた。そして囁く。


「慧斗、なんだけど」


 フッと吐息が耳に当たって、ゾクリとした。ぎゃああああやめてぇぇぇ!


「け、慧斗も食べる⁉」


 仰け反って箱を差し出す。とてもじゃないけど顔は見れない。何なんだコイツは。わたしで遊んでんのか?


「じゃあ、全部一口ずつちょうだい」


 全部一口ずつ? どういうこと?


 箱に入っているのは、チーズケーキとチョコケーキとモンブランとミルクレープとミルフィーユの5ピース。岡田くんはそのうちのチョコケーキを取り出し、先端から一口齧った。その齧り終えたチョコケーキをわたしの口元へ持ってくる。


「はい、あーん」


 え、え、え、え、はい、あーんてなに。っていうか齧られてるんですけど。


 戸惑っているのに、なおもチョコケーキを口元に近付けてくる偽彼氏。口を開けないと顔面になすりつけられそうだったので、クワッと口を開けた。


 甘いチョコが口いっぱいに広がる。美味しいんだけれど、味わえる余裕はない。2口目も「はい」と差し出されそうになって「自分で食べるから!」とチョコケーキを奪った。


 なに、なんなの? 今どきのカップルは外でこんなことしてんの? 30前のわたしには拷問だわ。っていうか、この後輩の豹変ぶりよ! 二重人格かよ。主演男優賞差し上げるから心臓に悪いことするのやめてぇぇぇ!


 岡田くんは何食わぬ顔で他のケーキを一口ずつ齧っていき、4ピースの食べかけをわたしにくれた。まるで毒見したみたいな食べかけ。当然、こんなことされたのは初めてだったので、なんだか面白くなってしまった。


「はははっ! 本当に全部一口ずつ食べた!」


 足をブラブラさせながらミルクレープにかぶりつく。「んー、美味しい!」と声を上げると、岡田くんは「よかった」と呟いた。


 チーズケーキを最後に残し、モンブランもミルフィーユも平らげていく。ああ、1日でこんなに食べてしまったら確実に太るな。当分甘いものは控えよう。


 最後のチーズケーキに手を伸ばし、恍惚としながら一口一口を噛みしめるように食べる。


「え、全部食べんの?」


 岡田くんは目を丸くしているが、最後の一口を頬張って飲み込んだわたしは、手のひらを合わせて小さく頭を下げた。


「ご馳走様でした。すっごい美味しかった!」


 はぁ余は満足じゃ、とお腹をさする。


「おか……慧斗、ありがとね」


 ぎこちなく名前を呼んでお礼を言うと、彼はフッと鼻で笑った。


「クリーム付いてる」


 端正な顔が近付いてきて、左の口端にざらついた感触があったかと思うと、すぐに離れた。


「ご馳走様」


 あまりに俊敏すぎて、口についたクリームを岡田くんが舐め取った、と気付くのに時間を要した。首から頭へ熱が上がっていく。


「な、な、な」

「はいはい。ほら、行くよ」


 恥ずかしさと怒りでわなわな震えると、岡田くんはわたしの手を引っ張って歩き始めた。


 は、『はいはい』ってなに。なんか今日、おかしくない?


 今度は恋人繋ぎではなく、普通に繋がれた手。


 わたしの手をすっぽりと覆う大きな手に、男の子だなぁ、なんて今更なことを思った。っていうか。


「え、行くってどこに」

「水族館」

「い、今から!?」

「そうだけど。まだ12時半じゃん。時間は十分にある」


 ああ、そうか。今日は朝の10時に待ち合わせたから時間はあるのか……


 わたしは偽彼氏に手を引かれるがまま、公園を出た。

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