第23話
途中、ドラッグストアで冷感ジェルシートとスポーツドリンクと風邪薬を購入し、電車で5駅のマンションへ入った。この前教えてもらった通り『2000』を押して呼び鈴を鳴らす。
……10秒経っても出ない。ますます不安が募る。
頼む生きていてくれ、と願いを込めてもう一度呼び鈴を鳴らすと、ガチャと音がした。
「岡田くん? 相生です。生きてる?」
こちらから中の様子が分かるモニターは無いので、音だけが頼りの機械にかじりつく。
『あ、かりさん?』
聞こえてきたのは今にも消え入りそうな、か細い後輩の声だった。とりあえず生きていたことに安堵し、SOSを発信してきた岡田くんに声を掛ける。
「助けに来たから、とりあえず開けて?」
『……はい』
返事と同時に自動ドアみたいなガラス扉がゆっくり開いた。
『玄関、開いてるんで、勝手に入って、ください』
「わかった」
しゃべるのも億劫なほどしんどいのか。わたしは足早にエレベーターへ乗り込み、『20』のボタンを押して『閉』を連打した。だからと言って早く着くわけではないが、心配だという気持ちが
先週も来た通り、最上階の角部屋へ急ぐ。玄関にも付いている呼び鈴を一応鳴らして、言われた通り勝手にドアを開けた。
「岡田くーん、相生でーす。お邪魔しまーす」
どこにいるか分からないので、大きめの声を出して上がらせてもらう。
入って右手が寝室だと、先週教えてもらっていたので、ノックをして開けたが、ベッドに人影はなかった。
リビングまで進むと、ソファの上に寝転がっている人が見えた。岡田くんだ。
「岡田くん、大丈夫?」
駆け寄って傍らにしゃがみ込むと、顔を真っ赤にした岡田くんはうっすら目を開けた。
「大丈夫じゃない……」
でしょうね。
汗がすごいので、タオルを借りて首から上を拭いてやる。寝室のクローゼットから勝手にパジャマを出して着替えさせた。文句を言われるかと思ったが、岡田くんは促されるまま服を脱いだり着たりするので、不謹慎ながら笑いそうになった。思考が相当鈍っているらしい。佐野部長に続き、岡田くんの意外な一面を見れたことに、なぜだか嬉しくなった。
「なんか、酒臭い……」
嬉々として岡田くんに近付いたばっかりに、飲酒して来たことがバレてしまった。まぁたいして酔ってはないし、元々今日は飲み会だったのだ。問題は無いだろう。
「うん。さっきまで佐野部長と飲んでた」
岡田くんが脱いだ服を床で畳みながら答えると、買ってきたスポーツドリンクのペットボトルを開けた岡田くんは少し怒った声で「2人で?」と言った。
「うん。だって、岡田くん風邪引いて休んでたし。佐野部長はまた今度にしようって言ってくれたけど、部長と話したかったし、予約までしてくれてたからちょうどいいかなって」
なんだかよく分からないが、視線が鋭い。ソファに座ってスポーツドリンクを飲みながら、視線だけは床に座るわたしに注がれているので、鋭さがエグイ。身体を貫通するんじゃないかっていうくらい鋭利だ。
「と、とりあえず薬飲むために雑炊作るから、これ貼って横になってて」
いたたまれなくなって、買ってきた冷感ジェルシートを岡田くんのおでこに勢いよく貼り付けた。顔を赤くさせた後輩は何か言う気力も湧かないのか、小さくため息をついて大人しくソファに横になった。あ、寝室に連れて行けばよかった。まぁいいか。キッチンから見えるし。
わたしは洗濯機に岡田くんの着ていた服を放り込んで、キッチンへ立った。
ボウルに卵を割り入れて溶きほぐし、鍋にしょうゆと和風顆粒だしと水とご飯を入れて中火で煮立たせる。卵を少しずつ回し入れ、蓋をして卵が固まるまで弱火で1分煮て完成。ふんわり卵と和風だしの優しい味がごはんによく合うはずだ。食べてくれるといいな。
ローテーブルに鍋敷きを置いて、その上に卵雑炊の入った鍋を置く。なおもしんどそうな形相で長い睫毛を伏せている岡田くんを、軽く揺さぶった。
「寝てるとこ申し訳ないんだけど、薬飲まなきゃいけないから、起きて食べてくれる?」
うっすらと目を開けた岡田くんは、小さく頷いて上体を起こした。ボーっとテーブルの上に置かれた鍋を見ている。ゆっくりと視線をわたしに移した彼は、小さく口を開けた。
ん? なに? 何を訴えているんだ?
「岡田くん?」
食べないの? と聞くと、彼は鍋を指して自分の口元を指した。そこでようやく理解する。
ああ、食わせろと。ん? いつぞやもそんなことを要求されたような……?
岡田くんはトロンとした目で口を開けたまま、わたしを見ている。
『あとあの子、甘え方を知らないから、年上である朱莉さんに甘えさせてあげて欲しいな』
いつか麻里子さんに言われた言葉を思い出した。どの辺が甘え方を知らないというのだろう。今めちゃくちゃ甘えられてますけど?
まぁ今日は特別だ。お椀に少量の卵雑炊を入れてレンゲで掬う。フーフーして岡田くんの口元に持っていくと、パクッと食べた。しばらく咀嚼してゴクン、と嚥下する。
「美味しい」
普段無愛想なのに、弱っている時は表情筋が緩むのだろうか。微かに笑った岡田くんに、わたしの心臓は大きく跳ねた。か、可愛い……
体温計が無いので何度あるのか知らないが、高熱ってすごい。しんどそうなところ申し訳ないが、毎日そのくらい表情筋が緩んでくれればありがたいな。
「よかった」
レンゲで掬っては口元へ運ぶという動作をいくらか繰り返し、全て平らげた。食欲はあったみたいで一安心する。
「じゃあ後は薬飲んで」
ドラッグストアで買ってきたカプセルの薬とコップに入れた水を差し出すと、岡田くんは小さく首を横に振った。
「薬飲まないと熱下がらないから……」
今まで素直に着替えたり雑炊を食べたりしてくれたのに、なぜ服薬だけ拒否するのか。あ、もしかして粉薬じゃないと飲めないとか?
そう聞いたが、岡田くんは再び首を横に振った。え、じゃあなんで。
ソファに座る岡田くんに、その下の床に座っているわたしは膝を立てて手に持った薬と水を押し付けると、彼はわたしの顎の下に人差し指を持ってきて、クイと持ち上げた。自然と顔が上を向く。
「口移しで飲ませて」
下を向いた岡田くんのおでこに貼った冷感ジェルシートの端が、重力でめくれた。眼鏡を掛けていないことに今気付く。若干虚ろ目なのに、また吸い込まれそうになって咄嗟に後ずさった。
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