第22話
「も、もっと分かりやすいのにしてくださいよ」
「あはは、ごめんごめん。俺、相生さんには結構弱み見せてるつもりだけどなぁ。でも、気にしてくれてありがとね」
「全然です。佐野部長こそわたしのこと気にかけてくれてありがとうございます。頼りない部下ですけど、何でも言ってくださいね」
心の底からそう言うと、佐野部長は少し寂しそうな顔をして、ジョッキグラスを傾けた。5回ほど喉仏を上下させ、トン、とグラスを置く。
「佐野部長、ね。去年まで佐野さんって呼んでくれてたのに、昇格した途端佐野部長って呼ばれるようになって、ちょっと寂しかったんだよ? 先輩後輩という関係が、急に上司と部下っていう遠い関係になったみたいで」
少し顔を赤らめる佐野部長。どうやら酔っていらっしゃるらしい。意外な一面を見ることが出来て、わたしは気を良くした。
「今更佐野さんなんて呼べませんよ。でも、わたしは今も昔も佐野部長は上司というより、先輩だと思ってますよ? 生意気かもしれませんが」
部長は立派な部長で、いち平社員のわたしが馴れ馴れしく上司じゃなくて先輩だなんて言っていいのか分からなかったが、遠い存在になったと思われてしまったなら弁明せねばなるまい。入社した当初から非常にお世話になっているのだから、いい関係を保ちたい。
佐野部長は「本当?」と小首を傾げた。
「本当です。むしろ佐野部長の方がわたしのこと後輩というより、部下だと思ってるんじゃないですか?」
「そんなわけない」
佐野部長はいったん言葉を切ると、再びビールをあおった。おお、いい飲みっぷりですね。
ジョッキの中身が空になりそうだったので、呼び鈴を押すと、佐野部長はボソリと呟いた。
「むしろ後輩以上に思ってる」
「えっ」
後輩以上って、どういう意味? 真っ直ぐ見てくる佐野部長に、ドキリと小さく心臓が跳ねた。
数秒見つめ合って、突然佐野部長が「えっあっいや」と慌て始めた。
「違う、いや、違わなくないけど、妹っていうか、家族みたいというか……」
ああ、なんだ、妹か。ビックリした。そりゃそうか。だってわたしと佐野部長は7歳も年が離れているのだ。妹みたいだと思われても仕方ない。というか、むしろ佐野部長の妹って、めちゃめちゃいいポジションじゃないか? これは優子に自慢出来る案件かもしれない。
「光栄です。相生、佐野部長みたいなお兄ちゃん、欲しかったな」
「あ、お兄ちゃん……うん、俺も光栄だよ」
佐野部長は頬を掻いて苦笑した。
それから佐野部長は2杯、わたしは1杯追加で飲んで、なんと3時間もおしゃべりをしていた。会話が弾む人と飲むと、時間なんてあっという間に過ぎる。
午後9時半に魚蔵家を出た。
「俺代行で帰るけど、乗ってく?」
「いえ、反対方向なんで大丈夫です。まだ終電でもないですし」
「でも夜だし、週末だし心配だな……タクシー代出すからタクシーで帰る?」
そう言って財布から1万円札を出そうとするので、わたしは両手で制した。
「飲み代も奢ってもらってタクシー代もなんていただけません」
「でも……」
「もう、心配性なお兄さんですね。大丈夫ですよ。妹は28歳なんで、心配するようなことに巻き込まれることはありませんよ」
自分で言ってて虚しくなるが、悲しいかな、今までナンパだとかそういった類のお誘いは受けたことが無い。もちろん痴漢もされたことはない。
優子は幾度となくあるらしいが、やはりわたしにはそういう魅力というものがないのだろう。自覚しているので別にいいけど。
「そう? でも、何かあったらすぐ連絡してよ? 飛んで行くから」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
ご飯もご馳走様でした、とお礼を言ってわたしと佐野部長は別れた。
なんだか今日は佐野部長とたくさん話せてよかったな。空を見上げると、白い三日月が暗い夜空にぷかりと浮かんでいた。
すっかり夜になった外は、風が吹いていて気持ちがいい。優子に佐野部長とサシで飲んだことを自慢してやろうとほろ酔い気分でスマホを取り出してから、誰かからメッセージが来ていることに気付いた。
『たすけて』
平仮名たった4文字なのに、緊張する文言だった。差出人は『岡田彗斗』。
嘘でしょ。風邪ごときで死にかけてんの?
受信時間は午後6時半。佐野部長と魚蔵家に入った時間だ。3時間も経過している。
わたしは慌てて電話を掛けた。
プルルル プルルル
無機質な呼出音が続いて中々出ない。もしかしてもう
嫌な予感が頭をよぎる。わたしは第六感が優れているのだ。身震いして、とりあえず安否確認をせねば、と岡田くんの家に向かうことにした。
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