第18話

「相生さん、岡田くん」


 翌日。あと1時間で昼休憩という時間に、笑顔の佐野部長がわたしたちの元へやってきた。


「はい?」

「今週の土曜、仕事終わりに3人で飲みに行こう!」


 白い歯を見せて親指まで立てる佐野部長。キラーンという効果音が聞こえそうだ。お、早速予定を立ててくださったのですか。もちろんわたしは断らない。同じように親指を立てて頷いた。


「行きましょう!」


 佐野部長とともに岡田くんを見る。2人同時に見るものだから、岡田くんは眉をひそめてわたしと佐野部長を交互に見た。


「なんですか」

「今週の土曜、仕事終わりに3人で飲みに行こう!」


 再び佐野部長が親指を立てる。


「さっき聞きましたよ」


「岡田くん、佐野部長が誘ってくださってるんだよ。返事しないと」


 さぁほら、とわたしも佐野部長も岡田くんに返事を促す。


 はたから見たら後輩をイジメている先輩みたいな構図だが、イジメているわけではない。


 穴が開くほどわたしと佐野部長に見つめられた岡田くんは、小さく息を吐いた。


「はい、行きます」


 はい言質取れましたー!


 わたしと佐野部長は顔を見合わせて、微笑み合った。やりましたね佐野部長!


「あ、佐野部長」


 ちょうど佐野部長に用事のあったわたしは、誘いに来てくれたついでに用事を済ませることにした。足元のカゴからお弁当箱の入った保冷バッグを取り出す。


「昨日言ってた筑前煮、作ってきたのでよかったら、どうぞ。ついでにほかのおかずも白米も入ってるので、お昼にでも食べてください」


 佐野部長に差し出すと、部長は目を丸くして驚いた顔をした。


「え、本当に作ってきてくれたの?」

「はい。作るって約束したんで」


 わたしからおずおずと保冷バッグを受け取った佐野部長は、徐々に顔を綻ばせた。


「ありがとう! お昼にいただくね」


 そう言って、そのまま総務部から出て行った。


 喜んでくれてよかった。まだ食べてもらってないけど。


 なんとなく良いことをしたような気分でいると、視線が痛いことに気付いた。隣の岡田くんだ。


「なに?」

「俺にはないんですか」


 めちゃめちゃ睨まれている。なぜそんな人相の悪い顔をするの。ただでさえ無愛想なのに、拍車がかかっている。


「ごめん、頭になかった」


 正直に謝ると、視線が鋭くなった。痛いなー。


「お詫びしてください」

「え、なんの?」

「上司にだけ弁当作って後輩に作らなかったことです」

「はぁ?」


 何言っちゃってんのこの人。


 すると岡田くんはわたしを覗き込むようにして顔を近付けてきた。


 ここは経営管理部の一角。後ろは壁で前にはデスクトップ型のパソコン。他部署からは完全に死角。部長席に佐野部長の姿もない。岡田くんと、2人きり。


 ハッとして視線が合わないように、咄嗟に目を伏せた。危ねぇ、捕らわれるところだった。そう易々と捕まってたまるか。


「朱莉さん」


 低く静かな声が耳に届く。そんなので目を合わせると思うなよ。


 わたしは明後日の方向を見ながら「なんでしょうか」と答えた。


「人と話すときは目を合わせるって、小さい頃に教わりませんでした?」

「さぁ? わたし、記憶力悪いから」

「……馬鹿なんですね」


 カッチーン。


「先輩に向かって何てことっ……」


 思わず岡田くんを見てしまった。挑発に乗るなんて本当に馬鹿だ。がっちり合わさる視線。やられた。


「捕まえた」


 顎を持たれて固定される。向こうで内線電話が鳴って「はい広報部でーす」という声が聞こえた。近付く長いまつげ。


 岡田くんの吐息を感じるまで近付かれたとき、岡田くんとわたしのデスクにある電話が鳴った。ディスプレイには『猫本 北海道支社』。外線電話だ。


 チッと小さく舌打ちをした岡田くんは、ゆっくりとわたしから離れて電話を取った。


「はい、猫本建設工業本社総務部です」


 わたしは勢いよく立ち上がって岡田くんから離れた。そのまま経理管理部を出る。


 ドッドッドッと、心臓の音がうるさい。口から出そう。どうしちゃったのわたし。


 トイレの個室に逃げ込んだ。便座に座って両手で顔を覆う。


 目を瞑れば間近に迫ってくる後輩の顔が浮かんでくる。


 またキスされるかと思った。持たれた顎も熱を帯びる。


 やばいやばいやばいやばい。完全に5歳年下に翻弄されている。


 っていうか、なにあれ。お詫びしてくださいってなに。佐野部長にだけお弁当作って自分になかったからって、普通怒る? それじゃあまるで。


「ヤキモチみたいじゃん……」


 呟いて首を振る。そんな馬鹿な。何言ってんのわたし。


『アレじゃない? 朱莉のこと好きなんじゃない?』


 優子の言っていたことを思い出す。はっ、馬鹿な。自惚れるなんて、28歳にもなって恥ずかしい。アレだ、アレ。きっとカップルを演じたから公私混同しちゃったんだ。そうだよ、23歳なんて、まだ子どもじゃないか。多分、わたしみたいに切り替えが上手くいかないんだ。そうだそうだ。


 ひとりで考えて納得した。心臓の鼓動も落ち着きを取り戻す。ふぅ、仕事に戻るか。便座から立ち上がったと同時に、ポケットに入れたスマホが鳴った。メッセージのようだ。


 ポップアップを見て、わたしは再び便座に座ってしまった。差出人は『麻里子』。


『先日はどうも。岡田慧斗の姉の麻里子です。突然だけど、今日の仕事終わり、時間ある? ちょっとお茶しない?』

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