第17話

「お疲れ様でした。お先に失礼します」


 午後6時。定時きっかりに岡田くんがそう挨拶して、会社を後にした。誰とも一緒に帰りたくないのか、彼は1人でさっさと帰る。やっぱり人間があまり好きではないみたいだ。


「ふぅ」


 今日の岡田くんも絶好調に無愛想だった。『朱莉さんには心を開いたつもり』と言ってくれたので、色々話しかけてはみたが、ほとんど「はい」か「いいえ」の2択返しで会話が続かない。あの偽恋人は本当に演技だったんだと痛感した。


 お疲れーと挨拶が飛び交う管理部。わたしも帰ろ。床に置いたカゴからカバンを取って立ち上がり、部長席でパソコンと睨めっこしている佐野部長に声を掛けた。


「佐野部長。お疲れ様でした。お先に失礼します」


 すると、佐野部長は弾かれたように顔を上げ、腕時計を見た。


「え、もうそんな時間? うわ、本当だ」


 めっちゃ集中してた、と眉尻を下げて苦笑した。焦っている佐野部長、可愛い。


「では、失礼します」


 頭を下げて出て行こうとしたら、佐野部長は「あ、待って相生さん」と、机の上のものを慌ててかき集めてトントンして、立ち上がった。


「俺も電車だから、一緒に帰ろう」


 外に出ると、定時上がりの職員たちがぞろぞろと帰宅の途についていた。わたしと佐野部長も隣同士並んで歩く。


「佐野部長、車通勤でしたよね? どうして今日は電車なんですか?」

「車検に出してて、代車がちょうど出払ってたみたいで、借りれなかったんだよね」


 代車がないなんて、そんな車屋あんのか。わたしは自分の身分証明として免許は取得していたが、車を運転したことはない。故に車に関しては全くと言っていいほど無知なのだが、愛車を車検に出せば代車が必要になることくらいは知っていて、車屋はそれが仕事なんじゃないかとも思っていた。


 わたしの訝しげな視線に気付いたのか、佐野部長は苦笑した。


「昔からの友人が小さな車屋を経営しててね、いつもそこに頼んでるんだ。今回はたまたま他の人と車検がかぶって、代車を譲っただけだよ。俺は別に電車通勤しても構わないからね」


 なるほどこうして佐野部長は好感度を上げていくのか。わたしは佐野部長と5年の仲なので、佐野部長の好感度はとうにMAXを超えている。これ以上上げてどうするんですか部長。


 下りの階段に差し掛かったところで、そういえば、と話しかける。


「朝、岡田くんと一緒に出勤されてましたけど、距離縮まりました?」

「うーん。あんまり話せなかったからなぁ」

「すみません、同期の田村優子のせいですよね」

「あ、いや、違う違う。会話がね、続かないんだよね」


 心を開いてると言われたわたしでさえ、長い会話にはならない。同性に対しても無愛想なのか。


「人見知り激しいですよね」

「うーん、人見知りというよりかは、単に俺のこと苦手そうというか、好きじゃなさそうというか」


 以前、岡田くんが佐野部長のことを苦手だと言っていたことを思い出した。常に笑顔で何考えているか分からないのが苦手だと。


 さすが佐野部長。自分がどう思われているか察する能力まで身に付けているとは。わたしは尊敬する以外できない。


「でも、今日話し掛けてきてくれたのは岡田くんだから、それは嬉しかったな」


 そう聞いて、わたしはハッとした。佐野部長が苦手だという岡田くんに佐野部長の素晴らしさを語ったとき、『朱莉さんがそう言うなら、もう少し歩み寄ってみます』と言ったのは岡田くんだった。それで本当に歩み寄っていったんだ。会話が続かなかったということだが、佐野部長はどこか嬉しそうだ。


 それを見てわたしまで嬉しくなった。素直にわたしの言ったことを受け止めてくれて、苦手な人に自ら話しかけに行くなんて可愛いところあるじゃん。


「ご飯はいつ行かれるんですか?」

「ん? そんな話はしてないよ?」

「え、相生、ご飯楽しみにしてるのに」

「はは、分かったよ。今週末にでも3人でご飯行こう」

「やった~! 佐野部長好きです!」


 階段を下りきって、歩道に差し掛かる。歩き始めて「あ、そういえば佐野部長」と振り返って、初めて部長が立ち止まっていることに気が付いた。何してるんだろう?


「佐野部長?」

「え、あ、いや、あの、えっと」


 こんなにうろたえている佐野部長を見たのは初めてだった。しかも、若干顔が赤い。首を傾げると、目を逸らされた。そして、小さな声で言った。


「好きって、言うから……」


 他部署の事務員さんやスーツ姿の営業マンが、立ち止まっているわたしたちを一瞥して通り過ぎていく。


 今度はわたしが顔を赤くする番だった。え、待ってよ。


「ち、違いますよ。人間性が好きっていうか、そういう、変な意味ではないですよ?」


 言いながら変な意味って何だと自分でツッコむ。っていうか今の会話の流れで恋愛的な意味で「好きです」なんて告白しないでしょ。佐野部長って、もしかしてめっちゃピュア⁉ え、そうだとしたらめっちゃ可愛い! ちょ、優子に報告してあげよ。


 いろいろ考えていると、佐野部長は恥ずかしそうに鼻の頭を掻きながら歩き始めた。


「勘違いも甚だしいよね。恥ずかしい話、女性と付き合ったことあるの、20歳の時に1回だけなんだよね」

「奇遇ですね。わたしもなんですよ。しかも、半年しかもたなかった」

「はは、一緒だ」


 横断歩道を隣同士で渡る。


「じゃあ、部長も結婚願望はないんですか?」


 嬉々として訊いてみたが、佐野部長は首を横に振った。


「いや、それはある。結構ある」

「へぇ。じゃあ、好みの女性は?」

「うーん、そうだな……ありきたりだけど、優しくて家庭的で、一緒にいて楽しい人かな」


 優子さん残念です。家庭的というところがあなたに当てはまりません。


「そういえば相生さんは毎日お弁当持ってきてるよね。自分で作ってるの?」

「ああ、はい。好きなんです、料理。それしか取り柄ないし」

「すごいな。得意料理は?」

「んー、筑前煮、ですかね」

「いいね、俺好き。今度作ってよ」

「いいですよ」

「やった」


 そんなんで喜んでくださるなら筑前煮1年分くらい作りますけど。


 気が付けば改札前まで来ていた。話してるとあっという間だな。


「では、お疲れさまでした」

「うん、お疲れ様。また明日」


 佐野部長とは方向が反対なので、改札をくぐって別れた。

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