第16話
「いやぁ昨日の夜から美味しいご飯をご馳走様でした」
翌日。昨晩優子がそのまま泊まったので、一緒に出勤していた。
優子も1人暮らしのくせに、家事はどうも苦手らしい。自炊もあまりせず、コンビニ弁当やスーパーのお惣菜などで過ごしているみたいだ。それでよく『結婚したい』って言えるな。
昨日の夜は優子が『ビーフストロガノフが食べたい』と言って聞かなかったので、牛バラ肉とマッシュルームとデミグラスソースと赤ワインと生クリームを買いに行き(ほとんどの材料が家に無かった)、有塩バターで材料を熱し、デミグラスソースや赤ワインなどを入れて弱火で15分煮込んで作った。
今朝は『鮭定食が食べたい』と言って聞かなかったので、フライパンにアルミホイルを敷いて温めないまま鮭を乗せ、中火で約3分焼き目をつけて、ひっくり返して蓋をして中火で3分。蒸し焼きにすることで身がふっくらと仕上がるのだ。あとは大根おろしを添えて、味噌汁ときゅうりの浅漬けを付けた。
まぁどれも『美味しい美味しい』と言って食べてくれるので、作り甲斐はあるけれど。料理好きだし。
赤信号の横断歩道前で何人かが立ち止まっている。その中に見知った2人を見かけ、わたしはドキッとした。佐野部長と岡田くんだ。隣同士に立つ2人は、何やら話をしている。少しだけ佐野部長の方が背が高い。
ん? 佐野部長がなんでここに? たしか車通勤だったはずなのに。
「やーん佐野部長じゃん! 朝から爽やかなオーラを拝めて眼福!」
優子は両手を組んで目をハートにした。ちょ、声がでかい……
「あれ、相生さんだ。おはよ」
気付かれてしまった。仕方がないので2人の近くへ行く。
「おはようございます。岡田くんも、おはよう」
無視するわけにもいかないので、後輩にも挨拶をする。彼は小さく頭を下げて「おはようございます」と無表情で返してきた。ああ、これは何とも思ってないやつだぞ。
「あれ、君は確か……」
佐野部長は優子を見てニッコリ笑った。
「営業部の田村優子さん」
「わぁ! 佐野部長に知っていただけているなんて光栄ですぅ!」
目をより一層輝かせた同期は、ワントーン高めの声で佐野部長の隣に並ぶ。あ、こいつ次の狙いは佐野部長にしやがったな。
信号が青になり、みんなで渡り始める。優子は佐野部長にベッタリで、自然とその後ろで岡田くんと隣同士になってしまった。気まずいけど、ここで先輩のわたしが黙ったままでいるわけにはいかない。とりあえず口を開いた。
「あの、昨日はありがとね。お母さんの対応をしてくれて……」
「いえ、俺も彼女役してもらったんで、気にしないでください」
会話終了。横断歩道の真ん中あたりでわたしと岡田くんは沈黙になった。前を歩く佐野部長と優子は顔を見合わせて会話をしている。その横顔を睨むように見ていると、優子が軽くウィンクしてきた。なんだそれどういう意味だ。
「朱莉さん」
横断歩道を渡り切り、左側前方に猫本建設工業本社ビルが見えてきた頃、岡田くんに呼ばれた。
「うん?」
「姉貴に、朱莉さんの連絡先を知りたいって言われたんですけど、教えてもいいですか」
「いいけど別に……」
承諾して本当にいいのかと思った。だって、わたしと岡田くんは結婚しないための偽物カップルなのだ。お姉さんと仲良くしたところで、わたしたちが家族になることは絶対にない。まぁ、連絡先くらいいいか。岡田くんに何かあった時の為の緊急連絡先が増えるだけだと思おう。
「ありがとうございます」
律儀にお礼を言われて、「あぁ、いえ」と素っ気ない返事しか出来なかった。
***
我が猫本建設工業㈱本社、経営管理部本部総務部のお仕事は、大きく分けて3つある。
まず、社員管理。
総務といえば新入社員の管理と退職者の管理だろう(多分)。社会保険の手続きや社員証の作成・回収、社員情報の管理などを行う。給与関係は経理部が行うので、経理部が作成してくれた有休管理表をもらって、使用していない人に使用を促すこともする。
あとは健康診断の予約なども行う。
2つ目は、備品管理。
本社ビル9階にある備品管理室に、文房具や洗剤、掃除用品などといった消耗品が置いてある倉庫があって、週に1回、その備品の在庫チェックを行う。持ち出し記録も確認して、書いてないのに減っているものはないかなどもチェックする。これを黙々とやっていると、棚卸業者みたいな気分になる。棚卸って何かよく分かってないけど。
あとの備品管理といえば、給湯室のコーヒー豆や紙コップ、コピー機やパソコンなども管理する。
3つ目は、社内の風紀管理。
電球等切れていないか全フロアの確認作業や、投書箱のチェック、あとはセクハラ相談窓口も総務部が担当している。
あとは郵便物の仕分けやお中元、お歳暮、年賀状などの発送、領収書のハンコ付き、名刺作成など書けば大したことないが、やってみると大変な仕事量をこなしているのが、総務部だ。基本、縁の下の力持ちの立場なので、そんな細かいことまでやってるんだ、とよく言われる。
わたしが入社した頃は財務部がまだなかったので、資金調達や監査対応など今の財務部の仕事までやっていた。そう考えると、だいぶ仕事量が減った。
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