無愛想後輩ができあがるまで
第15話
「なんやそれめっちゃおもろいやん!」
優子に助けを求めたわたしは、わざわざ家に来てくれた同期にアールグレイを淹れたマグカップを出した。
どこかの喫茶店にでも落ち合おうとしたが、彼女は暇だからと言ってなぜか1泊用のキャリーケースを引いてうちへやって来たのだ。
どうやら晩御飯と寝床を求めに来たらしい。
「あ、やば、興奮して関西弁出ちゃった」
優子は関西から上京して来た子で、普段は標準語なのだが、興奮したりすると関西弁が出るらしい。普段から使わないのかと聞いたことがあるが、相手をオトす時以外は極力使わないようにしているそうだ。交渉事をするにはギャップを見せなきゃいけないらしい。わたしにはサッパリ意味が分からない。
「笑い事じゃないんですけど」
岡田くんとの一連の騒動を全部話すと、優子は目をキラキラさせ、ニヤニヤして笑った。他人事だと思って面白がってやがる。くそう。
「そもそもお互いに偽装カップルを演じるっていうのが、ウケる。ついこの間まで苦手だっていってたくせに」
「そうなんだけど、なんか頼られちゃったから放っておけなくなって……」
「朱莉らしいけどさぁ。んー、キスかぁ」
「はい……」
なんとなくいたたまれなくなった。自分で淹れたアールグレイを口に含んで気持ちを落ち着かせる。うーん紅茶の匂いが鼻に抜けていい感じ……
「アレじゃない? 朱莉のこと好きなんじゃない?」
「ぶはっ」
「汚っ!」
盛大に噴いた。ローテーブルに雫が垂れる。慌ててティッシュを何枚か引き抜く。
「そんなわけないでしょ! あの人、結婚願望ないんだよ?」
「バカね。付き合いたいってのと結婚したいってのは違うのよ。好きイコール結婚だなんて幼児か」
「わたしは彼氏はいらん!」
「じゃあ本人に聞きなさいよ。どうしてキスしたの? って」
「聞けないからモヤモヤしてるんじゃん!」
気付けばテーブルの上にティッシュの山が出来ていた。ああ、勿体ない。無駄に引き出してごめんね、ティッシーズ。
優子は小指を立ててマグカップを傾けた。
「なんで聞けないの? 許可なくキスしてきたんだったら、セクハラで訴えることも出来るんじゃないの?」
セクハラ。それは盲点だった。そうか、これはセクハラ行為なのか。
優子は「でも、それには条件がある」とカップをテーブルに置いた。
「キスされて、嫌だった?」
「え?」
「嫌だったの?」
「…………」
わたしは首を傾げた。言われてみれば、わたしはどう思ったのだろう。『キスされた』という行動だけに衝撃を受けて、それ以外のことは考えていなかった。
腕を組んで考える。
ポク、ポク、ポク、チーン。
「分かりません」
早々に投げ出した。頭で考えることは、わたしの性に合わない。優子は呆れたのか、小さく首を横に振って「これだから処女は」とため息をついた。
「じゃあ、『年下イケメンからキスされてラッキー☆』って思っときな。そんで、忘れろ。あんたの得意技でしょうが」
それ処女関係なくね? 励まされてんのか
「あ、忘れる前にキスされた状況を再現してみてよ」
「嫌だよ! 忘れるんだから」
「いいじゃん、1回だけ! 再現終わったら忘れていいからさ」
ほらほら、と手で促される。そんなの知ってどうすんだ。しばらく攻防は続いたが、粘着質な優子に負けて、わたしは「もうっ」とベッドに寝転んだ。
「わたしがここで大の字になって……」
説明を始めると、すぐに優子の「待て」が飛んできた。
「朱莉が自らベッドに寝転んだの?」
「うん。そうだよ」
「それ、『襲ってくれ』って言ってるもんよ?」
「え、そうなの? 自分ちだし、くつろげるからそうしたんだけど」
すると特大なため息をつかれた。そよ風がおでこを掠める。
「これだから処女は」
これは処女関係あるか。そういうのに疎くてごめんなさい。
「以後気を付けます」
「うん。で、イケメン新人はどうしたの?」
「ここに腰掛けて、わたしの右耳付近に手を置いて……」
わたしが手で岡田くんが腰掛けた所を指し示すと、優子はギシと近くに座る。そして手をついた。
「こうか」
急にドアップの優子が現れた。近っ!
ポニーテールに束ねられていない触角と呼ばれる、顔に沿うように垂らされた髪が、わたしの頬を撫でた。マスカラを付けた睫毛、ラメの入ったアイシャドウ、ふっくらした涙袋、薄桃色のチーク、ゼリーみたいにプルプルな唇、甘いシャンプーの香り──同性でも変な気分になる!
「優子、近い」
そっと顔を背けてそう言うと、優子は「イケメン新人くんとはもっと近かったんでしょ」と言ってベッドから離れた。わたしもゆっくり身体を起こす。
「あんた、隙見せたら喰われるよ」
腕を組んで仁王立ちで忠告された。
「恋愛マスターのお言葉、しかと受け止めます」
わたしは忠実な執事のように胸に手を当てて頭を下げた。
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