第14話

曇り空の日曜日。午後1時。


「何よ。彼氏いるならちゃんと言いなさいよ」


 ワンルームアパートの一室。丸いローテーブルを、わたしと母と岡田くんの3人で囲んで正座をしていた。


 昨日はわたしが岡田くんの彼女役をやり、今日は岡田くんにわたしの彼氏役をやってもらっていた。事前に母には言っておらず、家に来て知らない男が居たので軽く悲鳴を上げられた。イケメンが地味な娘の家に居たので、多分黄色い悲鳴だったのだと思う。


「岡田くん、だっけ。こんな朱莉のどこを好きになったの?」


 こんなってどんなだ。自分の娘に失礼じゃないか。


「明るいところと、何事も一生懸命で、俺が悩んでたら一緒に解決策を考えてくれるところです」


 昨日と寸分変わらぬ回答に、思わず笑いそうになった。無表情なのは変わらないが、イケメンなので母は特に気にならないようだ。


「朱莉は岡田くんのどこが好きなの?」


 来年還暦を迎える母は、若作りの為かファンデーションを塗りたくって首と顔の色が若干違う。その境目を見ながらわたしは答える。


「責任感が強くて、真面目で優しいところ」


 わたしも昨日と同じ回答。2回目ともなるとこんなもんか。棒読みになってないことだけを祈った。


「へぇ。どっちから告白したの?」


 あら、昨日は聞かれなかった質問だ。でもこれも一応用意してあった。岡田くんが答える。


「俺です。一目惚れでした」


 この回答はちょっと揉めた。イケメンに一目惚れする地味子なら分かるが、地味子に一目惚れするイケメンはちょっと疑問視されるんじゃないかと反論したが、なぜか岡田くんが折れてくれなかった。ここは男が一目惚れしたっていうことにした方がいいんです、と押し切られたのだ。


「早く告白しないと、他の人に取られるかもしれなかったので」


 そんなわけない。天と地がひっくり返ってもわたしに惚れる男などいないと断言しよう。しかし、イケメンに言われた母は目を輝かせた。


「まー。ありがとうね、そんなこと言ってくれて」

「いえいえ。朱莉さんは本当に素敵な人ですよ。俺にはもったいないくらい」

「ヤダもう! もったいないのはあんたの方よ!」


 岡田くんは演技派らしい。騙されている母は完全に舞い上がっている。まぁこれくらいしないと見合い話は持って帰ってくれないだろう。


「ちょっと恥ずかしい話をするとね、うち、離婚してるのよ」


 母は急に相生家の家庭事情を話し始めた。


「朱莉が小学1年生の時だったかな。本当にどうしようもない人でね。他所よそで見つけた女の人の方へ行っちゃったんだけど、それでもいいところはあったのよ」


 父のことはあまり覚えていないが、誕生日とかクリスマスとかお祝い事はきちんとしてくれていたことは覚えている。顔も曖昧だけど、抱きしめてくれた温もりは覚えている。


「朱莉に結婚願望がないって言われた時、わたしたちの背中を見てるからそんなこと言ってるのかなって思って。確かにわたしは離婚しちゃったけど、結婚したことは後悔してないし、楽しかった時もあったから、朱莉にも経験してほしくて」


 お母さんは一旦そこで切って、わたしに向き直った。


「しつこく『相手いないの?』って聞いてごめんね」

「お母さん……」


 そうだったのか。本当に心配してくれていたんだ。確かにお父さんとの離婚があって、わたしは結婚しないと決めている節もあった。結婚してわたしが生まれて、お父さんは違う人のところへ行って、お母さんはわたしを1人で育てた。お母さんはシングルマザーで一生懸命わたしを育ててくれたことを知っているから、そんなに辛い思いするなら結婚なんてしたくない、と思っていた。


 お母さんの想いを知ったからといって、すぐに結婚したくなるかと言われればそうではないけれど。結婚も悪くないかもな、くらいには思えた。


「俺は、朱莉さんと結婚したいと思っています」


 岡田くんは黒縁眼鏡のブリッジをクイ、と上げた。その視線は、なぜかわたしに注がれている。


 どうしてこの後輩は、こんなにも真っ直ぐ嘘がつけるのだろう。主演男優賞でも狙ってんのか。


「ヤダっ! もう、ふつつかな娘ですが、どうぞよろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそ」


 三つ指をつく2人。やめて、デジャヴ!


「お見合いは断っとくわね。じゃあ、あとは若い2人で……」


 年寄りが言うようなセリフを残し、お母さんはわたしの部屋から姿を消した。昨日に引き続きドッと疲れが溢れる。


「はああぁぁ。よかったぁ。なんとかお見合い阻止できたぁー」


 思わずベッドの上で大の字になった。自分の家はやっぱり落ち着く。


「お互い阻止出来てよかったですね」


 岡田くんは床に座り、眼鏡を外して服の裾でガラスを拭いていた。


「ホントにねー。あ、そうだ。一応お礼させてよ。付き合わせちゃったお礼」

「それはお互い様じゃないですか? トントンでしょう」

「まぁそうなんだけど、ほら、お母さんがちょっと岡田くんに絡んでたから」


 ご飯でも奢らせてよ、と岡田くんの方へ目を向けると、いつの間に来てたのか黒縁眼鏡を外した岡田くんは、ベッドサイドに立ってわたしを見下ろしていた。


「ご飯よりこっちの方がいいな」


 そう言ってギシ、とベッドに腰掛けた岡田くんは、わたしの右耳付近に手をついた。電気の光が遮られ、岡田くんの顔がドアップで映し出される。


 見つめられてまた、捕らわれた。揺るぎない瞳に吸い込まれる。眼鏡という遮るものが無い分、余計に引き込まれてしまった。


 逃げようと思えば、逃げれる時間は充分にあった。それなのに逃げれなかったのは、真っ直ぐな瞳を逸らせなかったからだ。見つめ合って数秒。近付く影。


 静かに、唇が合わさった。


「ご馳走様」


 ゆっくりわたしから離れた岡田くんは、それだけ言ってテーブルに置いた眼鏡を掛けて、わたしの部屋から出て行った。


 2、3回大きく瞬いて、目を見開く。


 え、え、え、えなになになになに。なにしたあの人なにされたわたし。


 仰向けのまま、指先で自分の下唇を触る。前にキスされた時と同じ感触。

 思い出して一気に身体が熱くなった。


 なに、なんで、どうしてこんなことをしてくるの。1度だけならまだしも2度も!


 いや、無許可だから1度でもダメだけど。じゃあ許可があればいいのかって言われたらそういうわけでもなくて!


 分からん。全然分からん!


 わたしはガバっと起き上がってスマホを手に取った。時刻は午後2時半。


 メッセージアプリを開いて文字を打とうとして、やめた。電話マークのボタンに触れて耳へ持って行く。


 5コール目で『はいこちら優子様ぁ』と気の抜けた声が聞こえた。


「優子様ぁ! 我をお助けくださいぃぃぃっ!」

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