第11話

「え、お姉さんって何やってる人?」

「アパレル会社の社長です」


 社長……そうか、だから弟にマンションを贈ることできるのか。


「何歳?」

「33」


 うへぇ。若女社長だ。


 ん? 33歳? 岡田くんが確か23だから、10歳差だ。まぁ家庭にはそれぞれの事情があるから、突っ込むところではないか。


「一応、こっちに皿とコップがあります」


 キッチン周りの説明と、お手洗い、お風呂場の場所なども教えてもらい、とりあえず部屋の全貌を見た。2LDKの広いお家。必要最低限のものしか置いておらず、物が少ないので余計に広く感じる。掃除もきちんとしているのか、ゴミが落ちていることはなかった。


「岡田くん、本当にここに1人で住んでるの?」


 イケメンのくせに結婚に興味ないと言っていたことを若干疑っているわたしは、女の影がないか目を凝らしていたが、どうも無さそうだった。キッチンで来客用のカップを出しながら、ノリで聞いた質問に、向かい側にいた岡田くんは軽く睨んできた。


「慧斗」

「え?」

「一応カップルだから、慧斗って呼んで」


 言いながらこちらに回ってくる。


「いや、まだお姉さん来てないじゃん」

「慣れとかないと、ボロが出る」


 後ろに立った岡田くんは、わたしの耳元で囁いた。


「ほら……朱莉」


 今まで聞いたことのない低い声が鼓膜を揺らし、ゾワッとした。囁かれた耳から顔が、みるみる熱を帯びる。


 振り返って視線が合わさった時、捕らわれた、と思った。蜘蛛の巣に引っかかってしまったかのように身動きが取れない。時計の秒針が刻む音がやけに大きく聞こえた。


 見つめ合っているのに何を考えているか分からない岡田くんの瞳には、うろたえているわたしが映っている。何秒、いや何分見つめ合っていただろう。


 わたしは自分の意思とは関係なく「慧斗」と呟いていた。


「上出来」


 フッと鼻で息を漏らした岡田くんは、わたしから離れてモニターの方へ向かった。いつの間にか呼び鈴が鳴っていたようだ。


 はああああぁぁぁっ!


 顔を覆ってしゃがみ込む。いくらフリとはいえさすがに照れる。っていうか、何アレ。催眠術にでも掛けられたのか? 無意識に呼び捨てで呼んじゃったよ。お姉さんの前では『さん』付けしないといけないよね。うわ、怖っ! いや、でも本番はこれからだ。『結婚に興味ない同盟』を結んだ以上、与えられた仕事はキッチリとこなさなくては。


「今開ける」


 岡田くんがモニターを操作する。わたしは立ち上がって両頬を軽く叩いた。

 よし、お姉さんにお見合い話を撤回させるぞ!



 だだっ広いダイニングのテーブルに着席した3人。窓を背にわたしと岡田くん。岡田くんの前にお姉さん。


「この間はどうも。慧斗の姉の麻里子です」


 この間見た容姿と寸分変わらぬ美貌に、眩しくて目が眩みそうになった。前回は夜だったので分からなかったが、肌はつやつやで身に付けている装飾品が高級そうなものばかりだ。指には大きな指輪がイチ、ニィ、サン。ブレスレットやネックレスも眩しいほど光っていて、出るとこ出て引っ込むところは引っ込んでいる、わたしのような凡人には関わることがない人種だ。言われてみれば社長オーラが出ている気がする。


 天に向かって伸びている長い睫毛の目はキリっとしていて、意志の強さを象徴してるようで、きつそうな見た目に気圧されながらも、わたしは胸を張って顎を引いた。


「先日は大変失礼いたしました。慧斗さんとお付き合いさせていただいております、相生朱莉です。よろしくお願い致します」


 頭から腰をまっすぐ伸ばして45度下げ、イチ、ニ、のカウントでゆっくり起こす。そして神妙な面持ちで顔を上げた。いわゆる最敬礼。心から詫びるときに使うお辞儀。


 あまりにもうやうやしかったのか、お姉さんも岡田くんも面食らった顔をした。よし、掴みはバッチリだ。大学の頃勉強した秘書検定準一級がこんなところで役に立つとは(落ちたけど)。


「朱莉さん、ね。あ、これ、買ってきたからみんなで食べましょ」


 どこかで見た紙袋を、お姉さんはわたしに差し出してきた。「ありがとうございます」と受け取りながら席を立って、キッチンへ向かう。


 紙袋から中身を出して、叫びそうになった。そこには要冷蔵シールが貼られた白い箱で、その中には一昨日佐野部長が買ってきてくれたhitotoseのチーズケーキが3切れ入っていた。1週間で2回も食べられるなんて……! わたしはラッキーガールだ。

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