第10話
翌日午後1時。わたしは目の前にそびえ立つマンションを、ただ見上げていた。
岡田くんの住所が記載されたA4用紙と、地図アプリに入力した住所を、100回は見直した。1字も違わない住所に、地図アプリは『目的地に到着しました』と抑揚のない声で教えてくれた。
ここは……いわゆるタワーマンションというやつですか? 正面玄関は重厚そうな扉で、駐車場から出てくる車は高級車ばかり。新人のサラリーマンが住んでいるとは到底思えない。
間違っているとは思いつつも、何度見ても地図アプリがここを指しているので、とりあえずピンポンを鳴らしてみようとエントランスに入った。
大きな宅配ボックスの奥に自動ドアのようなガラス扉がある。部屋は20階の2000号室だと教えられていたので、とりあえずエレベーターに乗ろうと思って辺りを見回すが、それらしき箱がない。こんなに高級そうなのに階段なのかと思ってそれも探すが、どこにもなかった。このガラス扉の奥かな?
前に立つが開かない。引いてみて再び前に立つが、ピクリともしない。あれ、もしかして平凡な人は入店お断り系?
先日、岡田くんのお姉さんに会った時『地味だ』と言われてしまったので、今日は初夏らしい水色のワンピースを着て、お化粧もそれなりにしてきた。ショートボブの髪の毛はハーフアップにして、耳には貝殻のイヤリングまで着けてきたのに。
しばらくドアと格闘していると、向こう側から黒縁眼鏡を掛けた人がやって来た。ウィン、とドアが開く。
「何してるんですか」
白いシャツに水色のジャケットを羽織り、アンクル丈のジーンズを履いた後輩は、白馬に乗った王子様さながらの出で立ちで、少し見惚れてしまった。あ、私服姿見るの初めてだ。岡田くんがわたしの前まで来ると、ドアは静かに閉まった。
「朱莉さん?」
ハッと我に返って答える。
「あ、いや、その、ドアが開かなくて困ってた」
「自動じゃないですよ。これで呼び鈴鳴らして、部屋の住人が開けるんです」
岡田くんがそう言って指差したのは、ドアの前に置かれているボタンと液晶画面が付いた操作盤だった。
「ここに『2000』と打って呼出ボタンを押すと、その部屋と繋がるので、部屋のモニターで解除してここが開きます」
今は閉まっているドアを指す岡田くん。へぇ、さすがセキュリティがしっかりしてんのね。
「自分で開けるときは、部屋のカードキーをここにかざします」
そう言って岡田くんは電車のICカードのようなものを、さっきの操作盤にかざした。すると、わたしが格闘したドアがすんなり開いて、出迎えられた。
「ほぉぉぉ。最新の技術って進歩してんのね」
過去からやって来た異星人みたいな感想を漏らすと、岡田くんは「普通ですよ」と開いたドアの向こう側へ歩き始めた。待って待って、一人じゃ確実に迷う!
廊下の床も、壁も、何もかもが大理石で出来ているようにキラキラしていて、土足で歩いているのが引け目に感じてきた。でも、前を歩く岡田くんもスニーカーを履いているので、土足で問題ないみたいだ。
エレベーターで20階に上がって(階数のボタンは20までしかなかったので、多分最上階)、右に折れ、そのまま一番奥の部屋に案内された。おお、角部屋ってやつじゃないの。
岡田くんは玄関を開けて、「どうぞ」とわたしを中に入るよう促してくれた。頷いて一歩中に足を踏み入れる。
「お邪魔しまーす……」
踏み入れて、眩しさに思わず目を細めた。照明が眩しいのではない。床も壁も白く、それが眩しいのだ。高級感が入り口から溢れている。「こっちです」と通されたリビングダイニングにはガラス張りの窓がついていて、街を一望できる。思わず窓に駆け寄って「うわぁ」と声上げてしまった。
「すごっ! え、待って、あそこうちの会社じゃん! うわ、こう見ると小さいね!」
会社の最寄り駅から5駅離れているこの家から見れば、小さく見えるのは当たり前なんだけど。わたしは2階建ての小さなアパートに住んでいるので、こんな高層マンションに来ることなんか初めてで。
展望台に来たのかというほどのはしゃぎぶりに、岡田くんは目を細めた。
「子どもみたい」
おい、歳上にそんなことを言うな。
ゔぅん、と咳払いをして、岡田くんに疑問をぶつけてみた。
「どうしたのこの家」
ぐるりと首を回して部屋全体を見る。大きなテレビと大きなソファ。キッチンはアイランドキッチンで、シンクの水栓は風呂場のシャワーのように無駄に長く湾曲している。部屋の天井も高く、上にはライトの付いたシーリングファンが回っていた。
どう見ても1人で住むには広すぎる。まるでお医者さんとか高給取りが住んでそうな家に、新人の岡田くんが住んでいるのが不思議だ。
岡田くんは抑揚なく平然と教えてくれた。
「就職祝いに姉貴が買ってくれました」
「お姉さん……!」
あまりの弟愛にこれから対峙するのが怖くなった。下手な事を言えばこの20階のバルコニーから突き落とされるかもしれない。
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