第7話

「ところでひとつ聞いてもいい?」

「はい」

「どうしてわたしなの?」


 あの場に朱莉さんが通りがかったから、と言われればそれまでだが、岡田くんなら他の女の人を捕まえることだってできただろうに。


 すると岡田くんは数回瞬きして、サラッと言った。


「朱莉さん話しやすいし、こんなこと頼めるの朱莉さんくらいしか思いつかなくて」


 驚いた。わ、わたしが話しやすい? 今まで一度もそんな素振り見せたことないのに。わたしが話しかけても素っ気なくて会話が持たないし、岡田くんから話しかけてきても仕事に対する質問とかしかない。それなのに、話しやすいだと? 易々と信じられない。


 その考えが岡田くんに読まれたのか、「すみません」と軽く頭を下げられた。


「俺、人見知りで。よく無愛想とかって言われるんですけど、心開くまでに時間かかるタイプなんです。朱莉さんには心を開いた気でいたんですが……」


 無表情でしょげる岡田くん。え、なんか、よく分からない感情が込み上げてきた。ちょっと待って。か、かわいいかもしれない。どうしちゃったのわたし。


 顔を伏せてしょんぼりする後輩の頭を、撫でたくなった。おーよしよし……


 そこでわたしはハッとした。まさか、これが母性ってやつか!


「岡田くん、ありがとう。わたし、今まで勘違いしてた。岡田くんは人間が嫌いなんだと思ってたけど、ただの人見知りなだけだったんだね。ごめんね」

「いえ、分かってくれたなら大丈夫です。で、本当に恋人役、引き受けてくれるんですね?」


 さっきのしょんぼりはどこへやら。顔を上げてキリっとした目で見てきた。眼鏡の奥の瞳に捕らえられ目が離せない。そのまま吸い込まれていきそうになって、わたしは咄嗟に目を逸らした。危ない、なんか変な宗教に勧誘されてる気分になった。


「あ、うん、いいよ。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」


 テーブルに三つ指をついて頭を下げる。すると鼻でフッと息を吐いた音がした。


「こちらこそよろしくお願いします」


 なんだかわたしと岡田くんがお見合いをしているような雰囲気だ。不思議と嫌じゃない。だからといって結婚したくなったかと問われれば話は別だ。これは結婚しないための偽装カップルなのだ。


 とりあえずお刺身をいくらかお腹に収め、これからの決め事を話し合うことにした。


「名前の呼び方、どうしましょう」

「名前? 今のままでいいんじゃないの?」

「朱莉さんと岡田くんですか?」

「うん」


 岡田くんは腑に落ちないのか、首を傾げた。


「よそよそしくないですか?」

「そう? 付き合いたてってことにしとけば、問題ないんじゃない? 実際わたしたち出会って2ヶ月くらいだし」

「…………」


 岡田くんは動きを止めて、微かに眉をひそめた。何かを考えているのかな?


 その間にわたしは刺身の盛り合わせのサーモンに手を伸ばし、刺身醤油でいただく。おお、美味い。実を言うと20歳まで刺身は食わず嫌いだったのだが、お酒を飲むようになってやっと刺身の美味しさに気が付いた。やはり何事もやってみないと分からないもんだね。


 サーモンを平らげ、鯛の刺身に手を伸ばした時、岡田くんが口を開いた。


「ちょっと試しに下の名前で呼んでもらってもいいですか」


 手が滑って鯛が刺身醤油の小皿にダイブした。透き通った魚が醤油色に染まっていく。


 岡田くんの、下の、名前。


「け、慧斗けいと……くん?」


 躊躇いが疑問形にさせた。すっかり醤油色になってしまった鯛を口に入れる。うへぇ醤油だ。


「じゃあ俺は朱莉で」

「ゲホッ!」


 サラッと呼び捨てで呼ばれて、醤油漬けの鯛が口から出そうになった。元々さん付けで呼んでたから呼びやすいのかもしれないが、あまりにも順応しすぎている。カメレオンか。


 すると、どこからかピロンと電子音が聴こえた。


「すみません、俺です……姉貴だ」


 岡田くんはスマホを取り出し、画面を見て、わたしを見た。その顔は無表情なんだけどなんとなく険しい顔をしていて、わたしに何か訴えているようだった。なんだ。


 首を傾げると、岡田くんは苦々しい声で言った。


「姉貴が会いたいって言ってます」


 スマホの画面を見せられた。促されるままそれを見る。上に『姉貴』と表示されたメッセージのトーク画面には『土曜日の昼頃、慧くんの家に行くから、昨日の彼女をちゃんと紹介してくれる?』という文字が映し出されていた。


 土曜日と言うことは、今日が木曜日だから明後日だ。


「土曜日、空いてますか?」

「ああ、うん。大丈夫」


 即座に頷いてから、しまった、と思った。いや、休みの日は基本引きこもってるから空いてない土日などないのだが、せめて何か予定がありそうなそぶりをして(例えばスマホのスケジュールアプリを見るとか)、忙しそうな人アピールしとくべきだった。まぁ、この後輩に見栄を張ったところで意味などないのだけれど。


「では土曜日、よろしくお願いします」


 恭しく頭を下げられ、わたしも慌てて頭を下げた。


「いやいや、こちらこそよろしくお願いします」


 言いながら首を傾げる。


 わたしは一体何をよろしくするのだろう。

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