第3話

猫本建設工業株式会社本社は、朝9時から始まって夜6時が定時だ。休憩は1時間15分、実働7時間45分。新卒で入社して早5年。6年目に突入した。


 取得した資格と言えば日商簿記二級とマイナンバー実務検定二級と日本漢字能力検定二級と秘書検定二級。二級取得人間。


 基本残業はなし。大企業で部署は細かく分かれており、仕事は分散されているので他の部署でも飛び抜けて多く残業しているところはない。


「では、お先に失礼します。お疲れ様でした」

「はーい、お疲れ様」


 仕事が終わった岡田くんが、先に部屋から出て行った。わたしもやらなければいけないことはもうないので、パソコンをシャットダウンして立ち上がる。同時に机に置いていたスマホ画面が光った。ポップアップで出てきたメッセージに眉をひそめる。


『朱莉様。八十郎はちじゅうろうにて待つ。優子』


 おいおい。今日はまだ水曜日だぞ。


 優子は営業部の同期で、いつも高い位置でゆるふわポニーテールを作って元気いっぱいの女の子だ。28歳に元気いっぱいという表現はさすがに子どもっぽいかもしれないが、本当にそう表現したくなるような子なので、まぁ、いいだろう。


 とにかく明るくて誰からも好かれる、学校で言うなら体育祭の実行委員長みたいな子だ。営業成績もよく、去年社長賞だか何だかの賞をもらっていた。


 たまにこうしてわたしを呼びつけては、現在付き合っている彼氏の愚痴を延々と聞かされる。まぁ吐き出したいだけなのでわたしは例のごとく頷くだけで、朱莉は聞き上手だねなどと言われるのだった。いいけど別に。聞き役、嫌いじゃないし。


 会社から徒歩5分。 


 焼き鳥1本80円が売りの居酒屋、八十郎の暖簾をくぐると、カウンター席でパンツスーツ姿の優子が足をブラブラさせながら飲んでいた。


「お、来た! 朱莉~」

「なに、彼氏と喧嘩でもした?」


 隣に腰掛けながら、カウンターの向こう側の店員さんに「ナマイチ」と注文する。


 優子はわたしの質問に大きく首を横に振った。


「別れてやった」

「マジか」


 へいおまち、と店員さんがジョッキを目の前に置いてくれたので、とりあえず優子のレモンサワーのジョッキにコツンと合わせて一口含む。うーん、仕事終わりのビールは美味いっ。


「何ヶ月だっけ?」

「3ヶ月と9日」

「中学生かよ」

「3で割ったら1ヶ月と3日」

「割るな割るな」


 どうやら憔悴はしていないらしい。まぁ散々愚痴っていた彼氏だったのだ。別れて清々しているのだろう。


「やっぱりナンパしてきた奴と付き合ったのがダメだったね。本格的に婚活パーティーにでも参加するかなぁ」


 優子も新卒で入社して6年目だった。元々結婚願望が強い彼女は、入社した当初から『仕事は結婚までの腰掛け。3年くらい働いたら寿退社する』と豪語していたのだが、結婚するなら少しでも良い条件の人を、と選り好みしてきた結果、今に至る。腰掛けの割にはうなぎのぼりの営業成績を見せ、本当に寿退社を目指しているのかよく分からない。


「朱莉も一緒に婚活パーティー行かない?」


 ビールの苦みが苦手らしい優子は、レモンサワーをちょびちょびと飲みながら首を傾げた。わたしも同じように首を傾げて、優子の前にある焼き鳥に手を伸ばした。


「婚活パーティーねぇ……」


 もも肉のタレじゃんうまぁ。

 もしゃもしゃ食べていると、優子が首を傾げた。


「あれ、前までは『わたしは興味ありません』って言ってたのにどうしたの? やっぱり結婚したくなった?」

「まさか。最近お母さんが『いい人いないの?』とか『いつ結婚すんの?』とかしつこくてさ」

「あー、親ねぇ」


 察したのか、遠い目をする優子。わたしと彼女は同時に盛大なため息をついた。


 わたしは一人暮らしをしており、時々母親から『生きてんのか電話』がかかってくる。内容は毎度同じで『仕事どう?』から始まって『いい人と会えた?』とか『あんたもう28なんだから……』とか心底ウンザリすることを言われていた。正直、28だろうが82だろうが独り身でいいと思っている。


 つまるところ、優子と違ってわたしは結婚願望がまるでないのである。


 3年ほど前から、高校時代の友人や、大学時代の友人らから1ヶ月おきくらいに『結婚します報告』を受けることが増えてきた。それは素直に嬉しいし、おめでたいと思う。が、羨ましいなどと思ったことは一度もない。招待状が届けば返信ハガキにイラストを描いて送り返し、相応のご祝儀袋に新札の壱萬円いちまんえんを3枚入れる。美容院で髪をセットしてもらい、新婦より目立たないドレスで披露宴に出席し、コース料理に舌鼓を打って、新婦の手紙に涙する。いい結婚式だった、と二次会にも参加して、ゲームを楽しむ。


 ただ、それだけだった。わたしもあんな結婚式したいわ、なんて乙女みたいなことは微塵も思わない。自分でもびっくりするくらい、結婚に対しての憧れなどといった羨望の想いは抱いていなかった。彼氏も別に欲しいとは思わない。


 朝起きて、会社に向かい、仕事をこなす。家に帰ってご飯を作り、お風呂に入って寝る。


 一人最高一人万歳。


 まぁ一人で玄関の電球を替えている時は悲しいと思わなくはないけど、別に一人で替えられるので問題はない。寂しいなどという思いもない。


 もう一度言おう。わたしには結婚願望など微塵もない。


 だから、大学時代に付き合ったのも、実を言うとお試しだった。告白されたので、別にわたしは好きではなかったが、付き合うという行為が果たしてどういったものなのか、知っておいた方がいい気がしたから付き合った。


 結果として、わたしにそのような行為など必要ないと判断した。


 だからといって仕事が恋人だと胸を張って言える程打ち込んではいないし、趣味も特技も特にない。美味しいご飯があって、帰る家があれば、わたしにはそれだけで良かった。

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